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読書感想 『秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明』 「絵画への見方を変える本」

 デイヴィッド・ホックニーの名前は、知っていた。

 プールが描かれた明るい絵は、不思議に寂しい感じもしていて、そして、現代の存命のアーティストでは、最も有名な人物の一人でもあるはずだ。

 2023年には、国内で展覧会があって、その作品を改めてみて、いろいろなことが不思議に思えた。

 そのことで、その著作にも興味がわいて、読みたいと思った。そのうちの一冊を、図書館に予約して取り寄せてもらった。

 大きな本だったけれど、これで「普及版」だったから、そうでない版は、どのような製本なのだろうと気にはなった。


『秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明』 デイヴィッド・ホックニー

 自分の少ない経験でも、こうした「秘密の知識」というようなタイトルがついた場合は、タイトルで読もうと思ってしまうのだけど、読み終わったときは、「秘密?」というような気持ちになることが少なくなかった。

 それもあって、現代の「巨匠」といっていい存在になったホックニーが関わっているとはいっても、その「秘密」は、実作者であるアーティストだけに、ただの鑑賞者に過ぎない素人にとっては、もしかしたら分かりにくい話ではないかというような先入観もあった。

 でも、実際に読み始めると、この「秘密の知識」というのは、長い前置きがあって、やっと登場するものではなく、かなり冒頭に近いところから登場し、この1冊を通して、その仮説を証明しているという印象だった。

 それは、例えば、「グランド・オダリスク」で知られる18世紀の巨匠・アングルに対しても、こうした言葉をためらいなく向けている姿勢でも明らかになっているようだ。

 アングルがなにかしらの光学機器を用いたのはまちがいないと思う。素描にはカメラ・ルシーダ、そして油彩画の精緻なディティールにはおそらくある種のカメラ・オブスクーラを利用したのだろう。それ以外に説明のつけようがあるとは思えない。しかし光学機器を用いたのはアングルが最初ではない。フェルメールはカメラ・オブスクーラを用いたとされる。光学機器に特有な効果が絵画に認められるので、そうした推論がなりたつのである。光学機器を使ったのはフェルメールが最初なのだろうか、それ以前にも使ったひとはいるのだろうか。美術書やカタログにかたはしから目を通し、証拠探しにとりかかった。するとそれまで気づかなかったことが、見えてきた。好奇心がふくらんだ。 

(『秘密の知識』より)

 ホックニーは、実作者ゆえに、おそらくはこうした点に気がつき、他の美術史家や、美術批評家といった存在よりも、確信を持って、その解明に取り組んでいたはずだ。その芸術家たちの背景ももちろんだが、何よりも、その「仮説」を証明する「証拠」は作品として大切に保管されている。

 それも、あまり知られていない画家ではなく、アングルだけではなく、フェルメール、カラヴァッジョ、デューラー、ベラスケス、さらに15世紀のヤン・ファン・エイクにまで遡って、その神技のような描写力に目を奪われるのではなく、その画面の中の微妙なゆがみや人体の不自然なプロポーションなどを指摘して、それがなんらかの「光学機器」を使用している「証拠」ではないか、と指摘し続けている。

 だから、読み進めて、しかも豊富な図版も使っているから、ホックニーにだんだん説得されてくる。そうすると、過去の巨匠に対して、微妙かもしれないが、見方が変わっていることに気がつく。

「仮説」の理由

 写真が実用化されたのは、19世紀で、それによって印象派が誕生したきっかけになったのでは、といったことは、素人の鑑賞者としては把握していた。

 だけど、カメラが誕生するよりもはるか以前、なんらかの光学機器を用いていた歴史はもっと古く、そうなれば、人間業とは思えない描写力も、その機器の助けを借りていたことになる。

 それは、生業として絵画を描いていた過去の「巨匠」たちも、そうした機器があれば、何度も下書きすることもなく、なるべく早く仕上げられるとすれば、光学機器があれば使っていたのも自然ではないか。

 この本のそうした指摘に対して、読み進めるうちに、自然と肯定する気持ちになってくる。

 たとえば初めて光学機器が用いられたのはフランドル地方で、1430年頃と指摘した。これには確実な証拠がある。

(『秘密の知識』より)

 そして、同時代には、絵画における技術の革新もあった。

 突然の変化から察するに、新しい物の見方が徐々に描写法に進歩をもたらしたのではなく、原因は技術革新にあったと思われる。そして15世紀の初めにそうした革新があったことを、わたしたちは知っている。線遠近法の発明である。これによって画家は空間の奥行きを表現する方法を手に入れた。(中略)ただし線遠近法を用いて、模様のある織物の襞や、鎧の光沢を描けるわけではない。光学機器はその助けになるけれども、これまで光学に関する知識と技術の登場は遥か後のこととされていた。 

(『秘密の知識』より)

 だから、かなり以前の巨匠たちも、そうした光学機器を利用していているかもしれない。そうなると、今まで神技のような描写力と感じていて、もちろん、とんでもなく高い技術があることに変わりはないものの、光学機器を利用して描かれた作品だと思ってしまったら、次にその絵画を見たら、これまでとは少し違う感想を持つ可能性はある。

 光学機器が絵を描くことはない。ただ映像、見た目をつくりだし、採寸の手だてとなるにすぎない。この点をもう一度、念を押しておきたい。何をどう描くかを心に思い描くのはやはり画家の務めであり、映像を絵具で描きとめるには、様々な技術的難題を克服する並外れた技量が求められる。とはいえ光学機器が絵画に大きな影響をおよぼし、画家がこれを用いたと気づいたときから、絵を見る目が変わってくる。ふだんは関連づけて考えることのない画家の間に、驚くような共通点を見出してはっとする。

(『秘密の知識』より)

 絵画の未来


 そうした「仮説」の検証を念入りにしたあとに、それでも、ホックニーは、過去の作品の見方を変えるというよりは、絵画に関する未来について語っている。

わたしの立てた仮説が美術の不思議な魅力を損なうことになると考えるすべての人びとに、わたしはこう言いたい。それは思い違いである。わたしの考察は、(光学機器を使う)技術と方法の再発見を意味した。この技術と方法には、未来をより豊かにする可能性がある。

(『秘密の知識』より)

 こうしたことを考えられるのが、実作者であるアーティストの強みでもあり、凄さでもあると改めて思えた。


 絵画やアートに関心がある方なら、ぜひ、手にとっていただきたい1冊です。ただ、矛盾するようですが、もしかしたら、特に過去の巨匠の作品への見方が変わるかも、という可能性を承知の上での一読をおすすめしたいとも思っています。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえると、うれしいです)。




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