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「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」②「見えにくい政策を考える」

 毎日のように新しくコロナに感染した方々の人数は発表されていて、特に、東京都内の感染者数は、10月に入るあたりから、再び増加傾向のように感じています。(全国の中で、もっとも感染者数が多いので、そこを基準にしました)。

 10月1日。235人。
 10月2日。196人。
 10月3日。207人。

 それでも、すでに以前のように大きなニュースでの扱いではなくなり、かなり小さくなっているように思いますし、私も視聴者の一人として、それほどの関心の持続が難しくなっています。当初から、数だけを毎日語って、どうするのだろう、という疑問があったので、ますます新型コロナウイルス への関心が持てなくなっているように思います。

 そして、その無関心の高まりは、私だけではなく、なんとなく社会全体と共有しているような気配を感じています。それは、緊張感と共に集中力を持続する困難さを表しているだけなのかもしれません。

 今回は、②「見えにくい政策を考える」を、書いていきたいと思っています。そして、そのテーマは、必要以上の非難などを受ける可能性もあるので、ある程度クローズにしたほうが、きちんと考えられると思いました。今回と、第3回目までは、有料とし、「いつまで続くか分からないコロナ禍で、どうやって生きればいいのか?」を第4回目で考え、それは、無料noteにしますので、ご了承いただければ、ありがたく思います。

 今のところ、第1回「コロナは、だたの風邪」という主張。第2回「見えにくい政策を考える」。第3回「自粛警察」。第4回「いつまで続くか分からないコロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?」の予定です。今回は、①を読んでいただいた方から見たら、予定より大幅に遅れてしまいました。申し訳ありません。次回③も、20日程度たってから、投稿する予定です。

 そして、10月中旬になっても、新型コロナウイルスの都内での新しい感染者数は、はっきりとした減少傾向には思えません。

 10月10日。249人
 10月11日。146人
 10月12日。 78人。
 10月13日。166人。

コロナ対策の印象

 新型コロナウイルスのことを知ったのは、個人的には、少なくとも今年に入ってからで、それから、半年もたたないうちに、それは、生活を、社会を、全く変えてしまいました。
 それは、何度思っても、怖くて、不思議なことだと感じています。だけど、人間は、今に慣れないと生きていけないので、その劇的な変化を、忘れてしまいそうになります。

 その中で、こうした未知の感染症に対して、個人でできることは、いつも地味で、しかも100%の効力があるかどうか、わからないようなことしかできません。それは、わかっているつもりでしたが、今回は、あまりにもこれまでと違う出来事が起こりすぎたので、個人ではどうしようもないことが多く、だから、政策に左右される状況も増えていると思います。

 今は幸運にも、まだ感染していませんが、感染したとしたら、病院に頼るしかなく、しかも、非常時ですから、インフルエンザのように、いつもと同じにはなりません。その手続きに、政策が大きく関わってきます。

 そんな重大な政策にも関わらず、今年に入ってからの、いわゆる「政策」への個人的な印象は、大枠でいえば、「説明しないことによって、政策が見えにくくなっている。だから、より不信と不安が増していく」という状況だと思っています。

冷静で意外な分析

 そんな「政策」への不信感が高まっていく時間の中で、政府の対応は迅速だった。ただ、わかりやい世論に「耳を傾けすぎている」と、コロナ対策について、個人的には意外な分析を目にしたのは、この本でした。

 私も、日本政府の対応は、遅れている、と思っていました。それが、この本では、このように書かれています。

 日本政府(厚労省)は20年1月という相当早い段階で、武漢を起点とする国際的な感染症の発生と拡散を認知し、国際的にみれば早期に対処を開始していたことだ。この点、一般的な認識とは大きく異なるのではないか。  

 さらには、世論に対して、見向きもしない、といった印象も、コロナ対策に関しては、一般的な見方とは、かなり違う指摘をしています。

 森友学園や加計学園問題など、従来であれば政権を揺るがすような政治スキャンダルに幾度も遭遇した。だが、安倍政権はそのたびごとに課題を超克してきた。
 このような豪腕をイメージさせる姿とは裏腹に、新型コロナ対策とちょうど重なる時期に政権が「耳を傾けすぎる政府」へと追い込まれたというのが本書の見立てである。ここでいう「耳を傾けすぎる政府」とは政治が効果や合理性よりも、可視化された「わかりやすい民意」をなにより尊重しようとする政治の在り方のことだ。  

 この本は、2020年6月までのことが書かれているのですが、その時点での現状分析は、こうなっていました。この「国民の視点」以下については、私自身も、似たような印象で、それは10月現在でも続いています。

 新型コロナ対応の客観的成果と、国民の主観的評価は大きく乖離し続けている。むろん政権自らが不信を撒いてきたツケでもあるわけだが、「耳を傾けすぎる政府」戦略がさらに国民の理性を歪ませている。国民の視点に立つとき、日本の政府対応の全体像と方針の予見可能性は全く見通し難いものになっている。 

 コロナ禍による不安と不信で、それがふくらむばかりの場合があるのでしたら、こうした事実を冷静に振り返っている書籍を読むことで、その意味や起こったことを、もう一度、考えることができると思いました。そのことで、自分が感じていた不安や、感じている不信の大きさが少ししぼむ可能性もあるので、少しでも冷静さを取り戻したい方には、この本はオススメです。

 2020年に入って、国内で感染が拡大し、ダイヤモンド・プリンセス号や全国一斉休校が起き、緊急事態宣言の発令と解除を筆者は東京で経験した。

 今は10月ですが、まずは、この著者にならって、同じように緊張感に満ちた2月から6月までを、ごく一般的な国民の一人の、個人的な視線と主観から振り返ってみたいと思います。

 ダイヤモンド・プリンセス号、一斉休校、マスク配布、緊急事態宣言。
 2020年2月から、5月にかけては、個人的には、この4つの言葉をキーワードとすると、振り返りやすいように思っています。

 そのように遡ると、個人的には、「政策」について、決定的に不信を持った出来事が、緊急事態宣言中の5月にあったことを思い出します。

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