第10章 (第2稿) 今ここで命が絶たれても、後悔しない生き方ができているか

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「歳月人を待たず」という諺があります。時は人の都合などお構いなしに過ぎていき、とどまることがないものだ、という意味です。

転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間を無駄にしないで、努力に励めよ、という戒めも含んでいます。

漢詩人 陶淵明の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とあるのに基づくそうです。

時の流れの速さを表す言葉として、「一寸の光陰軽んずべからず」「光陰矢のごとし」「少年老い易く学成り難し」などがありますね。

厳寒の頃は、桜の蕾が綻びだすのを、あんなに首を長くして待っていたのに、綻び出したと思ったらあれよあれよと満開となり、散り始め、寒々としていた木々の枝にもいつの間にか葉が生い茂り、美しい新緑の頃を迎えます。

そして、梅雨を迎え、暑さ厳しい夏へと移り変わります。蝉の声がやかましいアブラゼミから気がつけばヒグラシに変わり、秋が近いことを感じます。いつのまにか色付いた葉がハラリと枝から落ちて、季節は紅葉の頃に移り変わり、ヒタヒタと冬の寒さが迫ってきます。

そんな時の流れの中で生き、老いを迎え、そしていつか死に直面する。それは、人として万人に共通した自然の摂理です。

しかし、自然な時の流れの中ではなく、近年発生したいくつもの自然災害による被害のように、突然命を絶たれることもあります。

そうした意味で、今ここで命が絶たれても、後悔しない生き方ができているか、日々自問自答しています。

そんな日々を過ごす中で、「韓信 (かんしん) の股潜 (またくぐ) り」に思い当たることが多々あります。将来に大志を抱く者は、屈辱にもよく耐えるという例えです。「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将で、次の逸話から生まれた言葉です。

「韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったからごろつきと争うことを避けた。言われるまま彼の股の下を潜らされるという屈辱をあえて受けたが、その後、韓信は大成し、天下統一のために活躍した」

将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めになっています。この戒めは、「成らぬ堪忍するが堪忍」という言葉に通じます。どうしても我慢できないことを我慢するのが、本当の意味での忍耐であるということです。最後まで耐え通さなければ、それまでの我慢もむだになるという教えになっています。

最近では、老いも若きもキレる人が多くなりました。堪え性がなくなってきているのでしょう。かくいう我と我が身を振り返っても、世の出来事についイラッとすることがよくあります。歳を取ると、本当に気が短くなってきます。そんな時は「修行、修行…」とブツブツ唱えて堪えるようにしています。そんな些事に構っていては後悔するのが目に見えているからです。

本書第8章で、以下の故・高倉健さんの座右の銘をご紹介しました。

「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」

その意味を改めて記すと次の通りです。

「辛いことがあっても、それは精進である。自分を高めるために必要なことなのだ。たとえつらい精進の途中で終わることがあっても、自分の向上のためになっているのだから悔いはない」

この「精進」という言葉の意味を噛みしめ、後悔しない生き方を目指しています。思い起こせば、この言葉をはじめ、これまでの人生で、さまざまな言葉に出会ってきました。下記はその一例です。

あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。(by スティーブ・ジョブズ)

朝起きて夜寝るまでの間に、自分が本当にしたいことをしていれば、その人は成功者だ。(by ボブ・ディラン)

学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。(by アインシュタイン)

人間を賢くし、人間を偉大にするものは、過去の経験ではなく、未来に対する期待である。(by バーナード・ショー)

負けても終わりではない。やめたら終わりだ。(by ニクソン)

すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。(by 小泉信三)

愛する人を喪っても、愛する幸せを知らないよりはいいと思います。(by 日野原重明)

他にもたくさんの言葉があります。心に留めておきたい言葉に出逢うと、都度メモに書き加えてアップデートしています。

そうした先人たちの言葉が幾重にも重なり合って、数年前に自分の生き方を次のように定めることができました。

「人さまに貢献するために精進し続けること」

人間が生きていく上で、子を産み育てるのとは別に、意味のある痕跡を残したいという願望があると思います。それは、何も偉人たちが偉業を達成したようなことでなくても、一人の生き様を晒し、それが周囲の人たちに良い意味で影響を与える、といったことです。

生きた痕跡には、いろいろな形があると思います。僕は今、公私問わず人さまに貢献することで、少しでもその方に無形の価値をお渡しできたらと思っています。

そして、僕が死んだ後、僕の生きた痕跡が多くの人の記憶に残ったら嬉しいと思っています。

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