第11章(第2稿) 失敗することを恐れるのではなく、挑戦しないことを恐れる

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『江戸いろはかるた』の一枚に「念には念を入れる」という言葉があります。用心の上にさらに用心を重ねよ、手抜かりがないかどうか細心の注意をせよという意味です。
「念を入れる」とは、間違いのないように気を配ることを強めた言い方になります。

また、同義のものとして「転ばぬ先の杖」「濡れぬ先の傘」「石橋を叩いて渡る」などがあります。

身の安全を確保するために、用心を重ねることは重要です。たとえば、登山をするのに十分な装備を整えるのは命に関わることです。当然、念には念を入れてやるべきでしょう。

でも、多くのことは命に関わるほどのリスクがあるわけではありません。それなのに、ついついリスクを恐れて石橋を叩くようなことをして、ついには石橋を叩いて壊すようなことをしてしまいがちです。

それが自分が好きなこと、やりたくてたまらないことだったら、失敗するリスクがあってもまずやってみたらいいのです。それが転職するとか起業するとかなら、そのリスクを見極める必要はあるでしょう。

でも、考え方としては、失敗することを恐れるのではなく、挑戦しないことを恐れるべきです。挑戦するのは、自分の将来的な可能性に対する信頼の証明でもあります。

リスクを恐れて、安心・安全な道を探しているうちに、折角のチャンスをみすみす逃してしまうことはままあります。

僕が55歳で会社の早期退職者募集に手を挙げたとき、退職後の生き方についてじゅうぶんな準備はできていませんでした。でも次の言葉は知っていました。

「幸運の女神には前髪しかない(後ろ髪がない)」
「だからチャンスがやって来たら逃さずつかめ」

レオナルド・ダ・ヴィンチが言った言葉とされている

そして、迷うことなく早期退職に応募したのが2011年1月のことでした。同じ年の3月に東日本大震災が起こり、それからは激動の日々を送ることになりました。

その後の生き方については、その一部を本書で述べてきました。多くの先達の言葉に導かれ、また多くの方々の助けを得て、フリーランスのITコンサルタントとして曲がりなりにもここまでやってくることができました。

大成功とは言えませんが、少なくともローリスクミドルリターンのビジネススタイルを確立することができたと思います。そして、コンサルタント先のクライアントには報酬以上の価値をお渡しできたのではないか、と自負しています。

そして、クライアントの方から直接感謝の言葉を頂戴したときはほんとうに嬉しく感じます。ここまでやってきて良かったな、と心底思える瞬間です。

「挑戦するのは、自分の将来的な可能性に対する信頼の証明」と書きました。じゅうぶんな準備もなく安定した企業を退職して、フリーランスとして独立起業した理由は、今思えば、自分の将来的な可能性に対する根拠のない自信だったと言えます。

人は「右へ行くか、左へ行くか」という二者択一を迫られたときに、何を根拠に(頼りに)意思決定するのでしょうか。僕は、以前から次のような指針をもっていました。

「右へ行っても、左へ行っても、たぶんどちらも後悔するだろう。であれば、今の時点で精一杯考えて、どちらがより後悔が少ないか必死に考えよう。そして、将来その選択を振り返ったとき、決めた時点で懸命に考えた結果だから、その意思決定自体を悔やむのはやめよう」

挑戦して失敗することと、挑戦しないでいることを比較して、どちらがより後悔が少ないか考えれば、おのずと答えは見えてきます。

こうした意思決定について考える時、いつも「嫌われる勇気」の一節を思い出します。この本の冒頭に、次のようなキーワードが登場するのです。

人は常に「変わらない」という決心をしている。
ライフスタイルを変えようとする時、我々は大きな「勇気」を試される。
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」がある。

岸見一郎、古賀史健「嫌われる勇気—自己啓発の源流『アドラー』の教え」(ダイヤモンド社)

着目したのは、人が「現状を変えたいのに、いろんな制約があって変われない」と思っているのは、じつは「変わらない」という選択をしているだけだ、という見方です。

自分の好きな仕事をしようとしても、養うべき家族がいるから無理、住宅ローンを抱えているから無理・・・と色々できない理屈をあげつらうのも、そうした不安を乗り越えても好きな仕事をやるのだ!という「勇気」が足りないという指摘です。

要するに、変わることで生じる様々な「不安」より、変わらないでいることによる「不満」を選択しているというのです。

人間なにかをやろう、なにかを変えようとしたときに、それを阻む障害は容易にあげることができます。時間、お金、自らの能力などすぐに思い浮かびます。そして、準備が完璧に整っていなければ行動できないと考えます。

でも、そのような状況には一生かかっても出会えないかもしれません。であれば、どこかの時点で思いきって踏ん切る勇気が必要です。「こうしたらできるかもしれない」と思ったらやってみればいいのです。

注意しなければいけないのは、勝算が限りなくゼロであったらやめた方がいいということです。その状態で前に進んだら、それは勇気ではなく蛮勇になってしまいます。チャレンジではなく、ギャンブルになってしまいます。

また、人間歳を重ねてくると、どうしても保守的になりがちです。なにかをしようとすると「いい歳をしてみっともない」という悪魔の囁きがどこからともなく忍び寄ってきます。

でも、そんな誘惑は勇気をもって振り払い、いくつになっても「失敗することを恐れるのではなく、挑戦しないことを恐れる」というスタンスを持ち続けていたいと思っています。

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