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あの地にて

日本に帰国してからというもの、文章が書けなくなった。

英語漬けの日々だったデンマーク滞在中は、あんなにも日本語ですらすら書けたのに、帰ってきた途端、綴ることが出来なくなった。

帰国して初めの三週間は言語の移行期によるストレスだったと思う。

デンマークに渡った際も、初めの一ヶ月ぐらいは英語でも日本語でもうまく考えることが出来なくなり、自分が何を感じているのかもよくわからなくなって、頭の中が飽和してしまう時期が続いた。

どちらの言語でも上手く話せなくなることは留学あるあるだとは思うが、深く思考すること、言葉で表現することがアイデンティティの大部分を占めていた私にとって、この時期は本当に辛く、こんなのは自分じゃないと感じる地獄のような日々だった。

何も文章を生業としているわけではないのにと思うが、それでも書くことは私の一部なのだと思い知らされる。

英語から日本語への移行期にも同じことが起こるだろうと予想はしていたけれど、こんなにも書けなくなるなんて思ってもみなかった。

話すことは、三週間もすれば徐々に自分の言い回しが戻ってきたのだが、文章を書くことだけは一ヶ月経っても出来なかった。

伝えたいことの、ど真ん中どストレートじゃない。

この文章は誰が書いているのだろうと思うほど、自分の言葉達じゃないように感じる。

気持ち悪い。

ここの下書きにいくつものボツになった文章たちが眠っている。

個人的なエッセイではあるけれど、綴ることをここ2年ほど続けてきた、言葉が好きな自分にとって、新しい土地で出会う人たちに「文章を綴るのが好きで、」と自信を持って話すことも出来なくなってしまった。

長く大切にしてきたものが失われてしまった気がして、自分の一部を失ったように感じていた。

歯痒さというより、今まで積み上げてきたものが無に帰すような感覚に襲われる。

腰を据えて頑張ろうと日本に帰ってきた自分にとって、糸口になり得ると思っていたものが消えてしまい、スタートラインからさえ蹴り落とされてしまったように感じる。

ここに集まる人は感性が素敵な人が多いから、余計に自分が感じている事を表現出来なくなってしまっている状態で出会いたくなかった。

たしかに大事に手に持っていたものが、いつのまにか跡形もなく消え去ってしまったようだった。

書けば書くほど自分の人格が言葉から消えてゆくし、どう頑張って書いても書けないし、そもそも書きたい衝動に駆られた時にだけ書く、感情に嘘を付かない、それっぽく書いて当てに行かないことは最低限のルールにしていたから、書けるようになるまで距離を置くことにした。

幸い、表現は綴ることだけじゃなく、写真もやっていたから、ここにいる間は撮りたいものを撮って過ごそうと決めた。

自分は元々カメラ友達も居なかったから一緒に撮りくなんてこともなく一人で気になったもの達をスナップで撮っている。

ここは写真を生業にしている人たちもよく遊びに来てくれる。

そこで初めて、カメラをやってる人たちに自分の写真を見てもらう機会ができた。写真という共通言語ができた。

言語が見つかって嬉しかった。

言葉での表現以外で、自分が見てる世界のこと、考えていること、彼らが見てる世界のこと、考えていることを話せる言語が見つかったことが嬉しかった。

やっと呼吸ができた気がした。

それでも何日経っても綴る事は出来なくて、書こうとすると何を書けばいいのかさっぱりわからなくなってしまって、書き始めてもしっくり来る表現が見つからなくて、心の中にしこりが残り続けていた。

そんな中、岡山にきて1ヶ月半ほど経った頃、去年、初めての一人旅の地に選んだ牛窓へ、友人を訪ねに行く予定ができた。

牛窓に向かうバスの中、あの懐かしい田舎道を通る中で、いきなり頭の中に沸々と言葉達が湧き上がって、雪崩れ込んできた。

言葉を取り戻そうと本を読んだり、一人で外へ出掛けたあの時には得られなかった感覚だった。

ああ、戻って来た。

ただ、ただ、驚嘆して、言葉で表現できる幸福を感じている。

やっと、言葉が話せる。

この感覚は初めてだ。

牛窓には二日間滞在したが、滞在中ずっと、体の中は言葉で溢れていた。

体の中に渦巻く衝動にやっと言葉たちが乗ってきた。

懐かしいあの通り、あの場所、あの小道を見るたびに湧き上がるものがあった。

一年という時間の中で、自分が歩んで来た道を照らし、何を感じ、どう歩みを進めて来たかを思い出させてくれた。

この土地に定点観測しに戻ってこなければいけないとふと思った。

頻繁に通える距離じゃないからこそ、何年か経った時、同じ街で、感じること、目に留まるもの、書き留めたいこと、切り取りたいものがどう変わるのか、見てみたい。

そしてそれを書き記してみたい。

一年越しの牛窓は、自分に言葉を取り戻してくれた。

またこの地を訪れる時、その時、私の中に何が生まれるのか。

そんなことを楽しみにこれから生きていこうと思う。



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眠れない夜に

いつも、応援ありがとうございます!いただいたサポートは10月までのデンマーク旅に使わせていただき、そこで感じた物を言葉や写真、アートを通してお返しできたらなと思っています。