第12章(第2稿) 一生は短い……。だから、人を愛し自分らしく生きることを貫く

タイトル

2019年5月のある朝、僕は息を引き取った義母が横たわるベッドの横で立ち尽くしていました。前日の深夜、病院からの急報に接し、妻と義兄の3人で急いで駆けつけ、まんじりともせずに付き添い、命の灯が徐々に徐々に消えていくのを見守りました。

そのことを後日知人に伝えたとき、以前、その方の御尊父が亡くなられたときの様子を教えてくれました。

すい臓癌だったお父上は、ご家族が出かけている時に突然自宅で吐血し75歳で亡くなられたそうです。お母上はショックが大きく、しばらくは食事も喉を通らず、憔悴しきってしまったそうです。

家族揃って、少しずつ少しずつ消える命の灯を見守りながら看取ることができたことは、良いお別れでしたね、と言って下さいました。

確かにピンピンコロリが理想の死に方、などと言われますが、義母の場合は癌による余命宣告、それに続く入院生活と、家族にとっては十分な心の準備と覚悟を持つ時間が与えられて良かったと思いました。

看取った後の我々家族は、もうこれで苦しまなくて済むね、よく頑張ってくれたね、という安堵と労いの気持ちの方が悲しみより大きかったかもしれません。

亡くなった義母は、本当に家族に対する愛情が海のように深い方でした。33年前に最愛の夫を病気で亡くした時は、もう一生立ち直れないのではないか、と思うくらいの深くて暗い悲しみの中に沈んでしまいました。

その後、数年がかりで子どもたちの励ましと、多くの方々のご親切、そして日にち薬に助けられ、日常を取り戻していきました。

そして、亡くなる直前まで、ずっと子どもたちや僕までも深く愛してくれました。義母の一生は、愛に満ちたものだったと思います。

義母の思い出を辿っていると、「トム・ソーヤーの冒険」の作者であるマーク・トウェインの言葉を思い浮かべてしまいます。それは次のような言葉です。

人生は短く、他人と言い争い、謝罪し、
胸にわだかまりを抱え、最後の審判を
待つような時間はない。

人生にあるのは人を愛する時間だけだ。
たった一瞬の人生は、そのためだけにある。

マーク・トウェイン (名言集より)

人間の一生は、宇宙の営みに比べたらほんの一瞬に過ぎません。そんな短い一生を人との諍いなどに費やしたくはありません。亡くなるその時まで、人を愛する時間だけを持ち続けたいと強く思います。

僕はいま64歳、還暦を迎えてから4年が経ちました。還暦とは、お馴染みの十二支(子丑寅卯辰巳・・・)と十干(甲乙丙丁・・・)を組み合わせた干支(えと)が一巡することに由来します。

「生まれたときと同じ暦に還る」(赤ちゃんに還る)という意味で、60歳を「還暦」と呼び、赤いちゃんちゃんこを着て祝うようになったのです。僕もこの一巡という節目を迎えるにあたって、「これでゼロ歳から改めてスタートするのだ!」と思いました。

還暦を過ぎた歳になっても、人として尊敬できて素敵な女性と巡り会えば、心ときめくことはあります。そして、その感情(感覚)を無理に抑える必要などないと思っています。

もちろん、浮気をしたいなどと不純なことは考えませんが、心ときめいたり胸がドキドキする時間を大切にしたいと感じたのです。

サムエル・ウルマンが残した有名な詩「青春(Youth)」に、次の一節があります。

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
   
 (中略)
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
    (中略)
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。
サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳 「青春」(三笠書房)

というわけで、短い人生です。いくつになっても恋心を抱いて、ときめきながら、青春を謳歌し若々しくいることは、何よりも大切なのです。

そういえば、「死ぬ瞬間の5つの後悔」(新潮社)という本があります。これは、数多くの「最期」を看取った女性介護人が死の床で聞いた、誰にでも共通する後悔について書いた本です。

この本には、生きていく上で本当に大切にすべきことが隠されています。

① もっと自分らしく生きれば良かった

これが一番多かった「後悔」の言葉だそうです。人は、生きている間は「こんなことは無理だ」「時間がない」と考えて、いろんなことを諦めます。

でも、亡くなる直前になって、実はいろんなことを諦めたのは、やむを得ない理由でなく「自分の決断次第だった」ということに気づきます。

健康は人を盲目にします。もう長くは続かない、と分かるその時まで、自由を見えづらくしてしまうのです。

僕が、この本の存在を知ったのはフリーランスになってから2年後のことでした。考えてみると、フリーランスとして独立起業した大きな要因の一つは、「自分らしく生きたい」という思いだったことは事実です。

この本に書かれている、あと4つの後悔は次の通りです。

② あんなにガムシャラに働かなくてもよかった

これは男性のほとんどが語っていたことだそうです。「馬車馬のように働き続けて、人生の時間を無駄にした。もう少し家族との時間を大切にすればよかった」と、深く後悔するのです。

僕も会社員だった40代に馬車馬のように働いた時期がありました。あるプロジェクトに従事していたときは、3ヶ月の間、夜中の2時、3時にタクシーで自宅に帰る日が続きました。その間に年末年始の休日を挟みましたが、その時は風邪をひいて寝込んでしまいました。今となってはいい思い出ですが。

③ 言いたいことは、はっきりと言えばよかった

多くの人が人間関係を円満に保つために、本音を胸の奥にしまいこんで生きています。いろんなことに腹を立て、溜め込んで、泣いて怒って、その結果として病気になってしまう人が、どんなに多いことか……。

僕も言いたいことが言えない時期は長かったですね。でも、会社員だった最後の50代に「残業はしない、でも前業はする」と宣言し、朝7時半出社、夕方5時半退社を徹底しました。夜のお付き合いも歓送迎会などオフィシャルなイベント以外はすべてお断りしていました。最初は、変な人と思われたようですが、そのうちそういう人なんだ、と周りは慣れてくれたようです。

④ もっと友達と連絡をとればよかった

せっかく長いつき合いができるようになった友達と疎遠になっていて、死の直前になってその大切さに気づく人はたくさんいます。なぜ、もっと友人関係に時間と努力を費やさなかったのか。みんな、死の間際になって後悔するのです。

これはこの本に登場する最期を迎えた方々の時代はSNSがなかったことが大きいでしょうね。今は、特にFacebookのお陰で、疎遠になった昔の友人とも再び繋がれる時代になりました。リアルに会わずとも、オンラインでやり取りするだけで旧交を温められるいい時代になりました。

⑤ もっと自分の幸せを追求すればよかった

これも、驚くほどよく聞く後悔の言葉だそうです。死ぬ直前まで、自分の人生に「幸福」という選択肢があることに思い至らなかったのです。古い常識にとらわれ、一種の諦めを持つことが大人だと勘違いして過ごしてしまいます。

あるいは、変化に臆病になって、つい他人の真似をしたり、世間の流れに追随して生きてしまう。そしていつの間にか、本当に自分らしく笑って生きることができなくなってしまう……。

笑ってしまうような「無邪気な人生」を取り戻したいと、人生の最期になって初めて心から後悔するのです。

これは、幸せの尺度を「他人との比較」におくことで間違うことが多いのではないでしょうか。他人と比べて、自分に不足しているモノやコトがあることで不幸に思うことはナンセンスです。自分がほんとうに好きなこと、本心からやりたいと感じることをやれれば、それだけでじゅうぶん幸せでしょう。

僕は、いまITコンサルタントという仕事を通して、お客様になんらかの価値をお渡しして、それに対して報酬だけでなく感謝の気持ちを表してもらったときに無上の喜びを感じます。それだけで明日もがんばろうと勇気づけられます。そして、健康でいられるかぎり、この仕事を続けていきたいと決心しています。

人は皆、いずれ自分がこの世から去ることを知っています。しかし、死は漠然としたものであり、現実味を持ったものではないでしょう。

でも、あと1年しか生きられない、と宣告されたらどうだろうと考えてみます。すると、死は一気に現実的なものとして迫ってきます。

としたら、あと1年をどのように過ごしたらよいのでしょうか。少なくとも、昨日から今日の延長線上を生きることはないと思います。

最期に、もう一度マーク・トウェインの言葉を記しておきたいと思います。

人生は短く、他人と言い争い、謝罪し、
胸にわだかまりを抱え、最後の審判を
待つような時間はない。

人生にあるのは人を愛する時間だけだ。
たった一瞬の人生は、そのためだけにある。

マーク・トウェイン (名言集より)


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