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「ラジオの記憶㊲「イベントのイメージが広がるラジオの声」-----『オードリー・オールナイトニッポンin東京ドーム』について。

 ラジオのイベントに対しては、いろいろな見方があるらしい。

 ラジオはラジオの中で完結するべきで、リアルなイベントはやらない方がいい、といった言葉も聞いたことがあって、それは、確かにそうかも、と思ったのだけど、私はオードリーのラジオイベントには行きたいと思った。

 武道館でのイベントは抽選に外れたので、次は東京ドームだったら「5万人」だから行けるのだと思ったのだけど、やはり4回も抽選に外れて、それで、映画館でライブビューイングにはやっと当選し、妻と一緒に行った。

 行ってよかった。豊かな時間だった。


星野源の言葉

 そのイベントが日曜日だから、その週のラジオで、おそらくは東京ドームでのイベントのことを話すのではないか、などと思って、全部を聞けたわけではないのだけど、まずはその東京ドームに登場した星野源のラジオを、ラジコで聞いた。イベントから2日後の火曜日のことだった。

 星野源は、このイベントに出演していて、だから、いろいろなことも見たはずなのだけど、星野は、土曜日の夜にオードリーさんが話すだろうから、という前提で、それでも話をしてくれた。

 東京ドームのイベントで、おそらくは想像以上の人が抽選などに応募してきたので(どうやら19万人らしい)、途中からイベントを行うときに、ドームのような場所だと舞台を設定する、その裏にあたる部分にまで席をつくり、見えにくいので、という注意書き込みで、募集をしていたのを思い出した。

 その場所は、どうやら予想以上に、イベントそのものを生で見られない時間が多いようで、最後にオードリーの二人が漫才をしている時も、その場所に設置された大きなスクリーンではその映像を見ることができるのだけど、生では見ることができないらしかった。

 星野源は、その場所の光景を見て、そこにいる観客も、すごく楽しんでいること。同時に、その舞台裏とも言える場所にスタッフがいて、最後の漫才を、それぞれがくつろいだ格好で見ていて、やはり楽しそうだった、ということを話していた。

 それも、友達の家で座って、あれ、面白いよね、といった感じに見えて、よかった、と語っていて、それを聞いて、私たちも現地に行けず、映画館での画面越しに過ぎないのだけど、その席の人たちが、どうなっているのか、は気になってもいたので、見たこともないのだけど、その空間の情景が少し浮かんだような気さえした。

 もう時間もたっていて、過去の出来事になっているはずなのに、言葉だけで、そこに新しくイメージが加わった。

山里亮太のトーク

 水曜日は、TBSラジオで、山里亮太が話をする。「不毛の議論」。

 これは、深夜に起きていたので、つい聞いてしまった。

 山里亮太にとっては「足りないふたり」として漫才をしてきて、2023年にはドラマにもなり、オードリーの若林とは、外側からは分からないような気持ちのつながりがあるのだと、勝手に想像している。

 だから、余計に東京ドームでのイベントについては、他人事ではないと思っていたのだけど、そのことについて、イベントの前から、自分の心のドアを「嫉妬警察」がやたらとノックする、という率直な表現をしてくれたので、聞いている側はイメージがしやすくなった。

 そして、当日も東京ドームに向かい、その途中も下を向いてはいけない、上を向いてもダメだ、と自意識過剰になっていて、その上「ボス」と声をかけられ、自身のリスナーだと思って振り向いたら、相手がオードリーグッズで全身をかためていたという話や、さらには、イベントを観覧したのがいわゆる「芸人席」だったので、現地に行ったとしても、分からないその場所の空気のようなものまで話をしてくれていた。

 考えたら、同業者であるのだから、それほど素直に見られるわけもない。ましてや、同期や同期に近く、そして、仕事の能力では同等ではないか、くらいに思っていたとして、あの東京ドームを満員にしたイベントを間近で見ていたら、どんな気持ちになるのだろうか。

 あの大きな空間で、いつもと変わらないトーンで話をしているオードリーを見て、山里は、ドームをラジオにしてしまったことに、驚きを感じて、さらには、周囲にいる芸人たちも似たようなことを思っていたのでは、と話す。イベント終了後、そこにいた芸人は、しばらくずっと無言だったらしい。

 そんなことまで、山里亮太は伝えてくれたのだけど、確かに、もしも、自分の同業者が、ああいう大きいイベントを、それもいい意味で、いつもと同じようにして成功させたら、どんな気持ちがするのだろうか、とは、想像してしまった。

 ただ私のように、ライブビューイングを見て、笑っていた聴衆には、その芸人席の光景は想像もできなかったので、このラジオの言葉で、さらに、あの空間でも、当たり前だけど、違う空気感のある場所があったこともイメージできた。

 それで、イベントの意味がまた一つ加わった。ありがたいことだった。

オードリーのオールナイトニッポン

 そして、土曜日。イベントが終わって、1週間、オードリーのオールナイトニッポンがあった。

 そのときも、当然、東京ドームのイベントでの話になって、内部でしか知らない当日までの話も多く、さらには、春日俊彰の歩き方の違和感について触れていた。

 イベントの中で、春日は、フワちゃんとプロレスで戦った。その際、春日が、邪道と言われていた頃の大仁田厚に憧れていたのは明らかで、大仁田になり切ろうとしているのは伝わってきた。

 ただ、そのために、最後の漫才の際、登場した春日の歩き方が、いつもの「春日」ではなく、そこに「大仁田に寄せた春日」の仕草が混じってしまい、少し違っていた、ということを若林が指摘し、その時の映像を確認して、春日も認めた、という瞬間もラジオ番組の中であった。その「春日」のゆっくりした歩きが、どうやら部活の先輩がおかわりをもらう時の動きらしい、といったエピソードまで詰め込まれていて、聞いていて、やっぱり笑ってしまった。

 春日の歩きが、そうした微妙な狂いを見せていたことに気がつく人間が、何万人も見ていたはずだけど、若林正恭の他にいるとは思えず、なんだか感心までしていた。

 さらにイベントから約2週間後のオールナイトニッポンでは、東京ドームでのイベント後の、他の人たちの言葉や反応も踏まえ、そこにエピソードを積んでいくようなトークを、オードリーの二人はしてくれた。

 それはイベントの成功を味わっている部分もあるのだろうけれど、ライブビューイングとはいっても、イベントに参加した人間としては、そうした言葉の数々によって、実際には行っていないドームの空間への解像度が、また少し上がったような気持ちになった。

 それはイメージの広がりでもあった。

 2週後のオードリーのオールナイトニッポンでは、芸人席での話にも触れていた。そこには、確かに他の聴衆とは違う空気があったらしいけれど、その中で素直に、もしかしたら誰よりも笑っていた、と言われていたのが「スギちゃん」だった。

 なんだか納得する気持ちにもなった。





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