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「本当に鳥肌が立つカレーなのか」を確かめた

 レトルトカレーでも、おいしいのだと、改めて知るようになった。

 それも、いわゆるカレーを作る専門家でなくても、その関わり方によっては、かなり新鮮でおいしく食べられるのも分かった。その一方でレトルトカレーとしては自分にとっては高額で、やっぱりごちそうに近い部分もあった。

 ただ、外食としてこうしたカレーを食べるとすれば、もっと値段がかかるので、そう考えると、割安なのか、と細々としたことで悩まないくらいの収入があれば---と、こういうときに思ったりもする。


ホフディランのカレー

 料理のプロでもなく、修行経験がなくても、おいしいラーメンを作って、店も繁盛する例が確かにあった。

 もちろん、こうしたことはレアケースとは思うのだけど、独学でとんでもない実績を築く人は、建築界での安藤忠雄など、他の分野でも時々存在する。こういう人こそ、天才というのだろうとは思う。

 そこまで話を広げなくても、ミュージシャンがおいしいレトルトカレーを販売しているから、などと思っていたら、たまたま、またミュージシャンの作ったカレーが目に止まった。

 ホフディランの小宮山雄飛が監修したということで、そういえば、小宮山氏がテレビでカレーのことを語っている姿は何度も見たことがあった。

 食べたくなった。

スーパーの棚

 ただ、こうした通信販売で、クリックするのをためらってしまう要因は、個人的には送料だった。ある価格以上の注文をすれば無料という表示もあるが、このカレーは送料900円だったから、すぐに注文ができなかった。

 ただ、東急ストアでも販売しているかも、という文字を見て、どこかに出かけるときに、寄ってみた。

 スーパーの棚の一角にはカレーのレトルトが並んでいる。

 普段は、それほど熱心には見ていないけれど、こんなに種類があるのだと思った。

 目についた気になるカレーを、なんのためらいもなく、カゴに入れられるような収入の高さは欲しい、とちらっと思う。ただ、そこには、目指す『究極 渋谷カレー』はなかった。

 そばにいたスタッフの方に、レトルトカレーはこれだけですか?と聞いたら、上から見たら長方形の棚の、短い辺の部分にもあります、と教えてもらったので、そこも見る。(言葉としては「そちら側にもあります」というだけだったけれど)

 でも、なかった。

 ただ、ここまで棚を見ていて、最も気になったカレーがあって、もう一度、それを手に取って、箱の言葉も読んだ。

『カレー専門店の味を超えるレトルトカレーが可能であることを証明してみたかった』

 商品のパッケージは、商品を売るための要素だけで作られているはずだ。だから、これも本当に額面通りなのか分からない。だけど、割引価格で売られているようなこともあって、少し迷って二つを買った。

 妻と一緒に食べてみたかったからだ。

 それに、かなり疑いながらも、本当に「鳥肌が立つ」かも確かめてみたかった。

鳥肌が立つ、という表現

 この言葉は、本来はあまりいい意味ではなかった記憶がある。

 単純に寒い時に、鳥肌が立つ、と表現し、実際に肌が変化していた。関西では「寒イボ」という人もいたと思う。

 さらには、生理的に嫌なことに遭遇したときにも、鳥肌が立つ、と表現していたし、個人的には、そういう経験は少なかったが、特定の人に会うと、鳥肌が立つこともあるようだ。

 だが、近年、この表現はポジティブな意味合いで使われることも多くなってきた。それも、強い感動をすると、体に鳥肌が立つ、という言い方をしている人が増えてきたような気がする。

 当初は、誤用とされてきたけれど、実際に口にする人が増えてくれば、それはだんだん辞書にも載って、正式な使い方の一つになっていくのが、言葉の変化なのだと思うから、もう少し経つと、誤用ではなくなってくると思う。

 ただ、どうして、近年になって感動の表現として「鳥肌が立つ」と使われ始めたのかについては、確か誰かが書いていたはずだけど、それだけ人への信頼が減っているからでは、という指摘をしていた記憶がある。

「鳥肌が立つ≒感動」への変化

 人の気持ちは外からは分かりにくい。

 さらに、人によって感情表現の程度の差は大きい。

 だけど、自分が感動していることを、分かりやすく伝えなくてはいけない場合に直面する人もいる。

 それは、例えばテレビのレポーターと言われる人たちだ。

 いわゆる食レポで、飲食物を口にしたときに「おいしー」という言葉と、表情がすぐに発動される。それは、大げさだし、あまりにも目にする機会が多いと、信用できなくなってくる。

 でも、一方でアメリカの現地レポートなどで、スポーツの現場の取材をする人がスタジアムの食べ物をレポートしているときに、普段通りなのかもしれないが、食べているときに無表情で、しかも「美味しいですね」を連発するだけだと、どこか物足りなく感じることもあるから、自分も「表現のインフレ」に気持ちが影響されているのだとも思う。

 そうした自分の気持ちを分かりやすく伝えるには、言葉の表現を強くしたり、表情の変化を大きくしたりするだけではなく、強く感動した場合は、涙を流すこともある。それも、あまりにも多く目にしすぎると、ちょっとげんなりするか、本当なのかと疑ったりもするのは、ウソ泣きという言葉もあるせいだろう。

 そんなふうに、感動の表現に対して、見る目が厳しくなってきたことも、「鳥肌が立つ」が感動のときに使われるようになったのではないか。という指摘をどこかで読んだことがある。

 ウソ泣き、という言葉はあっても、「ウソ鳥肌立て」という表現はまだないから、生理的現象として、本当だと思われやすいから、感動の表現として使われるようになったのではないか。

 だから、メディアなどでは、わざわざ鳥肌が立ったことを画面に見せてくる人もいるのかもしれない。

 そのうち、自分の意志で鳥肌を立てて、感動を演出する人も出てくるのではないか、という分析も誰かがしていて(記憶がはっきりしなくて、すみませんが)、それには納得したし、もしかしたら、すでにそうしたスキルを持つ「タレント」はいる可能性がある。

「鳥肌が立つカレー キーマカレー」

 購入してから、数日が経つ日に、食べることになった。

【小野員裕が語るキーマカレーの秘密】 嫌味な甘みを一切省き、素材そのものの味を十二分に抽出しました。ひき肉、マッシュルームを深い培煎にかけた玉ねぎとスパイスで煮込み、荒塩で旨味を爆発させた本格キーマカレーです。紅ショウガを付け合わせにすると一層おいしさが膨らみます。  

(「MCC食品」サイトより)

 こうして作り方まで箱にも書いてあるから、その気合いとか覚悟が伝わってきて、やっぱり期待が高まってしまうが、食事の前に、妻が少し暗い顔で、箱を見たら、最も辛いレベル5になっているから、私は食べられそうにない。だから、ハヤシライスにして、何口か食べるくらいでもいいかな、と言った。

 妻の感想は、こうして記事を書くときにはとても重要になるのだけど、それがプレッシャーのようにもなっていたようで、申し訳ないし、もちろん、大丈夫だけど、気を使わせてしまってすまない気持ちにもなった。

カレーの感想

 妻に、まず一口食べてもらった。

おいしい。
 深い味だと思う。

 辛さはくるけど、すごくおいしい」。

 思った以上に好評だったので、もう少し食べてもらった。

「キーマカレーはひき肉のイメージだけど、すごく細かく炒めているせいか、ツナのような感じもする。辛いから、これ以上食べられないけど、おいしい。

 鳥肌が立つほどではないけど、おいしい」。

 辛さを確認せず、申し訳なかったのだけど、好評でよかったし、私にとっても、おいしかった。

 辛さもちょうどいい、というよりも、もう少し辛くてもいいけど、旨みみたいなものを優先させて、この程度にしたのだと思う。

 確かに美味しかった。
 
 これまで食べてきたキーマカレーとは明らかに違っていた。
 渾然一体、という言葉が浮かぶ。

 すごく作り込まれて、美味しさが、たたみ込まれているような印象。

 これを妻が深いと言ったのかと思う。

 だけど、やはり鳥肌は立たなかった。また食べたい、というよりも、今回、妻は辛くて無理そうということで、まだ一箱ある。ちょっと楽しみ。

このシリーズにチキンカレーがあるのも知った。

 ただ、鳥肌の立つチキンカレー、という表現自体に、微妙な引っかかりはある。






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