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読書感想  『ネット右翼になった父』  鈴木大介  「分断から理解への切実な過程」

 大人になると、高齢者の親と会う機会がどうしても減るようになり、そして、久しぶりに会ったときに、いわゆる「ネット右翼」になってしまった。

 そんなエピソードを、自分は直接出会うことはないのに、あちこちで目にするようになった。

 それは、本当だろうか。という疑念と、同時に、確かにありそうだという感触と、そこに立ち会ってしまった人の思いを想像すると、なんとも言えない気持ちになった。

 だけど、少しでも考えたら分かるのだけど、そこで終わりではなく、そこから、まだ長い時間が続くと想像しただけで、気持ちは、ただ暗くなり、立ち止まってしまう。

『ネット右翼になった父』 鈴木大介

 それは、怒りと悲しさが激しく混ざり、自分を見失うことを、必死で抑えるような時間だったのだろうと思う。父親の余命が限られた、かけがえのないときだったから、余計に、そんな思いが強くなっていったことが、描かれている。

 著者の父親は晩年、それも病気になってから、いわゆる「ネット右翼」になっていったように、見えていた。それまでは接していなかったであろう、いわゆる「右傾コンテンツ」だったのに、父親がずっと、病床でも、その音声を流し続けているのは、耐えられないことのようだった。 

売ることを優先した右傾コンテンツには容赦がない。古くからある保守言論本ならまだしも、粗製濫造されたネット右翼本はエビデンスに乏しく、「あなたたちが懐かしく思っている美しいニッポンが失われたのは、戦後のG H Q統治下で〝作られた憲法〟や、中韓による〝歴史の改変〟のせいである!ニッポンは失われたのではなく〝奪われ捻じ曲げられた〟のだ!」といった論調で読者の喪失感を被害者感情に昇華することで、大きなマーケットを生んできた。 

 著者は、それまで、貧困や、自らの障害などをテーマに作品を書き続けてきた。その対象への姿勢は、書籍を読む読者にとっては、同情や軽蔑ということではなく、正確に伝え、支援のことも視野に入っている表現に思えていた。

 それだけに、父親が、ヘイトスラングを口にする、といったことは、通常以上に、感情を刺激するものであったと思う。

 そして、父に対して、どこか心を閉ざしたまま、看取ることになってしまい、その2か月後、「父がネット右翼になった」をテーマに書かれ、発表された作品は、著書の想像以上の反響を生んだ。

「突然老いた親(のみならず家族の誰か)が右傾化した言葉を吐くようになって戸惑っている」、もしくはそのような声が読者を含めて周囲にとても多いのだというひとことが添えてあった。 

 そうした編集者からの反応もあり、最初は、父を「ネット右翼」にしてしまった「右傾コンテンツ」に対して、怒りや憎しみを向けることから始まるのだけど、著者は、そこから、父親を「理解」しようとする方向へ進み始める。

 ただ、それは、本人が想像以上に、辛い過程になったようなのだけど、それでも目を逸さずに、隠さずに、記録してくれている。

証言

 どうして、著者から見て、「ネット右翼」のように、父親はなってしまったのか?

 そのことを検討、考え始めて、実は、父親のことを、よく知らなかったことに気づき、叔父や、父の友人や、さらには母親、姉など、周囲の「証言」を丁寧に集め始める。

昭和17年生まれの父親が若い時、大学生の頃は、学生運動の時代だった。

父は、当時隆盛を極めた学生運動、左翼運動には、決して迎合しなかった。

 かといって、右翼活動をしたわけでもない。

父の目から見た当時の左翼は、現代の僕がネット右翼に感じるのと何ら変わらない、「思想が一つのセットの中に納まって多様性を完全に失った人々」であり「価値観の取り合わせが定食メニュー化している人たち」だった。だからこそ、父は「そもそも左翼的なものが丸っと嫌い」だったわけだ。 

 そうした「左翼的なもの」を、元々嫌っていたことなどもわかり、さらに、他の父親の差別的な言動も、著者以外の「証言」に接することによって、徐々に、印象や意味合いが変化してくる。

「正解」と「原因」

まず、父に限らず、人はその当事者を目の前にしない限り、その人の抱える困難について想像力を働かせることができないということ。そして社会的困窮者やマイノリティな人々は、多くの一般市民にとって、「リアルにその当事者に会ったことがない」人たちだということ。最後に、自身が困難を乗り越えた経験のある者は、その経験を基準に「他者も乗り越えられる」と誤認することだ。

 いわゆる「社会的弱者」への差別的な言動も、父親の「理解」へ近づこうとすると、少しずつ見え方も変わってくる。

平等に見える日本の市民生活にも不明瞭ながら階層(住み分け)があって、多くの市民は自分の属する階層以外の市民を見る機会がなかっただけなのだ(むしろ近寄ってはならないという教育を受けてきたか?)

 そして、著者にとっての「正解」にまで、たどり着く。

父は不正受給をする生活保護受給者と接したこともなければ、安易な考えで結婚と離婚を経てシングルマザーになった当事者と話したことなどないにもかかわらず、保守的コンテンツに触れ続ける中で「その中に含まれる仮想のバッシング対象やターゲットの不明瞭な自己責任論」が父の中に立ち上がった(染まった)とみるのが、正解だと思う。

 さらには「女性蔑視」発言にも、読者にとっても「妥当」と思われる「原因」まで導き出してくれている。

父は、古いタイプのフェミニスト男だったが、老いの中で現代感覚を失ったにすぎない。それは「年代」によるもの。女性蔑視発言だけでなく、ジェンダー問題全般に無配慮な発言が多かったのも、これが原因だと推論していいと思う。 

 古きフェミニスト男のフェミとは「男は逞しく強く、弱き女性を守る」という騎士道精神的なものに立脚していた。(中略)
 だが、この「弱き女性像」の拡大解釈こそが、父たち世代の呪縛だともいえる。

父が毒を吐いていたのは「父の中で容認しがたい女性像」に対してだけだった。

 ここまでの「正解」や、「原因」は、もしかすると、同じように、親や家族が「ネット右翼」になったという悩みを持つ人たちにとっても、肯けるかもしれない、そんな普遍的な要素も多いように思えた。

仮想敵

 著者の「歩み」は、ここで止まらず、自分自身にも向かっていく。

ネット右翼に対して、僕の中には「過剰に女性差別主義者と紐づいたイメージ」があり、その点からネット右翼を必要以上に激しい憎悪の対象としていたということだ。

 そこに気づけたのは、自らの母親や姉や姪など、とても身近な「証言」にも接し、そこから逃げずに向き合い続けたからこそ、だと思う。

父をネット右翼扱いした根底にあったのは、あくまで僕の中にあるアレルギーだった。とすれば、ネット右翼という「仮想敵」を立ててその像を父と重ね、そこに怒りを募らせていた僕は、保守系メディアから得た見えない仮想敵を撃っていた父と全く変わらない。

 当然だけど、家族であっても、その見え方は、全く違ってくる。

 母は父のヘイト発言を思い出しながらも、「大介の言うネット右翼という人たちとお父さんが、どうしても一致しない」と何度も首を傾げた。
 姪もまた、「おじいちゃんは知ったばかりのネットスラングを口にしたいだけって感じもした。少なくともおじいちゃんは、大ちゃん(僕)がそこまでその言葉に過剰に反応するって思ってなかったんじゃないかな」と振り返る。

姉によれば、父がそうしたヘイトスラングを姉に対して使った記憶は一切なく、むしろ「そうしたスラングが出るような話題」に至ることすらなかったということだ。

父と子

 ここまでの過程でも、著者にとっては、かなりの辛さや苦しさがあったに違いないのだが、さらに、「父親と息子」の関係性についても、分け入っていく。

母とふたりきりのときの父は、極めて温和な人物だった。が、その一方で母から見た父は、「子どもたちが茶の間に来ると、一気に硬くなる」感じがしたのだとか。そして、ふたりきりのときとは明らかにパーソナリティが変わることを、なぜだろうと思っていたともいう。

 そして、それは、「世代」の問題としても大きいのではないか、とも「推論」が進む。

我々世代において父親とコミュニケーションが取れないという訴えはやはり普遍的で、そうした訴えが少なくなるのは感覚的に19990年代生まれから先のように感じる。
 区分としては、1990年代後半〜2010年代生まれの「Z世代」に該当するのだろうか? 

 著者は、1973年生まれ。確かに、その世代よりも上である私自身にとっても、この「父親との関係」のぎこちなさは、他人事ではなかった。

子の世代区分から逆算すると、家庭に自然なコミュニケーションを築けるようになった父親たちは何世代だろう?どうしてそれ以前の父たちは、あんなに駄目なのだろう。家庭内に不在で、不自然な存在なんだろう。

 そうした、長く粘り強い「取材」のあとに、著者自身も、意外と思えるような父親の姿が、浮かび上がるのだけど、それは、ぜひ、本書を手に取って確かめてもらいたいと思える。

 改めて、分断の解消は可能だ。そして、解消できるうちに、相手が生きているうちに解消した方がいい。
 総括すれば、様々な分断の主因は、「相手の等身大の像を見失うこと」であり、その溝を埋めるのは、相手の等身大の像を取り戻す、改めて見直すことだと思う。

おすすめしたい人

 何より、著者と同じように、家族が「ネット右翼」になってしまったと思って悩まれている方。具体的な対応策まで終盤には書かれているので、おすすめできると思います。

 家族との関係について、いろいろと考えたい人。

 新書サイズで、約250ページですが、それ以上に、とても豊かな内容に感じる、個人的で切実でありながら、それにとどまらない普遍性にもつながる、良質なノンフィクションだと思いました。

 そして、今回の紹介で、少しでも興味を持ってもらえた、すべての方に、おすすめしたい作品です。


(こちらは↓、電子書籍版です)。




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