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『ニンゲンはお好きですか』 #3 連載小説

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最初『ニンゲンはお好きですか』#1
前話『ニンゲンはお好きですか』#2

「ひーちゃん、遊ぼ!」
「やだね、『ちゃん』で呼ぶなって言ってるだろ」
「もうひーちゃん、いつになったら、────」

 トントン。肩を叩かれ、重い目蓋を上げた。
 映るのは暗色のカウンター。組んでいたはずの腕はだらりと床へ垂れている。

「紘人くん、もうクローズの時間だよ。おはよう、起こして悪いね」
「……柳田さん。すみません、僕寝てたみたいで」
「うたた寝はいいんだけどさ、ずいぶん疲れてるようだったから。大丈夫かい? 仕事忙しいの?」
「いやちょっと今後の事とか考えてただけで、大丈夫っす」
「将来か。うちの跡を継いでくれるのが紘人くんなら大歓迎だけどねぇ」

 白毛混じりの顎髭をひと撫でした柳田は空いたカップを下げる。「ええっと」と返しを詰まらせている紘人に「冗談だよ、深く捉えないでくれ」と笑って後片付けを始めた。

 じゃあそろそろ、と紘人が立ち上がる。
 二千円を出したら少しの釣り。最後まで長居してしまった割に大した貢献もせず少し心苦しかった。小銭入れを開いて会計を待つ。
 柳田は小銭を返す前に、ああ、と思い出したように問いかけた。

「最近よく来るお嬢ちゃん。あの娘、紘人くんの紹介でしょ? うちみたいなオンボロ喫茶じゃあ若いご新規さんって珍しいからね、ありがたいよ」

 はいお釣り、とレシートと合わせて紘人の手に乗せた。

「あの人とは最近出会って。……いやぁ難しいですね」
「えっ難しいって恋愛が? おじさんに恋愛相談?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて」
「俺で良かったら聞くよ、何が難しいの」

 余計な一言を零してしまった紘人は、渋々凛子の話を触りだけすることにした。

「マッチングアプリで知り合ったばっかりで、まだ何もないです」
「へぇ。最近はそういうアプリっていうのでデートに誘うのか、時代だねぇ。いやぁ、なんにせよ楽しみだ」

 楽しみ、なのか? まだこれからがあるのか分からないし、続いた先のことを思うとどうしたらいいやらで。当惑した紘人は口を噤んでしまった。

「おやそんな険しい顔して。若いんだから全力で楽しまないと。もしかして紘人くん、そういうの苦手なの?」
「柳田さん、苦手ですって言わせようとするのやめてください。凛子さんは、別にそういう人じゃないんです」
「え、じゃあどういう人?」
「あ、えっと。とにかく、僕は家族を、……ああいえ、もういいです。この話はこれで」
「家族になる人を探してるってことでしょ? 真面目でいいじゃない。そっかそっか凛子ちゃんっていうのかあ。上手くいくといいねぇ」

 紘人は、しまった、と目を見開いた。
 うっかり名前を告げてしまい、きっと彼女がこの店へ来た際にはマスターが話しかけるに違いない。今のこの会話だって彼女に伝わるかもしれない。

「はは、そんな驚かなくても。大丈夫だって、お客さん第一主義だから。個人情報は話さないよ」

 長い付き合い、という訳ではないが、信頼は置いている。困ったときには助けてくれたマスターだ。けれどもどこまで信用して良いのか。こればっかりは分からない。どうか妙なことを吹き込みませんように、と小さく願った。

「紘人くん。寝てる間に雨降ってきちゃったよ。傘ある?」

 柳田はキッチンから四つ窓の外を見た。
 鞄に入れている折り畳み傘を探すも、どうやら別の鞄に入れてしまったらしい。「いえ、」と哀しげな声を落とすと、柳田が入り口まで降りてくる。そして傘立てに置いてあった黒い雨傘を「使ってよ」と差し出した。

「すいません、ありがとうございます。また返しにきますね」

 ──カラン、と鳴る低くも高くもない鐘の音。外の雨音が強まって、心地良い金属音はすぐに掻き消された。
 真っ暗闇に向かってワンタッチで傘を開く。紘人は最後まで見送る柳田に会釈をして、店を後にした。

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