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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2022年2月の記事一覧

もし今あなたが絶望しているとして、それは決して驚くべきことではありません

もし今あなたが絶望しているとして、それは決して驚くべきことではありません

私たちは絶望の夢を見ているだけであるこの世界にいる私たちは、いわば、みんな誰もが絶望していると言うことができます。

というのも、一番分かりやすい例でいえば、私たちは誰もが、自分はいずれ死ぬと分かっているわけです。

そのことを分かっていながら、それでも、はかなきこの人生を生きようとしているわけです。

それは、別に悲観的になって、そう述べているのではありません。

コース(奇跡のコース/奇跡講座

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肉眼で見えている世界を超えていくとき、ヴィジョン(心眼)は開かれる

肉眼で見えている世界を超えていくとき、ヴィジョン(心眼)は開かれる

この世界の見方として二つの見方がある非二元から見るならば、この世界は幻想です。

ただし、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、この世界を幻想だとしてやみくもに否定していくような実践をしていくわけではありません。

この(幻想)世界を見る見方として、そこには二つの見方、考え方があることを、私たちはコースを通して学んでいきます。

つまり、この世界の見方として、二つの目的の方向があるということです。

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なぜ人生はうまくいかないのか?その真実は私たちの無意識の部分に隠されている

なぜ人生はうまくいかないのか?その真実は私たちの無意識の部分に隠されている

なぜ幸せになれないのだろう?なぜ幸せになれないのだろう?

なぜ人生はうまくいかないのだろう?

この世界にいる私たち誰もが、大なり小なり、そういう想いを抱いていますし、そういう経験をしているといえます。

それというのも、真理から見るならば、この世界はそもそもそのようにできているからです。

この世界のメカニズム自体、すべてがうまくいかないようになっているということです。

なぜなら、この世界は

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聖霊のヴィジョンについて

聖霊のヴィジョンについて

聖霊のヴィジョンとはどういうものか?聖霊はどのように見ているのか?

聖霊のヴィジョンとはいったいどういうものなのか?

それは、「赦しの視点」「赦しのまなざし」というふうに呼ばれています。

今回は、

聖霊のヴィジョンとはどのように知覚されているのか?

そのことについて書いてみようと思います。

「聖霊のヴィジョン」というものについて、それはきっときらびやかな至福と喜びに満ち溢れたようなもの

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苦しみの正体とは

苦しみの正体とは


自分が見ている世界の被害者ではない自分が誰で?自分は何をしているのか?

私たちはそのことにまったくもって無知な状態になっています。

仏教では、それを「根本無智」または「無明」と呼んでいます。

私たちはこの世界に(生きて)いるというふうに思っていますが、

それが何を意味しているのか?

というなら、

私たちはまったく幻想を信じ込んでしまっているということです。

それによって、自分が何者

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「真理を幻想に持ち込む」のではなく、「幻想を真理のもとに運ぶ」ということ

「真理を幻想に持ち込む」のではなく、「幻想を真理のもとに運ぶ」ということ


幻想を真理のもとに運ぶ「幻想を真理のもとに運ぶ」と「真理を幻想に持ち込む」とは、いったいどういうことなのでしょう?

今回はそのことについて書いてみたいと思います。

まず知っておかなければならないのは、コース学習者である私たちがしていく実践は、「幻想を真理のもとに運ぶ」ことをしていくということです。

それは、コースで言う「赦し」を実践するということです。

ですが、自我と同一化してしまってい

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