マガジンのカバー画像

A Course in Miracles について

95
『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
運営しているクリエイター

#ヴィジョン

「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡に難しさの序列はない」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で奇跡の第一原理として示されている概念が、「奇跡に難しさの序列はない」というものです。

この概念は、コースを実践していくうえで、もっとも理解しておくべき重要な考え方です。

というよりも、私たちがこの世界の夢から自由になっていくために必ず修得しなければならない考え方であるということを知っておきましょう。

むしろ、

もっとみる
この世界の夢の外側から私たちを見たらどのように見えるのか?

この世界の夢の外側から私たちを見たらどのように見えるのか?

イエス/聖霊は私たちをどのように見ているか?コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践を通して赦しの視点から見るならば、私たちが体験しているこの世界は夢であることが明らかになります。

そのすべてが虚偽(夢の中)であることが分かるということです。

そして、本当の自分(真の自己)はその夢の外に居るということも、イエス/聖霊はその視点から見ているということも、体験的に理解されることになります。

そこか

もっとみる
夢を見ているのは誰なのか?

夢を見ているのは誰なのか?

知覚しているその主体とはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えているその中心となる概念が、

世界は無い

というものです。

世界も無ければ、他者もいない、ということです。

それが意味するのは、この世界のすべて、この人生のすべてが「夢を見ている者」によってでっち上げられた夢であり、私たちはそれぞれその夢の登場人物と同一化しているだけなのだということです。

そこで私たちにとって重要と

もっとみる
コースの学びと実践を通して、私たちは何を成し遂げようとしているのか?

コースの学びと実践を通して、私たちは何を成し遂げようとしているのか?


これは聖霊の思考体系をマスターしていくための道であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、私たちは何を成し遂げようとしているのか?

というなら、その目的は、自我の思考体系から聖霊の思考体系への完全なるシフトだと言うことができます。

それは、自我(二元性)の思考体系から完全に自由なるということを意味します。

もちろん、ワンネス(実相/真理)に目覚めることが最終的なゴ

もっとみる
普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験ならば、可能であるばかりか、必要である

普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験ならば、可能であるばかりか、必要である

コースは愛の意味を教えることを目指してはいないコース(奇跡のコース/奇跡講座)が非二元のスピリチュアリティ(霊性の道)であるということは言うまでもありません。

ただし、私たちが覚えておかなければならないのは、コースは真理について、愛について探求していくような霊性の道ではないということです。

その学びは、真理や愛について学んでいくわけではないということです。

真理についてあるいは愛について理解

もっとみる
人生を軽やかに楽に生きていようがいまいが、そういうものから自由になる

人生を軽やかに楽に生きていようがいまいが、そういうものから自由になる

人生を軽やかに楽に生きる!?悟りとか非二元のスピリチュアリストたち、いわゆる、ノンデュアリストの方々が、「人生を軽やかに楽に生きる」というような言葉をよく口にしたりしますが、その言葉には充分に注意しなければなりません。

どういうことなのか?

というなら、

私たちは真理に目覚めて、悟って、人生を軽やかに楽に生きられるようになりたいと思うわけですが、それは私たちが思っているようなものではないとい

もっとみる
それは悟りの完成への道であり、解脱への道であるということ

それは悟りの完成への道であり、解脱への道であるということ

「悟り」と「悟りの状態」のちがい「悟り」というとき、「悟り」と「悟りの状態」を分けて捉える必要があるかと思います。

本来は、「悟り」というものがあるだけです。

そこに、悟った者、悟っていない者といったものもありません。

「悟り」は、この世界に属するものではありません。

そして、その「悟り」を一瞥することを一瞥体験、見性体験と呼んでいたりします。

そのような人たちは、実際は、「悟り」を一瞬

もっとみる
自分の見ているものや自分の考えを疑問視していく

自分の見ているものや自分の考えを疑問視していく

それはヴィジョン(心眼)を開いていくための手段であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、これまでの見方、考え方をまるごと手放して、まったく異なる見方、考え方へとシフトしていく霊性の道であると言うことができます。

それがどういうことを意味するのか?

というなら、コースは、私たちが分かっている、知っているとしているものはすべてまったくの嘘(非実在)であることを受け入れていく道なのだという

もっとみる