途絶えた伝統を、再びつなぎ直す、ということ。
テレビを見ていたら、石を持ち上げる映像が流れた。
力石
「激レアさん」という番組で、神社にある100キロを超える石が移動していた、という事件があり、その事件を起こした本人がスタジオにやってきて、エピソードを語るというスタイルだった。
神社などに、「力石(ちからいし)」と呼ばれる巨大な石があって、それは、江戸時代は、力自慢が持ち上げていた、という伝説になっていたらしいが、それ以降、それを持ち上げた人間はいなかったらしく、だからこそ、伝説になっていたようだ。
それを、持ち上げるために体も鍛え、少ない資料などを参考に、バーベルやダンベルといったトレーニング機器とは違い、とても持ち上げにくそうな有機的な、時には100キロを超えると言われる石を持ち上げて、体を一周させる、といった動きまでしている映像までが流れた。
これは、番組として、笑いを起こすことでもありながら、途絶えた伝統をつなぎ直した行為でもあると思った。
丹波布
もしも、を考えてしまうのは意味がないのかもしれないけれど、この丹波布も一度途絶えたままで、柳宗悦氏が端切れを見出すこともなく、そのまま埋もれてしまう可能性もあったのだと思うと、不思議な気持ちにもなる。
他の地域でも、途絶えたままの伝統はあるはずで、同時に、丹波布のように、一度は途絶えたのだけど、「誰か」に見つけられ、さまざまな努力や工夫によって、再興していることも、もしかしたら思ったよりもたくさんあるはずだと思う。
それも、見つける「誰か」がいるかいないかに左右されるとすれば、それは、その「伝統」の持つ運のようなものかもしれない。
本居宣長
小林秀雄には「本居宣長」という代表的な批評があるが、他の文章を読んだだけで、自分には、その難解さに歯が立たないと思っていのだけど、こうした講演のCDで肉声を聞いたり、もしくは、橋本治の、小林秀雄に関する書籍↓を読んで、勝手にわかったような気になったことがあった。
本居宣長は、「古事記」の研究で有名らしいのだけど(このあたりの理解も、あまり自信がない)、現代から、江戸時代のことを考えると、当たり前のように「古事記」があったのだろうと思っていたが、どうやら、本居宣長の時代には、すでに「古事記」は、歴史に埋もれたような、伝統が途絶えてしまったような存在だったらしい。
だから、全くわからないことを、わかっていくような作業をしたのが、本居宣長だったのではないか、と小林秀雄の講演の肉声と、橋本治の著書を読んで、わかったような気持ちになった。
そして、それは意外なことだったし、どんなことでも、100年や200年の単位で続いているような「伝統的」なものやことは、ずっと継続させている人がいるか。もしくは、この「古事記」のように、「誰か」が見つけて、蘇らせる作業が必要だということだけは、少しだけ理解できたのだと思う。
そして、その作業がとても難しいことも。
時代劇
当たり前のように、テレビで「時代劇」が放送されていた時代があって、その時は、日常に溶け込みすぎていて、その上、それほどの強い興味なかったけれど、好き嫌いは別としても、「時代劇」は、未来にも、ずっとあるのだと思っていた。
だけど、今は、滅びつつあるらしい。
1977年生まれだから、「時代劇」の書き手としては「若い」はずの著者が、その「時代劇」の関係者へのインタビューや批判も含めて、すでに滅びつつあるかもしれない、「時代劇」という「伝統」を、こうした執筆活動などによって、かろうじてつないでいるようにも思えた。
元々、「時代劇」も、現代に武士の時代などを再現させるという、考えたら、矛盾した作劇でもあるはずなのだけど、京都の太秦を中心とした時代劇を撮影する方法自体が、「伝統的」なものであり、もしも「時代劇」が全く放送されなくなったとしたら、そこにまつわるさまざまな具体的な技術が、それを身につけた人と共に、本当に滅んでしまう、といったようなことは、こうした著作を読むと、少し分かったような気持ちになれる。
実際に「時代劇」を制作するだけでなく、こうして貴重な記録でもあり、批評的な文章によって、伝統をつなぐこともできるように思い、もしも、2020年代以降も、「時代劇」が生き延びるとすれば、この春日太一氏は、丹波布を再興させた柳宗悦や、「古事記」を研究して、未来につないだ本居宣長と、近い立場と言われるようになるのかもしれない。
伝統を復活させること
そして、最初の「力石」の話に戻るのだけど、この人が「力石」を持ち上げた映像を、その神社の近くの住民の方々に見てもらったようだけど、その中に高齢女性がいて、その人は、「がんばれ」という声をかけ、最後は「ありがとう」という言葉になった。
それは、もしかしたら、江戸時代の「力石」を持ち上げていた時にも見られた光景かもしれない。
普段は、それほどテキパキとしていなくて、ちょっとぼんやりして見えるとしても、その「力石」を持ち上げるパワーはあって、そのことによって、その日は、地域の英雄、もっと言えば、神々しい存在として扱われた可能性もあったのではないだろうか。
力持ちが、それだけで尊重されたこと。
その伝統をつなぎ直した可能性もある。
伝統というのは、額や立派なガラスケースに入ったようなものではなく、今よりも昔に生きていた人が、当たり前のように、必然的に、そして日常的に自然に、おこなっていたことではないか、と改めて思った。
ワークショップ
さらには、途絶えた技術も、この「力石」を持ち上げた人は、再興させたかもしれない。
江戸時代までいかなくても、明治の初期の頃に、農村などで撮影された写真を見ると、1俵40キロほどと言われている米俵を、片方の肩に二つほど担いでいる男性がいた記憶がある。それも、それほど大柄でもなく、現代の体の幅の広いマッチョ的な体型にも思えなかったから、どうやって、この重量を持ち上げているのだろうと、少し不思議にも思った。
だから、現代の持ちやすくしたバーベルなどではなく、持ちにくい形のものであっても、どうすれば、重いものも持てるのか。そうした一度は途絶えた技術のようなものを、この「力石」を持ち上げた人は、体で蘇らせた可能性もある。
そうであれば、そのことを、身体的な部分でも、アカデミックなジャンルにいる「誰か」に研究してもらいたいし、もしくは、ご本人には、「力石を持ち上げるワークショップ」をやってほしい。
体に自信はないけれど、そんな機会があったら、ケガをしないようにして、自分にも、参加したい気持ちはある。
今まで経験したことのないような、力の使い方ができるようになるかもしれないからだ。
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