苦しみがもはや苦しみではなくなるとき
私たちは「幸せ」とは何なのか?まったく分かっていない
幸せとは何か?
というとき、
私たちは「幸せ」とは何なのか?まったく分かっていないと言うことができます。
誰もが「幸せ」というものを追い求めてはいるものの、実際のところ、私たちは「幸せ」が何なのか?分からずに追い求めているということです。
というのも、私たちはこの世界に自分を幸せにしてくれるものがあるかのように見ています。
ただし、正しく見るならば、それらはすべて、仮の、一時的な、偽りの「幸せ」でしかないのは明らかです。
それが何を意味するのかというなら、
この世界に(真の)幸せなど無いということであり、そのことを悟るまで、私たちは終わりなき時間の旅をし続けることになるということです。
(それこそが、スピリチュアリストたちが呼んでいる「輪廻の旅」というものです。)
つまりは、そのことを悟らないかぎり、私たちには真の救いはないということです。
ただ、この世界には真の幸せなどないということにうすうす気づきはじめ、そしてこの終わりなき探究の旅にウンザリしはじめた者たちがいます。
そして彼らは、絶対なる真の「幸せ」というものを探究しはじめることになります。
非二元(一元論)の探究者、真理の探究者、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者といった者たちが、そういう彼らなのだ言うことができます。
彼らは、この世界には本当の「幸せ」などないということを学びます。
そこで、私たちがよく誤ってしまうのが、非二元(ノンデュアリティ/一元論)の霊性の道を歩んでいくとき、ついこの世界を否定していくこと(現世否定)をしてしまうということです。
私たちが覚えておかなければならないのは、コースでしていく実践はこの世界をむやみに否定していくようなものではないということです。
コースでは、この幻想世界の中では二つの存在の仕方(在り方)があるのだと教えてくれています。
一つは、これまでの私たちの二元性の思考体系のままの在り方であり、もう一つは、コースの思考体系に基づいた在り方です。
前者は、けっして幸せになることができないだけでなく、この時空の世界の牢獄に閉じ込められたまま、死を迎える人生を送ることになります。
片や後者は、この時空の世界の中で経験していくすべてをこの世界の夢から目覚めて自由になっていくための「教室」としていくことで、幸せな学習者となっていくだけではなく、死を超越していくことになります。
私たちはコースの学びと実践を通して純粋な非二元の霊性の道を歩んでいくにしたがって、
真の幸せはどこにあるのか?
それは、すでに今ここに在る、ということを体現していくことになります。
その実践的な手段が、「赦し」です。
赦しの視点からすべてを眺めるなら、すべてが虚偽だと分かります。
それによって、深刻さがなくなります。
そのとき、絶対なる神の平安がそこにあります。
そう、赦しの視点とは、まさに、悟りの視点だと言うことができるでしょう。
苦しみは無である=それが真の幸せというもの
赦しの視点から見るとき、そもそも苦しみなど無い(実在しない)のだということが明らかになります。
であるにもかかわらず、私たちはその視点を忘れてしまっているせいで、苦しみが実在している、というふうに知覚しているわけです。
ですから、私たちは、苦しみは無い、ということを学ぶ必要があるということです。
コースを通して、私たちはそのことを体験的に学んでいくことになります。
それが意味するのは、この霊性の道は「幸せ」を追い求めていくようなものではなく、「苦しみは無である」と知る(悟る)ことを目指しているということです。
私たちが真に追い求めていくべき「幸せ」とは、そういうものであるということを知っておくとよいでしょう。
苦しみは無であることを知る(悟る)ことが、すでに幸せ(天国)はここに在ることを思い出すことなのだということです。
つまり、この霊性の道は、まさに、苦しみからの脱却であり、苦しみからの解放であると言うことができます。
苦しみというものが無い世界とは、いったいどんな世界なのか?想像してみるとよいでしょう。
それこそが真の「幸せ」と呼ぶものであり、私たちが真に求めているものとはそういうものであると理解することはとても重要だといえましょう。
そうでないならば、間違った偽の「幸せ」を追い求めてしまいかねないからです。
私たちは苦しみの正体を知る必要があるのだということです。
そのためには苦しみ、苦痛を通り抜けていくことが私たちには求められているわけです。
私たちはつい苦しみ、苦痛といったものを拒絶したくなります。
ですが、そうではなく、むしろ、苦しみ、苦痛が真理の扉を開く鍵なのだということを私たちは学ぶ必要があるのだということです。
コースの学びがより深まっていくにしたがって、つまり、正しい知覚へと修正されていくにしたがって、これまで苦しみ、苦痛と知覚していたものは、愛を思い出すための「愛の呼びかけ」として知覚されるようになっていくことでしょう。
そのとき、苦しみは、もはや苦しみというものではなくなっています。
「苦しみ」という概念さえない世界を知覚するようになるということです。
苦しみの無い世界であるならば、そこが天国(神の国)以外の何だというのでしょう。
そう、私たちは、そのようにして天国を反映した世界を知覚するようになるということです。
それをコースでは「実装世界」と呼んでおり、それがコース学習者の私たちが目指しているものなのだということを覚えておきましょう。
そしてそれは地道な学びと訓練によって、確実にそのように知覚されるようになっていくということも覚えておきましょう。
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