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「シン・ウルトラマン」を観た。うれしい気持ちになれた。

 もちろん「シン・ウルトラマン」が映画になるのは知っていた。成田亨のデザインに忠実に造形するということを知り、とても観たいと思っていたが、コロナ禍で上映が延期になり、そのことで気持ちが少し遠くなった。

 おそらく、そんな思いをしている人も多かったと思う。

 だけど、2022年の公開後、ラジオで伊集院静が面白かったと語り、竹熊健太郎もTwitterで同様な評価をしていて、その前に、賛否両論のような言葉を嫌でも目にして、だから、ためらっていたのだけど、その二人の言葉で行きたい気持ちが再び強くなった。

指定席

 だから、封切りして2週間以上経った頃、やっぱり観に行くことにした。少し調べて、やっぱりIMAXの方が良さそうだし、そうなると、どの席がいいのか。それも検索して、じゃあ、I席にして、だけどトイレに行くかもしれないから隅っこの場所にして、平日だから人が少ないようだけど、インターネットで予約をした。はじめてのことだった。

 それだけ、なんだか張り切っていたのだと思う。

 当日は、お風呂のトラブルのために修理依頼の電話をしたり、色々とあったので、どうして、この日なんだろう、と思ったりもしたけれど、なんとか出かけられそうになり、だけど、今日は外は半袖のTシャツで大丈夫そうだけど、映画館の冷房が怖くて、長袖のシャツとウールのカーディガンまで持って行くことにする。

映画館

 去年、「シン・エヴァンゲリオン」を観たのと同じ映画館だった。
 駅から歩いて、ショッピングモールの5階。
 
 映画館に行き、自動チケット販売機で番号を入力し、薄いレシートのようなチケットが出てくる。まだ30分くらいある。売店で、パンフレットも購入し、さらには袋まで買った。それだけ気持ちがあがっていた。去年は、ロビーに一切、座る場所がなかったが、今は、一部ソファーが復帰していて、そこに座って本を読みながら時間がたつ。

 10分くらい前の時刻になって、すでに汗をかいてしまったので、これが冷えると映画館でカゼをひきそうな気がして、着替えるつもりでトイレに歩いて、少し前を若い男性が歩いていて、尾行するような感じになって、ドアを開けて、そして、個室に向かったら、前の男性も同じように個室に入って、ちょうど満員になった。一つは、故障中だった。

 あまり時間がなく、個室は開きそうになく、だから洗面所で、誰もいないうちに着替えようと思って、リュックの底の方になってしまった袋の中から着替えのTシャツを出して、着ているのを脱いで背中をふいて、人が入ってきたけど、その作業を続けて着替えて、ちょっとホッとして劇場へ向かう。

 映画館のイスに座っていると、最初は10人くらい。時間が迫ってくると人が増えて、目測で40人近くいる。平日の午後12時台。真ん中付近の特別席のような場所に人が多い。10人くらいいる。真ん中のブロックに人が集中している。

 観たくて観にきている感じが強い。

 そういう人たちと一緒に、これから観るんだと思えるだけでも、ちょっとうれしくなっている。


(※ここから、「シン・ウルトラマン」のネタバレを含みます。もしも、そうした情報に触れたくない方は、これから先を読むことを注意してもらえたら、幸いです)。






「禍威獣」と「禍特対」

 冒頭でウルトラQの音楽も流れ、そのオープニングらしき画像もあり、立て続けに、その時の「怪獣」が「紹介」されているが、それは「ウルトラQ」も「ウルトラマン」も幼い頃にテレビで見ていたといっても、とっさには思い出せない。

 だけど「怪獣」を「禍威獣」という文字に変えたりするのは、今しかできないことだろうし、そういうことが微妙に心に届くような気がする。

 それから、また「禍威獣」が出現し、昔のように「科特隊(科学特捜隊)」という名前ではなく「禍特対(禍威獣特別対策室)」のメンバーが向かっていき、自衛隊と共にテントの中で対応をしている。フィジカルな動きではなく、黙々とコンピューターに向かって作業をしている。

 昔は「隊」だけど、現代は「対策室」の「対」だから、明らかに規模が小さいことも分かる。

 その「禍威獣」は、ネロンガと名付けられ、そして「禍特対」は、その相手に対して「面倒臭そう」と表現してしまうような義務的な気配もあったのだけど、どちらもしても対応に苦戦していたところに、空から謎の物体が降ってくる。

 それがウルトラマンだった。

 ゆっくりと立ち上がるその姿は、美しく見えた。

 それも、不気味で得体がしれない気配もあり、マッチョ的なヒーローとは程遠いシルエットで、それでも大きくて、「禍威獣」の出す電撃も正面から無造作に受け止めた。

 そして、スペシウム光線を出したが、それは、見たかったスペシウム光線だと思ったし、「禍威獣」を倒してから空へ消える、その時の飛び立つ時の音は、たぶん昔も、本当は聞きたい音だったと思った。

ウルトラマン

 幼い頃、初代の「ウルトラマン」は、毎週、必ず見ていたが、それでも同じような年代の子ども同士で、ウルトラマンの背中にはチャックが見えた。空を飛ぶ時には、線でぶら下げられていた。そんなことを話題にしながらも、やっぱり、楽しみにしていたはずだった。

 それでも、街などのミニチュアの完成度に比べたら、ウルトラマンや怪獣の完成度は気になった。もちろん、毎週、怪獣の造形は、手を変え品を変えていて新鮮だったし、そして、ウルトラマンも、ただ怪獣を倒すだけではなく、その正体に気づいて逃したり、宇宙に帰したり、はっきりと言葉をしゃべらないのだけど、なんだか優しく見えていた。

 その後、ウルトラセブンは結構力を入れて見たけれど、「帰ってきたウルトラマン」は、最初のウルトラマンではないから「帰ってきた」というのはおかしいのではないかと思ったり、さらには「ウルトラマンタロウ」で、その名前はあまりにも人間に寄せすぎているのではないかと思って、そのあと完全に見なくなったはずだ。

 そして、いわゆる「初代のウルトラマン」と、それからのウルトラマンのシリーズとの違いは、そのシルエットだった。最初のウルトラマンは、どちらかといえば細めで、一見、強そうには見えなかった。

帰ってきたウルトラマン

「シン・ウルトラマン」の姿も、初代のウルトラマンのように細めだった。それは、頑丈な強さには見えなかったけれど、美しさにつながりそうで、それがウルトラマンの魅力だと昔も思っていたはずなのに、幼い自分の中では明確な言葉になっていなかったことも、分からせてくれるたたずまいだった。

 これが、本当に「帰ってきたウルトラマン」だと思った。


 同時に、昔のテレビで見ていたスペシウム光線は、ちょっと散らばって見えていたこと。飛び立つ時の音が、ちょっと遅く感じていたこと。

 「シン・ウルトラマン」の最初の戦いを見て、そんな微妙な不満があったことに気づかされた。


 思い出の作品は、そのままだと、時間が経った後だと、みすぼらしく感じることがあるし、古臭く思えることさえある。少なくとも、大きさでも、質でも「1・5倍」にしないと、鑑賞に耐えないものになることもある。

「シン・ウルトラマン」の姿と動きは、その基準をちゃんとクリアしていた。
 だから、なんだか、うれしかった。

外星人

 初代のウルトラマンには、言葉がない「怪獣」だけではなく、「宇宙人」も出てきて、それがドラマのパターンを豊かにしていて、そうした存在は「外星人」として「シン・ウルトラマン」にも登場する。

 裏から見ると、セットのようにペラペラだけど、卑怯な外交手段を使うザラブ。表面的には丁寧だけど、さらにずるいメフィラス。それは、昔のウルトラマンでも登場していて、特にメフィラスは、言葉でなんとかしようとする宇宙人に見えたのが、今回は、その狡猾さが明らかにパワーアップしていた。

 そして、最後に出てきたゼットンは、昔は、どうしてウルトラマンが負けたのか分からないくらいだったのが、この「シン・ウルトラマン」のゼットンは、巨大で強大で、とても敵わない姿で、だからウルトラマンが歯が立たないのは、納得もできた。

 外星人も、明らかに「1・5倍」以上の存在になっていた。

弱々しさ

 ウルトラマンは、ドラマの中ではヒーローだけど、こうした「外星人」が登場すると、宇宙の中では、数ある「外星人」の中で突出した存在ではないように描かれていた。

 だから、その戦いも、本当にギリギリに見えるのは、その造形が、どこか弱々しく見えるほどのシルエットのせいだと思う。圧倒的に強いような感じがしない。

 だけど、それがウルトラマンの魅力だと、改めて思った。

 そして、そのシルエットのせいか、「野生の思考」を熟読する気配や、バディと呼ぶ「禍特対」の女性を救う時に両手で柔らかく受け止めた感じが、よりフィットしていて、その姿が、ウルトラマン特有のヒーローらしさだと思って、やっぱりうれしくなった。

シン・ウルトラマン

 最後のゼットンとの戦いの中で、「禍特対」のスタッフが、ウルトラマンがいれば、人類は必要ないのでは、と絶望しながらも、そこからなんとかしようとするところなどは、(違う怪獣との場面だったけれど)初代ウルトラマンでも描かれて、おそらくは重要なエピソードだと思われるけれど、それも現代でも理解されるような描き方をされていたと感じる。

 そういう部分も「シン・ウルトラマン」だと思えた。

 今回の「シン・ウルトラマン」は、「禍特対」の女性が巨大化するエピソードも含めて、この2時間弱の時間によく収めたと思うくらい、多くの「禍威獣」と「外星人」が出てきているが、全体的には、本当に最初のウルトラマンのダイジェストといってもいいくらい、そのエピソードを取り入れていると思う。

 ただ、途中ですぐにウルトラマンの正体がバレるのも現代らしいし、何よりも、最後のウルトラマンの運命に対する決断は、1960年代のウルトラマンと違い、それが「シン・ウルトラマン」になっていると思った。

 見てよかった。


 最初のウルトラマンは毎週日曜日に「たけだー、たけだ、たけだー」と一社提供のコマーシャルから始まっていて、ウルトラマンを楽しみにしていたせいか、その「たけだー」という声だけで、微妙に気持ちがあがっていたようだけど、それは条件反射という狙った通りの反応をしてしまっていたのかもしれない。

 ただ、意外なのは、あんなにいつまでも放映していたように感じたウルトラマンは、いま記録を振り返ると、1年足らずという短い期間だったことだ。

 それでも、その時に感じてきたウルトラマンの、一見弱々しくも感じる微妙な美点のようなものが、あれから50年以上が経って、実はやっぱり魅力であったことが明確に描かれていて、それは、大げさにいえば、自分が幼い頃、テレビの前でウルトラマンを、「たけだー」のCMを含めて見ていた時間まで、肯定されたような気持ちになった。

 だから、「シン・ウルトラマン」を観て、うれしかったのだと思う。

 映画の最後の方は、冷房で体が冷えて、持参した上着とカーディガンを着ても、まだ少し寒かったけれど、米津玄師の歌が聞こえてきたあたりでは、ちょっと笑顔になっていたかもしれない。





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