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読書感想  『スマホと哲学』  「よりよく生きるための具体的な方法」

 最近、面白さ単純に説明しにくい番組を、テレビ東京でやっている。

 個人的には、正解のないことに対して、考えて、よりよい答えを出し続ける人が、頭がいいのではないかと思っている。だから、テレビ東京、夕方の5時過ぎ。それも月曜日から木曜日まで15分くらい放送しているという不規則な番組だったけれど、見るようになった。

 ある質問に対して、色々な人が答えるという形式。

 弁護士の好感度を無視した法律的な見方に徹底した答え。漫画家の本当の意味で独特な言葉。仕事が違うのに、3人が一致する質問。

 司会の3人のコメントも番組を面白くしているし、唯一の不満が、最後に、今日の「正解」を選ぶとき「カルマルアンサー」と声を揃えるところだけで、この言葉が好きになれないから、別にこんなふうに「決め台詞」みたいなものがなくてもいいのに、と思っている。

 例えば、こんな質問がある。

【Q112】一生に一度だけ「生き返ることができる能力」があるとして、世の中のためにいつどのように使いますか?

(「テレビ東京」より)

 この番組の中で、「各界の天才奇才」と呼ばれている答えを出す人たちの中に、哲学者と言われる人が複数いた。一人は、最近、テレビでよく見る人で、その人は申し訳ないのだけど、予想を上回る言葉が出てこなかったのだけど、失礼ながら全く知らないもう一人の哲学者と名乗る人の答えが、とても気になった。

 名前をメモした。
 岩崎大。

 1983年生まれ。今は大学の講師をしている人らしい。
 そして、著書もわかった。


『スマホと哲学』  岩崎大

 例えば、本を読むとき、自信満々に断言している内容が、読者の自分にとって納得がいかなかったら、その著者の年齢を確かめて、まだ若いせいだ、などと思ったりするのは、あまりほめられた態度ではない。

 だけど、その書き方が、どんなふうであっても、書いてあることに納得がいくのであれば、誰が書いているのかは気にならなくなる。

 哲学は世の中の役に立たないが、新しいよりよい世の中、よりよい人生をつくるのに役に立つ。

(「スマホと哲学」より)

 比較的、冒頭の部分にこうしたことが自信を持って断言されていて、そのことで、少し気持ちが後押しされるように思えたのは、自分がそうあって欲しい、と思える内容だったせいかもしれない。

 あらゆる行動の、「〇〇のため」という基礎を哲学がつくる。この基礎があってはじめて行動が決まるので、本来、哲学の前には何もない。科学、文学、美学など、あらゆる学問の基礎にも哲学がある(古代ギリシャでは全ての学問が哲学と呼ばれていた)。ところが、現実はというと、あらゆる行動に哲学がなくなってきている。「〇〇のため」という基礎がないまま、世界は動き続けている。

(「スマホと哲学」より)

 確かに、現状はその通りだと思う。

 だけど、「〇〇のため」を考えている人は、正しさはあったとしても、その考えている分だけ、時代から遅れてしまうような気もしている。

 それは、でも、自分自身も考えていないせいではないか。

 この本を読み進めていると、そんなふうに思えてくる。でも、それは、著者が正しいことは、こうだ、と断言したりしていないから、よりそう思わせてくれるような気がする。

人から言われてやるのと、自分で気づいてやるのとでは、対応も違うし、充実感や幸福感に大きな差が出る。真実は一つでも、それをどう知るかが結果に影響する。だからこそ哲学者は、真実を突きつけるのではなく、真実を産むのを手伝う。

(「スマホと哲学」より)

幸せと、生きる意味と、偏見

 こうした書籍だけではなく、特に著者の考えのようなものが提示されている文章は、最初から読んでいって、その過程をたどることで、やっと理解に近づけるものだから、本来は、こうして部分的に引用するのは問題があるかもしれないけれど、でも、その表現を直接、紹介した方が、やはり説得力があると思う。

 例えば、幸せに関しては、これまでの思想家の言葉も引用しながら、現代の状況について、こんなふうに伝えてくれる。

幸せをもたらすモノには恵まれていても、そこから幸福を感じ取るセンサーが壊れているからかもしれない。「幸福センサー」が壊れていれば、周りに何があろうと幸福は感じられない。

(「スマホと哲学」より)

 さらに、「生きる意味」という重い話題に関しても、「生きる意味などない」という事実を前提としながら、そこからさらに話を進めている。

「生きる」ことは事実であり、「意味」はそこに理由や目的を与える価値判断である。「生きる」ということ事実だけをどれだけ掘り下げても、そこから意味は出てこない。つまり、生きることそれ自体に意味はない。意味があるとすれば、それはなんらかの価値観によって判断される。 

 ここだけを抜き出しても、それこそあまり意味がないのもしれないけれど、「生きる意味」について悩む時は、実は「生きる価値」と混同している場合があるのかも、という思いになり、そのときに、著者は「偏見」という意外な言葉を出してくる。

一般に偏見をもつことはよくないといわれるが、あらゆる価値観が偏見なのだ。そして厄介なことに、人間はこの偏見なしに生きることができない。

 「偏見」自体が悪いわけではないようだ。

 数々の偶然によってつくられた現状の価値観を、考える能力をもって反省し、修正することで、新しい、よりよい可能性が見えてくる。絶対的な生きる意味などないという前提を自覚した上で、よく生きるために、自分にとっての「よい偏見」を探そう。

(「スマホと哲学」より)

「価値観」と、「自分らしさ」

 さらには、ここまででも出てきた「価値観」と、「自分らしさ」に関しても、かなり明確に、だけど押しつけがましくなく提示している。

 断言してもよいが、自分の隠れた価値観を反省、吟味する作業を怠ると、あなたの人生はやがて気づかぬうちに、大事なことを忘れ、些末なことにこだわる、本末転倒に突き進んでいくだろう。 

(「スマホと哲学」より)

 それを防ぐためには、ごく平凡に思えるけれど、基本的なことを継続するしかないようだ。

 初心を疑い、夢や目標を常に疑い、更新し、洗練していくことで、あなたの価値観は現実と矛盾しないものになっていくだろう。そのときに価値観の成長を感じるだろう。

 そのことと「自分らしさ」は、当然ながら無縁ではない。

 自分らしさとは、他人と違うことではない。自分と現実に即した価値観で行動することが、自分らしさである。他人や当たり前の価値観では、自分とのズレがあり、それが違和感というかたちで現れる。自分らしくあるためには、自分で決めればいいということではなく、隠れた価値観を自覚し、反省しながら、ズレを直さなければならない。

(「スマホと哲学」より)

 そして、そのために必要なことがある、という。

日常の違和感に気づけるかどうかが、よく生きるための最初の関門になる。そして、この違和感に気づくためにもまた、哲学の能力(センス)が必要になってくる。違和感への気づきは、よく生きるための最初にして最大の関門である。

(「スマホと哲学」より)

具体的な方法

 センス、という言葉が出てくると、じゃあ自分には無理ではないか、といった感覚が頭をもたげそうになるけれど、それは、私だけではなく、比較的、大勢の人にも共感してもらえることだと思う。

 ただ、著者は、第1章から第3章で構成されているこの書籍の第2章のほとんどを使って、長く人類の「生きること」を支えてきた宗教についても改めてたどり直し、その上で、また現代に戻ってくる。

 そして、こうした本でありがちな、最後はやや一般的すぎる心構えで終わるのかと思っていたら、その予想とは違って、もっと具体的な方法論まで話が進んだ。

 
 
 その内容については、ここで、そこだけを抜き出すと、本当に意味がなくなってしまいそうなので、申し訳ないのですが、本書を手に取って、全体の流れの中で把握していただきたいと思います。それは、確かに当たり前のことなのですが、その基本を徹底するのが大事なのは、再確認できました。

 より多くの人に読んでもらい、そうした具体的な方法を実践してもらえたら、それは、とても小さなことでありながら、世の中が変わっていける可能性に、つながるような気持ちになりました。

 少しでも興味を持ってもらえたら、ぜひ読んでほしい1冊です。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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