「はたらくってなんだろう」 ー 30年後の答え合わせ
「はたらくってなんだろう」という言葉を見て、改めて、そのことを考えてみたくなりました。ただ、ここからの話は、苦難を乗り越えて成功してもいませんし、自己啓発的な内容でもなく、気がついたら、働き始めてから、かなり時間が経っていて、30年くらいの年月が過ぎたことが、時々信じらないような気持ちもしているような、少しぼんやりした人間の言葉であることは、ご了承ください。
充実した余暇
もう30年くらい前のことになるから、微妙に記憶が違っているのかもしれないけれど、まだ、大学生で、就職活動をしていた頃、「はたらくってなんだろう」ということに関して、やっぱり考えて、それは、他の人とも話をしたと思う。
今よりも、大学生がはるかに気楽だったけれど、これから会社に就職して、働くとなると、そこで、どの会社に入るかが、これからの人生を決めるのではないか、といった気持ちにはなっていて、そして、やっぱり気持ちは重く、それでも、一応に真剣に考えた。
そして、同じように就職活動をしている同級生と話をすることで、自分にとって「はたらくってなんだろう」の考えが、より進められたのは、覚えている。
まずは、卒業したら、なにもできないから、会社に入るしかない、と思っていた。そして、どんな会社にするか、というのは、大きい会社の方がいい、と思っていたのは倒産の可能性は低そうだし、給料も良さそうだし、といった「本当に何も考えていないような大学生らしい選択」をしようともしていた。それでも、就職活動をしていく中で、少し考えが変わっていった、というよりも、自分自身の思っていることが明確になってきたようだった。
それは、仕事そのものが、自分がやりたいこと、できたら好きになれる事ならいいな、という思いだった。
その頃の多数派と思われる「はたらくってなんだろう」は、仕事は仕事として収入のために割り切って働き、それ以外の余暇の時間に自分の好きなことをする、ということのようだった。それは、当時の学生だけでなく、働き始めた社会人2〜3年目くらいの「先輩」の中でも、そのような目標を立てて、お会いした時には、いかに有給休暇を消化するか、という話をしている人もいた。だから、その人にとっての「はたらくってなんだろう」は、ある意味で見事に実現していたと思っていた。
仕事そのものが、自分がやりたいこと
自分自身は、それとは少し違うように考えていたことが、時間がたつほど、自分の中で明確になっていった。まだ働いたこともない学生だったから、実際のことはわかっていなかったし、イメージだけだったのかもしれなかったけれど、就職活動をする時間の中では秘かに気持ちが固っていった。
余暇の時間を楽しむことは、収入が高かったり、もしくは、仕事をした後も余力が残っているような能力の高い人たちだろうから、自分の力では、それと同じにはできないと思っていた。
さらには、働き始めたら、1日のうちで、もっとも多い時間を占めるのが仕事の時間になるはずだったら、その仕事そのものが、なるべく自分がやりたいことで、その時間そのものが出来るだけ楽しい方がいいな、と微妙に柔らかい考えをしていた。
仕事をしている時間がなるべく充実していたら、生きていても、楽しくなるかもしれない、という周囲の、同じ就職活動をしている学生からも、甘い考え、と言われるようなことを、考えるようになっていた。
そうなると、どんな会社かも大事だけど、会社に入ってから、どんな仕事をするかが自分にとってはより重要になってくるのだけど、一般的には就職してから、どんな部署に配属されるかが決まるから、仕事そのものの種類は選べるわけもなかった。
未熟な就職活動
そんなたいそうなことを考えていたのに、自分自身の就職活動自体も未熟だった。
当時も、面接の方法といった書籍も出ていたし、大学4年生(就職活動が今よりはるかに遅く始まり、ゆるかったと思います)になったら日経新聞を読んだ方がいいとか、髪型もいわゆるリクルートカットという整った形にした方がいい、といった「常識」は知っていたものの、特に反発心や信念があるわけでもなかったのに、今までの自分の生活を変えなかった。自分で髪の毛は切っていたし(リンクあり)、リクルート関連の本も読まなかったし、日経にも、ほとんど目を通さなかった。
今、考えたら、そういう姿勢が表に出ていたから、就職で「売り手市場」と言われていた時代に、内定が出なかった。
その頃、「ナンバー」というスポーツ雑誌が好きだったし、自分もサッカーをしていたりしたこともあって、スポーツの現場で取材をしてそれを伝える仕事をしたいと思っていた。
その当時は、マスコミは採用人数が少ないのに希望者が多いから、志望する人間は、他の会社の内定をとってから受験した方がいい、という「常識」もあったはずだったけれど、何しろ、他の会社の内定が出なかった。
法学部だったからマスコミ志望者自体が少なかったし、元々、マスコミに進む人が少ない大学だった。どの会社に行っても、例えば同じ就職活動をする学生に、私が通っていた大学は珍しがられた。
大学4年生の12月になって、最終的に、2社から、内定をもらえた。
一つは、出版社で、だけど入社前から販売部に配属されるのが決まっていた。
もう一つが、スポーツ新聞社で、記者採用だった。
給料面は、出版社がはるかによかった。悩んだのだけど、「仕事そのものが、できたら、やりたいことを」と思っていたので、やっぱりスポーツ新聞社に行こうと決めた。
就職してからの「はたらくってなんだろう」
スポーツ新聞社は、3月末から現場に出ていたし、労働条件がいいとは言えなかったし、配属は、自分の中では縁遠かったゴルフ記者だったし、毎日のように「何を書いたらいいのか?」と悩んでいたけれど、現場は基本的には楽しかった。
通常の社会人のように名刺を交換して、の仕事ではなく、現場に行って、プロゴルファーの人たちに顔を覚えてもらって、話が出来るようになる、というのが最初の手順だった。
それでも、ゴルフに詳しくなくても、100メートル以上向こうの、おそらくは10センチ単位までボールをコントロールしているような凄さと、ギリギリの中での独特の言語表現と、確かにオーラといっていいものが見えるような瞬間もあって、取材して書くこと自体は、始めたばかりで自分のスキルは低かったが、貴重な経験をしている自覚はあった。
ただ、仕事そのものの時間を充実させたい、という気持ちは、より強くなっていた。取材を始めて1年がたつ頃には、現場でのプレーヤーたちの微妙な気持ちの動きみたいなものを書いていきたい、と思うようになった。だから、派手な見出しが踊るスポーツ新聞で仕事を長く続けて、そこに適応してしまうと、そんな「自分が書きたいことが書けなくなってしまうのではないか」、とちょっと怖くなりつつあった。
よく考えたら、そうした思考には、勘違いの部分もあるとは思うけれど、それでも、2年足らずで、会社をやめ、そのあと出版社で最初はアルバイトで働くようになり、2社で合計3年くらい働いた。
その後、出来るだけ、自分が書きたいことだけを書くために、フリーのライターになり、10年ほど、なんとか働いていたが、家族に介護が必要になり、自分が病気になったこともあって、仕事もやめて、介護に専念する生活に入った。もっと売れっ子のライターだったら、その状況でも仕事を失うこともなかっただろうし、今のように、こうしたインターネット上の場所もなかった。
取材して書くという方法で仕事を続けたかったのだけど、何度か仕事の依頼を断っていたら、数ヶ月もたたずに、そのまま無職になった。それに、仕事の質を保つためには、生活そのものをほぼ全て傾けないと、自分の能力では無理だと思っていたから、仕事から離れるようにもなった。
仕事をあきらめるとき、かなり辛かったと思う。
30年ほどの道筋
仕事を辞めて、介護だけをする時間が10年続いた。
それから、学校へ通い、資格をとって、10数年ぶりに仕事を再開できたのが、今から7年ほど前だった。いわゆる支援職と言われる分野で、まだ介護は続けていたから、本当に細々と仕事を始めたのだけど、収入はとても低いままで、貧乏は続いている。
それは、自分の選択の間違いというよりは、才能や努力や運などが足りなくて、それで今の低収入に、つながっているようにも思う。
2018年末に、約20年続いた介護が終わり、それでも、午前5時に就寝という夜型の生活リズムを通常に近く整えたり、心身の疲労が抜けるのに思った以上の時間がかかり、そこで無理すると、本当に倒れると思っていたから、慎重に体調を戻し、やっと仕事を増やせるかも、と思った頃に、コロナ禍になった。(こういう時間を持てるのは、恵まれているとも思いますが)。
だから、今も時々、貧乏で悲しくなることはあるけれど、それでも、介護中に喘息になってしまった妻も、完治はしない心臓の病気を持っている自分としても、何しろ感染のリスクを下げないと、命に関わると思っているので、外出をなるべく減らすのを優先しているから、思ったように仕事を増やせない時間は続いている。
見方によっては、ちょっと悲しくなるような道筋かもしれない。
30年後の答え合わせ
取材して書く。
介護をする。
支援職として働く。
なんとなくバラバラな30年だった。
「はたらく」ということを考えたときに、「介護」という無償労働のことは改めて考えたいテーマ(リンクあり)なのだけど、それとは別に、この道筋の「共通点」を人から不意に聞かれたことがあって、その時に、あまり考えもせずに答えてしまったが、その自分から出た言葉によって、自分自身でも、ある程度納得できた。
人として、人に関わり続けること。
主に自分という人間だけを使って、人に関わっていくことは確かに「共通」している。
そして、どの「仕事」も、嘘がない姿勢がかなり大事になってくることは、ある意味では、気持ちが楽な部分もある(これについては異論も多いと思いますが)。
貧乏なのは、組織に属してない場合は、よっぽどの才能や努力や工夫や運が揃わないと、収入的に恵まれることは難しいので、自分を振り返ると仕方がないのかもしれないと思う。(これは自分を守る言い訳の可能性もあります)。
だけど、こんなに一貫してないようでも、「共通点」はあって、そして、「仕事は楽しい」とは言い切れないし、今でも仕事をするたびに、「これでよかったのだろうか」と思うのも変わらないのだけど、それでも、30年前に考えていた「仕事そのものの時間は充実させたい」という思いは、ある程度は実現できてきたから、「正解」だったのかもしれない。
だから働き始める時に、自分が本当に思ったことであれば、それは継続できる可能性はあると思う。
ただ、問題点としては、自分がやりたいように仕事をやるとすると、かなり工夫や努力をしないと、仕事そのものが少なくなって、収入も低くなりがち、ということがある。そこに関しては、本当にいろいろと足りなくて、お恥ずかしい話でもあるが、自分自身としては、まだ実現できていない。
働き始めてから30年たっての「答え合わせ」としては、「自分がやりたいように仕事をしていく」のはある程度は可能。だけど、そのために組織に属さずに仕事をして、それに伴ってある程度以上の収入も得るためには、組織に属している時以上に、努力や才能や工夫や運が必要ということだと思う。
全く成功者ではない人間が書いているので、ほとんど説得力はないのも自覚していますが、こうした言葉であっても、もっと優秀な人が生かしてくれるかもしれない、という、身勝手で小さい希望は持っています。
(他にもいろいろと書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。
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