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流れゆく日々にアンカーを打つ

ここ最近日記を書き続けている。

生まれてこの方、日記なんぞ三日坊主で終わることばかりで、なんなら日記のような人が見ていない所であっても素直に感情を吐露することが元々は苦手だったのだが、今回は3ヶ月も続いている。

書き始めたキッカケはNetflixのオードリーの若林さんと星野源さんの番組『LIGHT HOUSE』。

番組の中で2人はそれぞれ書いた日記を何ヶ月かごとに持ち寄って、答えを出すわけでもなくあーだこーだ会話する。

ままならない日々の悩みや生きづらさを馬鹿にせず、一緒に悩み、考えている2人の姿にものすごく励まされたのだ。

そして思いっきり影響を受けて、星野源さんのエッセイと若林さんのエッセイを読破し、番組プロデューサーの佐久間さんのラジオをあれからずっと聞いている。これが全部面白くて堪らない。

そんな流れであの2人が書いてたように日記も書き始めた。

毎日書けないときもあるけれど、何となく書き留めたくなったとき、何かことばが降って来たときや今まで悶々と考え続けて来たことがバチッとハマったときに書いたり、その日心が動いたことを書いたり、詩のようなものを書いたり、形式は全くもって自由である。

自由というのは難しい。
自由にと言われると昔からどこかで上手くやろうとか綺麗にやろうという自意識が邪魔して上手くいかず、自由にやるってどうすればいいんですか?と困ってしまう自分がいた。

留学中のアートの時間でも自由に作って〜と先生に言われてもちっとも進まずどうしようかなと考えてばかりで、「あんたは手動かすまでが長いんだから!」とよく言われてた。

けれど文章を書いたり、写真を撮ったり、絵を描く中で少しずつ上手くやらねばという呪縛から解かれつつある。

何にも囚われず日記が書けるようになったことから自分が少しずつ呪縛から解放されていることに気が付きなんだか嬉しくなる。

文章を書き始めた2年前とは打って変わって感情を流るるまま、湧き上がるままに書くことが出来るようになったなぁと感じつつ、見返してみると覚えてもいないことで感動したり、嫌な思いをしたり、怒っていたり、なんだ色んなことが日々起きているんじゃないかと気付かされる。

不快な感情は忘れようと努力したり、特に怒りの感情は持たないようにしようと意識的にしてしまうから、あぁそっか私傷付いたり怒ってたんだなぁと驚いた。

忙しかったり、大きな出来事があるとそのひとつの点から目が離れなくなってしまってその周りに広がる世界が見えなくなってしまうときがある。

けれど、そのひとつの点に集中している間にも私たちは着実にもう二度とやってこない今日という一日を過ごしている。

ぼんやりと今週はなんも無かったなぁと思っていても振り返ってみるとケの日の色彩がそこにはある。

たぶんだけれど、人生の大半はそんな目を留めなければぼやけてしまうようなささやかな日々なのだろう。

誰にも見せることない、自分のためだけの日記。

そんな日々の些細な感情を、そこに確かにあった日々を無かったことにしないように、流れゆく日々にアンカーを打つ。

いつも、応援ありがとうございます!いただいたサポートは10月までのデンマーク旅に使わせていただき、そこで感じた物を言葉や写真、アートを通してお返しできたらなと思っています。