わたしと声優、それから演劇

「声優になろう」と決めたのは、高校1年の春だった。

鮮烈なきっかけはなかったと思うけれど、前のnote.に書いたと思うがアニメが好きでよく見ていたから、アニメの製作に関わって、スタッフロールに載りたいと思っていた。絵を描いていたから、初めは原画マンを目指そうかと思ったが、仕事として絵を描いているのはちょっと違うかなという気持ちになった。自分の創作の時ですら、集中力にムラがありすぎたし何より、机の前でじっとしているのはなかなか辛かったのである。

そんな時、スタッフロールをぼう、と眺めていると、ふと、一番目立つところはキャスト欄だと思った。

ふむ。声優か。

演技は学校の劇の端役くらいだったけれど、逆にそれがいいんじゃないかとも思えた。芸術の中で、音楽、絵はやったけれど演劇はまだだったし、やったことがないことや好きなことじゃないことの方が『仕事』としていいんじゃないだろうか。

早速、慣れないインターネットやアニメージュで情報を集めた。代々木アニメーション学園の無料体験入学や特待オーディションを受けたり、日本ナレーション演技研究所の無料体験に行った。

日ナレは著名な声優が多く居たから詐欺ではないだろうとは思えたし、それだけ著名な方々の通ったところだから、狭き門をくぐれた後もいささか安心して仕事にかかれるかとも考えた。しかし「レッスンがちょっと怖い」というのが、見学の素直な感想だった。

その点、代アニは特待生にはなれなかったけれど少額の入学金免除の賞は頂けたし、松本梨香さんや島本須美さんと間近でお会いできたこともあり良い印象はあったが、高額な学費にはやはりおののいてしまった。

東京の大学に通いながら養成所に行くのが一番無難かしら、と思い高校2年からは特進クラスに入り、勉強にも部活にも励んだ。ところがである。

父から「お金が足りなくなって、大学の途中で帰ってきてもらうことになるかもだけど頑張れ!」という謎の【中退前提応援発言】が放たれた。

高2の冬のことだった。

「中退前提で大学行ってどーすんだ!!!」という思いのもと、わたしは高卒で働くことを決めた。もちろん、担任・学年主任からの呼び出しと引き留めは数回に渡った。しかし「お金がないのに大学いけないでしょ」というわたしの主張と三者面談での父の適当な態度を見た担任はわたしの意思を通してくれた。

「八木、お前大変だな。」

「でしょ。わかった?先生。」

この会話は今でも覚えている。


さて、高3の春。様々検討しつつ、腕試しにと『Aチームグループ』という事務所(伊藤英明さんやDAIGOさん、吉岡里帆さんなどが所属されている時事務所の系列)の新人オーディションの声優部門に書類を送ってみると、なんと一次通過の連絡が。大阪での2次試験に進み、3次試験、最終審査、そしてなんと、所属の打診まで来る事態である。

どうしたわたし。怖いくらいのトントン拍子である。

所属の話を聞くと、まずレッスンに40万円と少しがかかると言われた。更に、大阪または東京でのレッスンに、三重県から通うとなると、様々な面でかなりの負担がかかってくる。少し時間をいただき、考えることにした。

母は反対だった。学校を休み、オーディションに来ていることが許せなかったようだった。

わたしはチャンスを感じながらも、どこかで引っかかっていた。母の態度も理由の一つだとは思ったが、別のところで何か。

1週間ほど考えて、引っかかりの正体がわかった。


日ナレへの憧れだった。

たくさんの有名声優たちと、同じ空間を感じたかった。仲間になりたかった。

事務所の誘いを断り、日ナレへの応募を決めた。


わたしの演劇が本当に出会うのは、この2年後のことである。

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