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言葉達 / 貴方に還れる場所が見つかりますように / 写真 : https://www.instagram.com/_room247/

最近の記事

2023

今年一年の大きな出来事はやはり、ZINEを出版したことなのだと思います。 この製作の詳しい話はまた別の機会にしたいのですが、製作の過程だけでなく、それを届け、手に取ってもらう中で、本当に沢山の人に支えてもらい、沢山のものを与えてもらいました。サポートしてくださった方々、手に取ってくださった方々、本当に感謝してもしきれないです。ありがとうございました。 この世の中にものを生み出して届けること、起点を作りそこから新しい物語が生まれることの楽しさ、難しさ、恐ろしさ、尊さにまだ少

    • 流れゆく日々にアンカーを打つ

      ここ最近日記を書き続けている。 生まれてこの方、日記なんぞ三日坊主で終わることばかりで、なんなら日記のような人が見ていない所であっても素直に感情を吐露することが元々は苦手だったのだが、今回は3ヶ月も続いている。 書き始めたキッカケはNetflixのオードリーの若林さんと星野源さんの番組『LIGHT HOUSE』。 番組の中で2人はそれぞれ書いた日記を何ヶ月かごとに持ち寄って、答えを出すわけでもなくあーだこーだ会話する。 ままならない日々の悩みや生きづらさを馬鹿にせず、

      • 大地と繋がって

        先日、お気に入りの本屋さんで『くらやみに、馬といる』という本に出会った。 作者の河田桟さんは与那国島で馬と生活しながらカディブックスという出版社を営んでいらっしゃるそうだ。 そんな河田さんの馬との話が綴られたこの本は、大地と繋がる感覚をもたらす一冊だった。 馬という他者に対するある種畏敬のような感覚と、それと共にある圧倒的な心地良さと安心感。 暗闇の静けさに広がる与那国島の美しい自然と馬の息遣いがそこにはあった。 読み終えた時、あぁこの方はきっと大地と繋がって生を生

        • 違和感と眼差し

          何年か前、サマーインターンに参加した時、どうしてもよく分からないというか、心に引っかかることに出会った。 そのインターンは、名の知れた企業のものであったからか、はっきりと理由は分からなかったが、倍率が高く、参加しているのはそのとんでもない倍率を勝ち抜いた有名大学の人たちばかりだった。 私はというと、当時運営していたコミュニティの運営のヒントを得るため、そして就活が本格化する前にそもそも就活とはどんなものなのかを知りたくて、大学2年でそれに参加した。 自分は学歴も全国的に

          過去の自分にぶん殴られる

          最近携帯のメモを整理していたときに、ふと昔自分が書いた言葉を見つけた。脈絡も無くさまざまな所に残されたそれらを見つけてはぶっ刺され、ぶん殴られていた。 不安で、大丈夫になりたくて、自分を保つために書いていたこと。 前に進んでいることを実感し、自信に満ち溢れていた時に書いたこと。 痛くて、刺さった棘が何年も抜けなかった頃の叫び。 悶々と考えていたことが繋がって、「これだ!」と確信して綴ったこと。 どんなに綺麗事であっても諦めたくなくて、負けたくなくて、忘れないでいたか

          過去の自分にぶん殴られる

          主語はいつだって

          ここ何ヶ月か、言葉にするのが怖くなってしまった時期が続いた。 SNSで見かける攻撃的な言葉の多さに心を疲弊させていたし、年々そういった言葉が増えている気がして、どうしようもなく苦しくなる。 言葉で切り取ってしまうことの怖さ、そしてその怖さを知っているのにも関わらず、自分自身の言葉が強く伝わってしまうことに途方に暮れてしまった。 自分が好きだったり憧れである人や作品はその存在が語りかけてくるのに、私はどうも喋りすぎる気がしている。 言葉にするたびにその憧れとの埋まらない

          主語はいつだって

          潜水と酸素

          深く、深く、静かに潜っていく。 その先に何があるのかも知らず、ただその奥へと招かれている気がして、何かの引力に吸い込まれるかのように。 ただまっすぐと潜っていく。 そして呼吸を忘れた頃、見上げた空の高さに絶望する。 息が出来ないことに気がつく。 このまま堕ちてしまいそうだと悟った時、君は現れて、いとも簡単に水面へと私を引っ張り上げる。 君はいつも一緒に潜ってくれない。 君はいつも一緒に落ちてきてくれない。 けれど私が呼吸を忘れた時、必ず君はやってきて、私には呼吸

          潜水と酸素

          痛くて、青くて、切実だから

          年々、心から安心したり尊敬できる人生の先輩達にたくさん出会えるようになって来た。 そんな彼ら彼女らと話していて感じることは圧倒的な憧れと自分の青さへの嫌悪だった。 そりゃ5歳とか10歳も違うんだから、同じ目線になんて立てるわけないし、そんなこと当たり前なのに、まだまだ未熟で青くて子供染みている自分が恥ずかしくなる。 元々人に弱みを見せるタイプではないのに、そんな先輩方と話しているとすぐに私の悩み相談になってしまうし、私ばっかずっと喋ってるなーと感じる。 そう感じる度に

          痛くて、青くて、切実だから

          結び直す

          最近、人との繋がりを結び直すことが多い。 例えば、学校で会えば話すぐらいの友人と知り合って何年も経ってから2人で遊ぶようになって、人生相談するようになったり、付き合いの長い友人が見せてこなかった一面を見たり、こちらが見せたり。 父が映画が好きで、母が創作が好きだったことも大人になってから初めて知った。 歳を重ねて、お互いに色々なことを経験して、元々あったであろう小さな共通点が大きくはっきりと見えるようになって、それに気付いた時、あれよあれよという間に心の距離がぐっと近く

          結び直す

          耳を傾ける

          「騒がしいなかで大切なことを伝えたいなら、大きな声じゃなく、小さな声で話しなさい。そうすればみんな静かに耳を傾けてくれるよ。」 誰に言われたのかは忘れてしまったけど、この言葉が頭の片隅にずっと残っていた。 LUKAさんの歌はまさにそれで、彼女の声はどこまでも透明で、ささやくように、けれどしっかりと身体の中まで届いてくる。 溶け出したひかりや空気が身体に浸透するように、それはまるで呼吸をするように。 そんな彼女の歌を大好きな場所で聞いている時、あの言葉をふと思い出したの

          耳を傾ける

          揺らぎの中で

          目に見える分かりやすいものではなく感覚に目を向けようと決めたこの年は、揺らぎ続けた一年でした。 何度思い出しても涙が出るような美しい光景にたくさん出会ったり、遠く離れていても繋がりを感じるあたたかな友人たちに出会うことが出来ましたが、それと同時に揺れて揺れて、正直吐きそうになることも本当に多かったです。 システマチックにこれをすればこれだけの結果が出るという世界から、経験も知識もツテも一切なく、全くもって正解が無い表現の世界に身ひとつで飛び込んだ一年。 ひとって豊かな生

          揺らぎの中で

          足を運ぶこと、見つめ続けること。

          旅を終え、真っ先に思い浮かんだのはこの先もフィールドワークを続けていきたいということだった。 その土地へ足を運び、その土地に息づく呼吸の仕方を日々の生活を通して全身で感じる。 その土地の人にとってはなんでもない、ただの日常のこと。 その営みの中に身を置くことは、知らない感覚を知るのと同時に自分の中の奥深くに眠る何かに目を向けることのような気がする。 普段の生活で見落としてしまう何か。 無意識に蓋をしてしまっている自分の中の何か。 生きるということのその生々しさ。 そ

          足を運ぶこと、見つめ続けること。

          生活と祈り

          顔も知らない誰かが、今日もどこかで生きている。 ただそう感じる時、幸福感のような、安心感のような、不思議なあたたかい気持ちに包み込まれる。 そして、美しい景色を見たとき、心が満たされたとき、ふと、知らない土地に住む、顔も知らないあなたが、今日も穏やかな一日を過ごせますようにという祈りのような気持ちがどこからともなく生まれてくる。 イベントの下見で友人について行った早朝5時半の王子ヶ岳。 山頂に着いた頃には少しずつ夜が明け始めていた。 この山は少し不思議で、周りの山と

          生活と祈り

          あの地にて

          日本に帰国してからというもの、文章が書けなくなった。 英語漬けの日々だったデンマーク滞在中は、あんなにも日本語ですらすら書けたのに、帰ってきた途端、綴ることが出来なくなった。 帰国して初めの三週間は言語の移行期によるストレスだったと思う。 デンマークに渡った際も、初めの一ヶ月ぐらいは英語でも日本語でもうまく考えることが出来なくなり、自分が何を感じているのかもよくわからなくなって、頭の中が飽和してしまう時期が続いた。 どちらの言語でも上手く話せなくなることは留学あるある

          あの地にて

          憧れと、羨望と、焦燥と。

          ロンドンからコペンハーゲンへの帰りの飛行機の中で1人、お気に入りとなったV&A Museum のことを思い出す。 こんなにも美の基準が異なる、世界各国から集まった展示物達を、それを正しく捉えて平等に展示し、それでいて独立したものではなく、西洋スタイルの建築にフィットした、全体の繋がりを感じさせる空間に感動した。 違いはあれど、私たちは平等なんだと強く感じた空間だった。 特別展も元々自分が好きなファッション関係のもので、人々やデザイナーの意志と、誇りと、確かな技術、そして

          憧れと、羨望と、焦燥と。

          夕景の中で

          人の顔はこんなにも美しいものなのかと思った。 西日に照らされた彼は本当に美しくて、この記憶を一生忘れてはいけないと思った。 学校を修了し、次の場所に動く前に一度まとまった時間を取って、この半年の生活を自分でちゃんと咀嚼したかった私は、ボランティアとしてそのまま学校に残っていた。 長くても、この国に滞在できるのもあと2ヶ月と少し。 帰国が現実味を増し、今後の人生を考える事が増え、部屋で1人で考える時間が増えた。 ここにいる人たちはみんな気さくでよく話しかけてくれるため

          夕景の中で