【瀬戸芸2022 秋】リアルな身体感覚を求めて-熱した鉄塊から球を制作 -中里繪魯洲氏WSに参加
瀬戸芸2022 の秋の部(会期は11/6まで)に参加している。今日は本当によく晴れた。
■なぜか惹かれた「鉄玉作り」
春・夏と参加し、徐々に祭典ならではのふるまい、楽しみ方もつかめてきた中で、今回は珍しく、SNSによる事前の情報収集をしてみた。そしてInstagramで「すごく気になる」情報に出逢ってしまった。
ワークショップが軒並み事前予約制で「残席なし」の中、《鉄玉づくり》は事前予約不要とある。行くだけ行ってみよう、と女木島に向かった。
■中里繪魯洲氏と対面、WSへ
ティンカー・ベルズ ファクトリーは「女木島名店街」の中にある。寿荘という、もと宿泊施設の建物だ。
詳しくは、以前まとめたこちらを。 ↓
瀬戸芸デジパスで以前に一度入っているので、再入場として+500円のエントランスフィーを払い、ティンカー・ベルズ ファクトリーへ。入口にはワークショップの案内もあった。
代金はアーティストに直に支払ってくださいとのこと。この敷居の低さが芸術祭の魅力なのだろうが、突然に、中里繪魯洲(なかざと・えろす)氏に話しかけることになって緊張する。幸い、作業中ではなかった。
「あの、ワークショップを」と訊ねると「ああ、お便りのほうですか?」と。じつはワークショップには2種類あり、下記の《女木島からの便り》の制作をすすめている人がすでにいた。
「あ、いえ、鉄の玉のほうで・・・あの、わたしのような者でも、できますでしょうか?」と言ってから思う。本当に、なぜ鉄球なんだ?
■鉄の塊を→ハンマーで叩いて「玉」に
「・・・(少々長い、間のあと)できると思いますよ。ちなみに何か作ったりした経験は?」「家具の簡単な組み立てとか」「ハンマーって使ったことはありますか?」「うーん、ないかも・・・」と、心もとない会話をしつつ、代金を払い、誓約書にサインをして準備へ。
作業はシンプルといえばシンプル。下記の写真の画面一番下の円柱状の鉄の塊を→ハンマーで叩いて角を取り→球形にする、以上。
革のグローブと、分厚い革のエプロンをお借りして準備完了となる。
まず、オリエンテーション。作業はこんなイメージだ。左手で、先端に鉄の塊が付いた棒を握り、滑らないよう、作業台の角のところにひっかける形で固定する。そこに、右手で持ったハンマーを渾身の力で振り下ろす。
「やってみましょうか」の声に促されて、片手で一生懸命にハンマーを振り下ろすも、自分でも笑ってしまうくらい戦力にならない。何度かトライした後で、「うーん、では両手でハンマーを持つ形にしましょうか」と、難易度をかなり下げてもらっての実践となった。
■熱で鉄の質感が変化しはじめた
本番開始。まず、中里氏が鉄の塊をバーナーで熱していく。鉄の色そして質感が、見る見る変わっていくのがわかる。突然わたしの中で「あ、これだ」という、心の声が聞こえ始めた。
熱くなったとはいえ、鉄は鉄だ。これ以上出せないほどの力を出さないと、角を取っていくことはできない。ただ、手に受ける感触が違う。練習で固い鉄の塊を打ったときはそれなりの反動が戻ってきたけれど、熱された鉄の場合、表面に、反動を吸収する柔らかさが生まれる。
「冷えてくると、打つときの感触が少しずつ変わってくるでしょう?」と中里氏。ああ、これは面白いと思った。
■リアルな身体感覚
ハンマーをふるいながらだんだんわかってきたのは、わたしは特に何か作りたい衝動があったのでも、ストレスがたまっていてハンマーを振り下ろしたくなったのでもなかった。《鉄玉づくり》に惹かれたのは、おそらくリアルな身体感覚を求めてのことだ、と。
中里氏が上手に台の上で鉄の塊を回転させてくださり、わたしは「ただ同じ場所に、できるだけ力強くハンマーを振り下ろすだけでいい」、というハンデのハンデ、を付けていただいたおかげで、「ハンマーを振り下ろす際に受ける感覚」に、より集中することができた。
バーナーで熱したばかりのときは、食い込むような柔らかさの層が比較的厚く、衝撃で表面の薄い部分が弾け飛ぶこともある。表面は見る間に冷えて、色が変わっていく。それにしたがって、その柔らかな層は薄くなり、手により多くの反動が戻ってくる。
鉄は、こんなふうに変化自在で、作り手にさまざまな感覚を教えてくれるのだった。作業をしながら、鉄という素材の面白さ、鉄はリサイクル可能なエコな素材であること、といった、この素材に惹かれる理由をアーティストご本人から聞けるという、至福の時間を味わった。
■そして仕上げの作業へ
だいぶ、球形に近くなってきたかな? というところで、水に浸けて熱を取る、という作業をやらせていただいた。ジュワッ、と音がして水蒸気が上がり、どのくらいの熱さかを改めて想像した。
その後、表面を研磨していただき、棒の部分を裁断して球に。イニシャル(A、にしてもらった)を刻印。さらに、さび止めの蜜蝋を塗る、という仕上げの作業へ。
■完成品。重みに感じる「リアル」
まだ少しあたたかい完成品を手に取る。
下は、すっかり冷たくなった完成品を、太陽光の下で。
なぜ《鉄玉づくり》だったのだろう? は、今日1日のテーマともいえる問いだったのだけど、なんとなく2つあるんだな、とわかった。
ひとつは、堅さ、やわらかさ、という、非常に微妙な質感(それも、瞬時に変わっていく)を体感したくなっていたこと。もうひとつは、完成品を掌に置いて改めて感じた「重量」。
ともに、既述の「身体感覚」ということでまとめられるのだけど、それでふと連想したのが、映画『インセプション』だ。(まったく蛇足となるが、クリストファー・ノーラン監督は、デビュー作『メメント』が話題となり、映画祭で来日したとき、幸運にも記者会見に潜り込むことができて、それ以来のファンだ。)
劇中でレオナルド・ディカプリオ演じる「夢を見ている間に潜在意識から貴重な秘密を盗み出すスペシャリスト」は、ある経緯で夢と現実の間で苛むことになる。彼は、今いるのが「夢か現実か」を区別する際に、コマを回す。そのコマが倒れれば現実であり、永遠に廻り続ければ夢、という判断だ(この境界が、非常に微妙なところでエンディングを迎えるところが、またいい)。
話戻り、わたしの日常が、そんな確認がしたくなるほど現実感のないあやふやなものなのか? と問うてみても自分ではよくわからないのだけど、何か「リアルなもの」をアンカーとして持つ強くことが、今必要なのかもしれない。
■鉄のメダルで、現実感を携帯
AbbeyのA、を刻んでいただいた鉄球は、きっとわたしの机上にいつも置かれ、重量感と冷たさで、今の「リアル」を教え続けてくれるだろう。
それとともに、ティンカー・ベルズ ファクトリー内でこんなすてきなものも見つけてしまった。
これらのメダルは「女木島名店街」のショップで購入できるのだけど、この見本のように穴は開いていないという。
携帯できるように穴が開いていたらいいな、と考えていたら「あけましょうか?」と中里氏が申し出てくれた。スミマセン、お言葉に甘えてすぐ買ってきます。
これら美しいメダルたちは、おそらく金具か紐かを通され、これからわたしと一緒に移動することになると思う。
■おまけ。心のマッサージチェア
諸々の御礼を言って荷物をまとめようとしたとき、ちょうどわたし以外の何組かの人たちが全員退出していった。
「もし、よければ」と、作品説明までしていただいた。それは、こんな気になるタイトルだ。
「心のマッサージチェア」に座ったわたしがハンドルを回すと、それがきっかけとなって歯車が作用して目の前の水の盆に変化が起き、美しい音が響いた。水盆に広がる波紋もまた、心を癒してくれそうだ。
作家ご本人に写真まで撮っていただいて、非常に恐縮している。すばらしい体験に加えて、すてきな「おまけ」をありがとうございました。
「鉄は国家なり」ではないけれど、鉄というと、わたしの中にはどうしても富国強兵とか殖産興業といった、日本近代史のいかついイメージがあったように思う。今回の経験で、それが、多様になったのも良かった。
わたしの手には、今も、ハンマーを通じて体感した、熱された鉄の表面に沈み込む、一瞬のやわらかさ、のような感触が残っている。
今、掌にあるこの冷たい鉄球は、かつては熱くやわらかいものだった。そう思うことも、なんだかわたしを癒してくれる。
↓ ※瀬戸芸2022関連記事については、下記にまとめています。
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