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A Course in Miracles 学習&実践レポート

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『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
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#愛の呼びかけ

霊的に成長するとは?霊的に大人になるとは?

霊的に成長するとは?霊的に大人になるとは?

自分の真実について知る必要がある形態の上では、私たちは子供の状態から成長していって大人になっていきます。

ただ、見かけ上は大人になっていったとしても、私たちのその中身はまったく子供のままだと言うことができます。

何が子供のままなのか?というなら、

ようするに、

自分が何者で、何をしているのか?
何が自分を幸せにするのか?何が自分に苦痛、苦しみをもたらすのか?

私たちはそういったことについ

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恐れとどのように向き合っていけばいいのか?どのようにして恐れを超越していくのか?

恐れとどのように向き合っていけばいいのか?どのようにして恐れを超越していくのか?


誰もが神の愛を恐れている私たちは、「自分はこの世界の中に居る」と信じています。

そして、この世界をそのように知覚しています。

それがどういうことなのか?

というなら、

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、この世界に居るということ自体、もっといえば、この世界を知覚しているということ自体が、神(の愛)を恐れているということなのだということです。

そうでないならば、私たちは

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「私はいない」も無い

「私はいない」も無い

「私」の非実在性を受け入れていく「私はいない」ということを知っているだけでは、非二元をいきるには十分ではないといえます。

というのも、私たちはすでに「私」の実在性を信じてしまっているからです。

その「私」がいくら「私はいない」としたところで、それはただ言い聞かせているだけでしかありません。

なにせ、「私」は存在していると信じているわけで、ならば葛藤を起こすだけです。

では、どのような生き方

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なぜ、真理や愛のほうではなく、自我や闇を直視していくのか?

なぜ、真理や愛のほうではなく、自我や闇を直視していくのか?

自我(間違った心)と聖霊(正しい心)は一つの心の表裏自我を直視する。自我を正視する。

それがコース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちがしていかなければならないことです。

ようするに、私たちが見ていくべきものとは、聖霊でもなければ、愛でも光でもないわけです。

自我を見なさい!ということです。

それは、罪悪感、恐れを見なさい!という意味でもあります。

いわゆる、闇を見なさい!と。

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恐れについて

恐れについて

私たちは恐れについて理解する必要がある真理では「恐れは実在しない」わけですが、だからといって、いくら頭でそのことを知的に分かっていたとしても、ほとんど役に立たないと言うことができます。

「恐れは実在しない」ということを知る(悟る)ためには、やっぱり、恐れを正視するほかありません。

恐れを正視することなく、「恐れは実在しない」と知る(悟る)ことはけっしてないということです。

それというのも、私

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思考を逆転させる方法 ~学んでしまった間違いを白紙に戻す方法

思考を逆転させる方法 ~学んでしまった間違いを白紙に戻す方法


私たちは喜びと苦痛を混同しているコース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを理解するようになってくると、自分は何も分かっていなかった、ということが自覚されていきます。

「何も分かっていない」とは、どういうことか?

というなら、私たちは何が喜びであり何が苦しみであるか?がまったく分かっていないということです。

というのも、私たちがふだん喜びだと思っているものは、じつは、苦しみの要因とな

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コースの学びが進んでいくとどんなふうになっていくのか?

コースの学びが進んでいくとどんなふうになっていくのか?


忘却のベールが持ち上げられていくときコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが進んでいくとどのようになるのか?

ということでいうなら、自分の内側の罪、罪悪感、恐れというものがもっと頻繁に湧き上がってくるようになると言うことができます。

いわゆる、内側に内在しているものに対して微細になっていく、というふうにも言い換えられます。

言い方を換えるなら、光に近づくにつれて真理に対する自我の防衛(抵抗

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苦しみがもはや苦しみではなくなるとき

苦しみがもはや苦しみではなくなるとき

私たちは「幸せ」とは何なのか?をまったく分かっていない幸せとは何か?

というとき、

私たちは「幸せ」とは何なのか?をまったく分かっていないと言うことができます。

誰もが「幸せ」というものを追い求めてはいるものの、実際のところ、私たちは「幸せ」が何なのか?分からずに追い求めているということです。

というのも、私たちはこの世界に自分を幸せにしてくれるものがあるかのように見ています。

ただし、

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真の知覚(ヴィジョン)はどのようにして開かれていくのか?

真の知覚(ヴィジョン)はどのようにして開かれていくのか?

この世界をどちらの目的で見るか真理から見れば、肉眼で見ているこの世界は、じつのところ、まったくの幻想であり、無意味であると言うことができます。

ただし、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践においては、この世界をただむやみに否定していくのではないということを知っておきましょう。

コースの実践で私たちに求められているのは、この世界をどちらの目的で見るか?ということです。

それは、自我

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