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主語はいつだって

ここ何ヶ月か、言葉にするのが怖くなってしまった時期が続いた。

SNSで見かける攻撃的な言葉の多さに心を疲弊させていたし、年々そういった言葉が増えている気がして、どうしようもなく苦しくなる。

言葉で切り取ってしまうことの怖さ、そしてその怖さを知っているのにも関わらず、自分自身の言葉が強く伝わってしまうことに途方に暮れてしまった。

自分が好きだったり憧れである人や作品はその存在が語りかけてくるのに、私はどうも喋りすぎる気がしている。

言葉にするたびにその憧れとの埋まらない差が開いていくようで心のしこりが大きくなっていった。

強すぎる言葉は好きじゃないのに。

誰も傷つけたくないのに誰かを傷つけてしまっているかもしれない。

そんな中、縋るような思いで、文学者である荒川裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』を開いた。

この本を読むのはこれが2回目なのだが、初めて読んだ時、荒川さんはとても正直な人だなぁと思った。今回もその印象は変わらない。

荒川さんは「言葉が壊されている」と繰り返し語り、警鐘を鳴らす。ここでいう「言葉が壊されている」とは言葉遣いなどの用法の話ではなく、人の尊厳を傷つけるのに躊躇いのなくなっていることや言葉が持つ優しさなどのポジティブな面が壊されていることを指す。

荒川さんは、本の中でマイノリティを排除しない共生社会を目指すためにこのようなことを言っている。

ぼくは、自分の息子に「いろんな事情を持った人たち」と共に生きてほしいと思っている。なぜなら、ぼくの息子も「いろんな事情を持ったひとり」だからだ。息子が排除されないために、息子には排除してほしくない。(『まとまらない言葉を生きる』荒川裕樹 柏書房 p.67)

これはこうあるべきだからという綺麗事ではなく、心の底からの本音だった。

心からの声だからこそ、こちらの胸にぐさりと刺さって頭から離れない。

自分がされて嫌なことは人にしない。
誰もが子供の時に大人から口酸っぱく言われたことだ。

そして彼は、理不尽な社会を目の前にして自分はどうするのか?どうしたいのか?という脳性マヒ者であり、障害者運動家である横田弘さんからの問いかけを反芻する。

読者の私たちに一方的にそれを押し付けるのではなく、彼も彼自身に問いかけている。

当たり前だけれど忘れがちな本当に大切なことを問いかけてくれた。

この本はこの先も何度も何度も読み返すだろう。ピンと来た人にはぜひ手に取ってもらいたい。

デンマークにいる時、授業でハイキングに行った際に先生との会話の中で似たような話になったことがある。

彼女は30歳前後で、旅が好きで色んなボランティアを経験してから先生になった。分かりやすいことに囚われず、その中にある複雑さを眼差し、いつもまっすぐ見つめて対話してくれる私の大好きな先生だった。

先生と言いつつも歳の離れた友人のような存在だった。

お互いにデンマークのこと、日本のこと、人生のこと、社会に対するもやもやをひとしきり話したところで、彼女は私に問いかけた。

「あなたはどうするの?あなたはどうするのが良いと思う?」

そうだ、いつだって主語は自分なんだ。

そして彼女はこう続けた。

「人と生きる中で例え傷つき、傷つけてしまう事があったとしてもそれ自体が悪かどうかではなくて、大事なのはそうなってしまった時、食事でもしながら『ねぇ、そういえばあの時実は傷ついたんだよね〜』『そうだったんだね、ごめんね』と言い合える関係性なんじゃないかな。」

それを聞いた時、あぁ色々難しく考えてきたけど、結局大事なのはこれじゃないかと拍子抜けしてしまった。

そんなことを思い出しながら、少しずつ言葉と向き合ってみる。

どれだけ気をつけていても、人は意図を取り違えてしまったり、不本意に人を傷付けてしまうこともある。そして、人に配慮し過ぎると誰にも何も言えなくなってしまう。

故意に傷つけることはもちろん悪だが、言葉にする上で切り取られ、こぼれ落ちてしまうものが出てしまうことや意図せず傷つけてしまう人が出てしまうことは避けては通れない。

大事なのは、自分が目の前のあなたを大切にし、あなたを大切にするために自分自身を見つめること。言葉に切り取られたその先を見つめること。

主語はいつだって自分なんだ。



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