富田 邦明 (Kuniaki Tomita)

Consulting Office SMART代表。シニア起業家。ベテランITコンサル…

富田 邦明 (Kuniaki Tomita)

Consulting Office SMART代表。シニア起業家。ベテランITコンサルタント。1956年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、大手総合リース会社にて複数の部門を経験。55歳でアーリーリタイアメントし現在に至る。ブログ : http://co-smart.net/

最近の記事

あとがき (第2稿) ブログを続けていたら、人生が変わった……

「ブログを続けていたら、人生が変わった」……。 ブログを長く続けてきたほとんどの人が、異口同音に口にする言葉です。 最初に聞いたときは半信半疑でした。そして、本当に人生が変わるのか試してみようと思ったのです。僕がブログを開設したのは、2012年10月です。そして、2014年元旦からいまでも毎日、更新し続けています。毎朝ブログ記事を書くようになって、もう6年半が経つわけです。 これだけ続けていると、1000字や2000字程度の文章を綴ることなど苦にならなくなります。で

    • 第12章(第2稿) 一生は短い……。だから、人を愛し自分らしく生きることを貫く

      2019年5月のある朝、僕は息を引き取った義母が横たわるベッドの横で立ち尽くしていました。前日の深夜、病院からの急報に接し、妻と義兄の3人で急いで駆けつけ、まんじりともせずに付き添い、命の灯が徐々に徐々に消えていくのを見守りました。 そのことを後日知人に伝えたとき、以前、その方の御尊父が亡くなられたときの様子を教えてくれました。 すい臓癌だったお父上は、ご家族が出かけている時に突然自宅で吐血し75歳で亡くなられたそうです。お母上はショックが大きく、しばらくは食事も喉を

      • 第11章(第2稿) 失敗することを恐れるのではなく、挑戦しないことを恐れる

        『江戸いろはかるた』の一枚に「念には念を入れる」という言葉があります。用心の上にさらに用心を重ねよ、手抜かりがないかどうか細心の注意をせよという意味です。 「念を入れる」とは、間違いのないように気を配ることを強めた言い方になります。 また、同義のものとして「転ばぬ先の杖」「濡れぬ先の傘」「石橋を叩いて渡る」などがあります。 身の安全を確保するために、用心を重ねることは重要です。たとえば、登山をするのに十分な装備を整えるのは命に関わることです。当然、念には念を入れてやる

        • 第10章 (第2稿) 今ここで命が絶たれても、後悔しない生き方ができているか

          「歳月人を待たず」という諺があります。時は人の都合などお構いなしに過ぎていき、とどまることがないものだ、という意味です。 転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間を無駄にしないで、努力に励めよ、という戒めも含んでいます。 漢詩人 陶淵明の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づくそうです。

        あとがき (第2稿) ブログを続けていたら、人生が変わった……

          第9章(第2稿) 自らの最期を思い描き、どう憶えられたいのか自問自答しつつ生きる

          人間誰しも生きているということは、誰かと関わりながら日々を過ごしているはずです。1日誰にも会わなかったとしても、家の中に存在するあらゆるものは、 誰かの手により作られ、運ばれ、そして手に入れたものです。家そのものもそうです。 そうした誰かの手がなければ、1日も生きていくことはできません。そして、ビジネス社会や地域のコミュニティで過ごすとなれば、多くの人と関わり、お世話になりお世話をしながら生きていくことになります。 上條恒彦さんが歌った「生きているということは」という

          第9章(第2稿) 自らの最期を思い描き、どう憶えられたいのか自問自答しつつ生きる

          第8章(第2稿) 小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道

          故事ことわざに「愚公、山を移す」という言葉があります。その意味は以下の通りです。 その昔、中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山を他へ動かそうと、土を運び始めました。 人々はその愚かさを嘲笑しましたが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向にひるみませんでした。 その志に感じ入り、天帝 (神様) が山を移動させ平らにしたという故事に基づき、どんなに困難なことでも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず成し遂げることができる、

          第8章(第2稿) 小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道

          第7章(第2稿) 八方塞がりでどうしようもなくても、明けない夜はないと信じる

          フリーランスのITコンサルタントとして独立して8年以上経ち、こうして曲がりなりにも仕事ができているのは感謝しかありません。でも、独立当初から順風満帆で過ごしてきたわけでは当然ありません。 過去に33年間会社員生活をしてきたわけですが、その間一度も給料を遅配されたこともなく、年に二度支給されるボーナスも金額について程度の差はあれ必ず頂いてきました。 それが、フリーランスとして独立した途端になんの保障もなくなりました。さぼっていたら月の売上などすぐにゼロになります。手がけ

          第7章(第2稿) 八方塞がりでどうしようもなくても、明けない夜はないと信じる

          第6章(第2稿) 失敗したときは「学びの機会」を得たと捉え、淡々と次に取り組む

          前章の最後に「ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くし、出た結果に100パーセント責任を負う覚悟を持つことで、不安を感じたり悩んだりすることはほぼなくなったのです。」と書きました。 が……。 数か月が経ったころ、その「ベストを尽くす」こと自体が、とてもつらくなってきました。そして、なかなか結果が出ないこともあって、自分に自信を失ってきたのです。 こうなると悪循環です。出た結果に100パーセント責任を負う覚悟をもったはいいけど、それが自分の期待にそぐわないと、自己肯定

          第6章(第2稿) 失敗したときは「学びの機会」を得たと捉え、淡々と次に取り組む

          第5章(第2稿) ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くし、出た結果に全責任を負う

          フリーランスとして独立した当初、実に分からないことが多く右往左往したものです。まあ、独立するまでの33年間、会社組織に属していたのですから当然ですが。 個人事業主の開業届を出したりするのは、税理士さんにお願いして届を作ってもらい、それを持って税務署に提出すれば済みますが、自分のビジネスをどう展開していくかなどは自分で考え、最終的に自分自身 で決めていかなくてはなりません。 僕は、ITコンサルタントという肩書きを名刺に刷っていますが、お客様は中小企業の社長さんが中心で

          第5章(第2稿) ゴールを目指す過程で自分のベストを尽くし、出た結果に全責任を負う

          第4章(第2稿) 自分が行ってきた習慣から、点と点をつなぎ一つの考えを紡ぎ出す

          「思い込み」「固定観念」を排し、さまざまなことを思い浮かべて、それらをアメーバのように変形させながら有機的に結びつくよう試みる。それによって、ピカソの言う「生まれながらの芸術家」に回帰しようとする試みは、頭の固くなったおじさんには、なかなかたいへんなことでした。 ウンウン唸っていたある日、スティーブ・ジョブズの言葉を思い出しました。それはあまりにも有名な伝説のスピーチで述べられた言葉です。 「点と点はつながる」と信じて、今の点を選択せよ 過去、現在の点がやがて、将来の

          第4章(第2稿) 自分が行ってきた習慣から、点と点をつなぎ一つの考えを紡ぎ出す

          第3章 (第2稿) 固定観念をそぎ落として生まれながらの芸術家に戻る

          2012年暮れに定めた「行動指針」に従い、「みっともなく、恥ずかしく、痛い」位の姿を晒し、「みっともなくジタバタあがく」を自らに課すことで、それまでの気持ちはふっきれて、他人にどう思われようと気にせず、躊躇もなく、思い切った行動をとれるようになりました。 しかし、そうして1年近くが経過したころ、ジタバタあがいているうちに、新たな悩みがムクムクと頭をもたげてきました。 みっともなくジタバタとあがくのは、ともすれば、過去の成功体験や常識に縛られそうになる自分を戒めるためで

          第3章 (第2稿) 固定観念をそぎ落として生まれながらの芸術家に戻る

          第2章 (第2稿) チャレンジとはジタバタとみっともなくあがくこと

          会社を55歳でアーリーリタイアメントし、フリーランスのITコンサルタントとして再出発して約半年が経った2012年の暮れに、再び転機が訪れます。 その年の11月に、あるセミナーのワークで「自分史」を作成し、生まれてからの人生を振り返る機会を得ました。その「自分史」を書くことで、自分の内面と深く向き合うことができたのです。 自分史の中で、20代のころに「打席に立って三振するより、打席に立たない方が恥ずかしいことだ。」という行動指針を定めたことを記しました。 自分史を作成した

          第2章 (第2稿) チャレンジとはジタバタとみっともなくあがくこと

          第1章 (第3稿) 世間体やプライドに負けていたら人生は変えられない

          2011年3月、それまで33年間勤めてきた会社を、55歳でアーリーリタイアメントした時、まず直面したのは周囲の人たちのドリームキラーぶりでした。 曰く、「フリーランスのITコンサルタントなんて、安定して稼げないからやめた方がいい」「なんでそんな仕事をするんだ。いい会社に転職した方がいいぞ」などなど。 そして、もう一つは自分の中にある思い込みです。戦後の高度成長期は、いい大学を出て、いい会社に入って、マイホームを建てて、出世して、いつかは役員、社長を目指す、という昭和生

          第1章 (第3稿) 世間体やプライドに負けていたら人生は変えられない

          まえがき (第3稿)

          あの東日本大震災が起きた9年前、2011年3月に僕はそれまで33年間勤めた会社をアーリーリタイアメントしました。 そのときの僕は55才。まだ独立する準備など整っていないのに、会社が発表した早期退職優遇制度に手を挙げ、認められて会社を辞めたのでした。 それまでの僕は、5才で幼稚園に入って以来、小学校、中学校、高校、大学、そして会社員生活まで通算すると50年間、何らかの組織に属していました。 それが、いわば突然、どこにも属していない立場になり、どうにも足元が覚束ない思い

          まえがき (第3稿)