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ウォーホルについて。

ポストモダンアートの話は前回でいったん一区切りにしようと思っていたんですが、やっぱりアンディ・ウォーホルの存在について一言言っとかないと気が済まないっつうことで、やっぱりちょっと言っときます。

ウォーホルの革命的と言っていい新しさは、何と言っても印刷で作品を作ってしまったという点でしょう。

それまでの芸術とは一人の画家が絵筆を振るって、渾身の一作を描き上げるもので、同じものは二つとして存在しないものでした。

同じものを描いたとしても、それはあくまで「複製」でオリジナルとは明確に区別されるものでしたが、ウォーホルはシルク印刷という方法で必要なら全く同じものを必要なだけ作れるようにしてしまいました。まるで写真が必要とあらばいくらでも焼き増しできるようにです。
(とは言ってもシルク印刷のカラクリを利用して特定の色を差し替えたり、わざと色ずれを起こしたり、バリエーションを出したりしてますが。)

ある意味、ついに絵画も写真の持っていた利点の一つを手に入れた。といえなくもないですが、これの本当の意味は「大衆化」「民主化」という点でした。

世界で唯一の存在である従来の作品はどこまで行ってもエリートのための存在でした。画家ももっぱらその様なエリート相手の作品を作りました。それゆえ高名な作家の一品はステータスでもあったわけですが、ウォーホルによってオリジナルの作品は印刷で量産され「誰でも(オリジナルの)絵を手に入れられる」という世界になり、絵がステータスを表すアイテムではなくなりました。

この方向性は写真の世界ではさらに拡大し、カメラや現像の技術がさらに発達すると、写真技師のような特別な技術を持つものでしか取れなかった写真が「誰でも撮れるもの」になりました。絵、写真という作品だけでなく、芸術家、写真家そのものが「大衆化」「民主化」したということです。

こうやってポストモダンアートの成り立ちを見てみると、自分も含めて今のあり方で十分芸術家、写真家になれるみたいです。まあ自分以外の人に「この人は(偉大な)写真家だ」と認めてもらうにはそれなりの努力が必要なわけですが、昔の芸術の基準なら技術的に優れているなどの点で認められるように努力しなければならないわけですが、ポストモダンアートの観点から見れば努力すべき点は「説得力」というか、自分の作品を説明できる力・・・プレゼンテーション能力を身に着けるべきなのかも知れません。

こういう、お寺の五重塔やお城の積み重なった屋根の形がすごく好きなんですが、なぜこの屋根がいいのか説明できないのが困ったところ。偉大な写真家にはなれそうもありませんな。

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