- 運営しているクリエイター
#神のひとり子
分裂した心を癒すには、統合ではなく、もともと一つであることを思い出すだけ
キリスト教用語で書かれてあるがゆえに、私たちがつい勘違いしてしまうことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とは何か?
簡潔に言うならば、コースはキリスト教用語で書かれた一元論のスピリチュアリティだといえます。
ときに、コースがキリスト教用語で書かれてあるがゆえに、どうしても馴染めないという方もおられます。
実際に、そういう方々を私もたくさん見てきました。
ただ言えるのは、一元論のス
「百匹目の猿現象」について
神の教師は一人で充分です巷のスピリチュアルやニューエイジの考え方において、「百匹目の猿現象」的な考え方があります。
それは、「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、接触のない同類の仲間にも伝播する」という超常的な考え方です。
特に、「アセンション」や「目覚め」といったものをこの地上における意識進化として捉えているスピリチュアリストたちにとっては、その考え方が大いに信じられていると言うこと
自分の中が空っぽであるとわかるとき、他者の中も空っぽであるとわかります
「夢を見ている者」の自分を自覚していくふだん、私たちは、「私」は存在していると思っています。
それに対して、非二元の教えに触れていくとき、「私はいない」ということを学んでいくわけです。
もちろん、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)のテキストやワークブックでも、以下のような表現で述べられています。
コースは、私たちは何も見ていない、何も聞いていない、何もしていない、何も感じていない、何
アブラハムの生まれいでる前より、われは在るなり
コースで言う「心」についてコース(奇跡のコース/奇跡講座)では、
「この世界は心の投影である」
と教えてくれています。
コースに限らず、仏教においてもそのように述べられています。
ようするに、私たちが知覚しているこの世界は心が作りだした夢(幻想)であるということです。
ただし、ここで私たちが知っておかなければならない重要なことは、そのコースで言う「心」とは個人的な心とはまったくちがった
コースの学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?
この世界に神聖なものなどないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?
そのことについて書いてみたいと思います。
まず、コースの思考体系が根付いていくとき、この世界のもの、そして、この世界で起きていること、そのすべてが自分とは無関係ではなく、むしろ、自分に属するものというふうに知覚するようになっていくといえます。
そう、すべてが自分の心の中で