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憧れと、羨望と、焦燥と。

ロンドンからコペンハーゲンへの帰りの飛行機の中で1人、お気に入りとなったV&A Museum のことを思い出す。

こんなにも美の基準が異なる、世界各国から集まった展示物達を、それを正しく捉えて平等に展示し、それでいて独立したものではなく、西洋スタイルの建築にフィットした、全体の繋がりを感じさせる空間に感動した。

違いはあれど、私たちは平等なんだと強く感じた空間だった。

特別展も元々自分が好きなファッション関係のもので、人々やデザイナーの意志と、誇りと、確かな技術、そしてそれへのリスペクトが詰まった最高の展示だった。

3日しかないロンドン滞在の中で、その美術館には2回も足を運び、ほとんどの時間を過ごした。

やはりあれは素晴らしかったなと思っていると急に涙が溢れた。

止まらなかった。

始めは何故か分からなかった。でも感動から来るものではないというのが分かる。

あぁ、私は悔しかったのか。

憧れと、羨望と、焦燥が、ぐちゃぐちゃになって涙として出てきたのか。

目指したい世界がある、向き合い続けたいものがある、創り上げたいものがある。

だが、どの手段で進めば良いのか、まだ分からない。

土台となる思考、人間の部分を磨くこと、あらゆる眼差しから見つめるためにその視点を獲得することは、スキルを磨くことと等しく重要で。もしかしたらそれ以上に重要なのかもしれないとも思う。

それは時間がかかるものだから、今まで色んな人に会って、話して、色んなものを見て、触れて、学んで、試してきたことは後悔していない。

むしろ、すごく大切な時期だったと思う。

だが、「これだ」という手段がまだ見つからないのである。

そして、「これ」を見つけた人たちは、すでにどんどんその道を極めている。

それに比べて私は、目指すところは分かっているのに、未だにスタートラインで地団駄を踏んでいるように感じる。

「これだ」と決め切れないのも、自分の出来なささを自覚したくないだけで、逃げているだけなのではないかと悲観的になる時もある。

だが、ぴったり来るものにまだ出会えていないことは事実だし、試してきたひとつひとつのことも適当にやって来たわけではない。

悔しい、悔しい、悔しい。

隣の席の女性にぎょっとした目で見られている気がした。

恋人に振られての傷心旅行か、身内に何かあったか、仕事をクビになったのかとでも考えているのだろうか。

彼女からの視線が少し痛いなと感じつつも、それでもただ涙が止まらなかった。

自分だって、やりたい。やらせて欲しい。その世界で戦わせて欲しい。

何者かになりたいから出てくる意欲ではない。

むしろ、有名になったり、肩書きが大きくなるにつれて、大切なものが見えにくくなって、分かりやすいものだけが一人歩きするような気がするから、有名になんてなりたいわけではない。

名声を得たいとか、お金を稼ぎたいとかじゃなくて、この自然と体の内側から湧き出る衝動とも呼べる何かを止めることが出来ないのだ。

狡い。「これ」を見つけて、既に、着実に歩みを進めている彼らを狡いだなんて思ってしまう。

私だってやりたいんだ、やらせてくれよ、その土台に立たせてくれよ。

自分の力を過大評価しているのだろうかとも考える事もあるけれど、今の自分には何のスキルも無いけれど、ただ、もっと深くに潜って行きたいという、体の中に渦巻く衝動を止められない。

この苦さを、若者特有の悩みだと、一括りにカテゴライズされてしまうのも悔しくて堪らない。

私は、人間の人間としての美しさを諦めたくないし、しょうがないで片付けてしまわれがちな理不尽な社会と、生きることと、やはり向き合っていきたい。

体を壊してから一年半ほど、ただ生きること、呼吸をすることだけに集中してきた自分にとって、以前の様な、体の内側から湧き出る、深く潜って行きたいというこの衝撃が、自然と戻って来たことがすごく嬉しかった。

ましてや、以前よりも強い力が、今、体の中に渦巻いている。

どうやら私は、次の段階に来たらしい。

1週間後、約8ヶ月のデンマーク滞在を終えて日本に帰国する。

ありがたいことにご縁をいただいて、1ヶ月と少し、気になっていた場所でお手伝いさせていただく機会をいただいた。

まだまだ自分は、青くて、ダサくて、何も持っていないけれど、この「これだ」と分かっていない時期だからこそ見える世界を忘れないよう、等身大で進んでいきたい。




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眠れない夜に

いつも、応援ありがとうございます!いただいたサポートは10月までのデンマーク旅に使わせていただき、そこで感じた物を言葉や写真、アートを通してお返しできたらなと思っています。