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「パリオリンピックの開幕式」で思い出す「一羽のハト」のこと

 2度目の東京オリンピックは、新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言の中での開催となった。

 このことの是非については、十分な検討もされないまま、そのときの汚職についても、本当に全てが解決したのか、よくわからないままだ。

 そうしたこともあって、オリンピック、というイベントに対しては、年を経るごとに、興味を失いつつある。とはいっても、アスリートのすごいプレーに関しては、無意識に気持ちも反応してしまうのだけど、でも、それが見られる場所が、もうオリンピックという場所でなくてもいいのではないか、という気持ちにはなっている。


パリオリンピック開幕式

 そんなことを思いながらも、夜中に行われた開会式の様子を朝再びテレビで放送していたのを少し見てしまったら、映像の中で、あのサッカープレーヤーのジダンが聖火を持っていた。

 そのことで、それは「スポーツウオッシュ」の一種だろうと考えながらも、それでも、警戒心がゆるんで、そこから先も少し見てしまった。

 選手の入場は、セーヌ川で船が使われていた。

 パリ、という街自体がブランドであることも、おそらく自覚した上で、街の中での開会式をおこなっていた。

 それは、コロナ禍だから仕方がないのかもしれないけれど、やたらと包み込み、閉鎖するしかなかった、2021年の東京オリンピックから、開いていく、というメッセージもあるように思えた。

 本当にごく一部しか見ていないから、何かを語る資格もないだろうし、オリンピックというイベントへの信頼のようなものが、個人的には回復したわけでもないのだけど、でも、街全体を使う、という方法自体は、すごいと思った。

 オリンピックが始まる前、現地で取材をしていた記者が、ラジオのニュースで、いつにも増して警備が厳しい、という話をしていたことを思い出す。プレスのパスを持っていたとしても、場所によっては何度も荷物検査をされる、と言っていたが、それ自体は不快だろうし、再検討の余地があるのかもしれないが、街全体を開会式で使うためだったのか、と思えた。

 メディアによって表現は違うが、橋の上でファッションショーがおこなわれて、かっこよかったとか、レディー・ガガが登場していたけれど、アメリカ人では、といった批判もあったり(これは意図的に自国関係者だけでない人たちを起用したのだと思うけれど)、聖火も、最後はUFOのように飛んでいった、という書き方をされたりもしていた。

 だから、いつものオリンピックの開会式もそうだけど、今回も特に賛否両論だったようだ。

 ただ、こうして思いもよらないようなことをやってくれるのは、それだけでちょっとうれしい気持ちになってしまうし、その上で、第2次世界大戦前は、アートの中心地でもあったフランスの意地のようなものもあるだろうし、そうした長い年月での蓄積はあるはずだから、オリンピックの開会式だから、という力み方をしなくても、今でも表現の底力はあるのだと、改めて思った。

 そして、ある年代以上の人だと、一羽のハトの記憶と重なるのではないかと感じた。

アルベールビルオリピック

 それほど興味がなくても、オリンピックの開会式は、見てしまうことになる。

 1992年。フランス・アルベールビルで冬季のオリンピックが行われた。

 この開会式では、一人の少女が1羽だけハトを放ち、そしてフランス国家を歌うという姿が印象に残った。

 とてもシンプルで、洗練されていて、すごいと感じたからだと思う。

 その8年前・1984年のアメリカ・ロサンゼルスオリンピックから、いわゆる商業主義が始まったとされるのだけど、それはどうやら税金を使わずに大会を開催させなくてはいけないという理由から、といった話はあちこちで聞く有名な話になっているのだけど、そのロサンゼルスオリンピックの開会式は、インパクトが強かった。

 とにかく、量で圧倒しようとしていたように見えた。

 競技場に多数のグランドピアノ(100台とも言われていた)を持ち込み演奏をしたり、テレビ視聴者の印象に過ぎないけれど、これまでのオリンピックでも例を見ないほどの大量なハトの羽ばたきを見た気がしたし、ファンファーレは映画音楽で著名なジョン・ウィリアムスで、おそらく今でもオリンピックのベストファンファーレを選ぶとしたらこの曲になるだろうと思えるような完成度だった。

 そして、「ロケットマン」と言われる空飛ぶ男の登場で、さらにびっくりもしたのだけど、あの技術は今はどこで使われているのだろうとは思う。

 何しろ、オリンピックの開会式自体を、強烈なエンターテイメントに変えたのが、ロサンゼルスオリンピックなのは、おそらく間違いがないし、そのコンセプトは、強引にでも人の注目を集めてしまうということだろうし、だから、圧倒的な量と、見たことがない技術、感動すら搾り出させるようなファンファーレで、それはハリウッドを抱える国のやり方に見え、同時に、この開会式を超えるのは難しいのではないかと、未熟な視聴者でも思っていたし、ある意味ではとてもわかりやすかったのだろう。

 だから、アルベールビルの開会式で、ハトを1羽だけ放っただけで、あれだけ印象に残るとは思わなかったし、同時に、それは量で圧倒したロサンゼルスオリンピックの開会式への「答え」のようにも見えた。

 人は知恵と工夫とセンスで、すごいものを見せられる。

 わずかに、フランスの意地悪さのようなものも感じたが、かっこよくておしゃれなことは莫大な予算だけでできるわけではないと思った瞬間でもあった。

フランスという国

 フランスという国には行ったことがない。

 それでも、今に続く民主主義の発祥の地なのは知っている。

 第2次世界大戦前には、芸術の都としてアートの中心地だったとも聞いたことがある。

 特に難解な現代思想といえば、フランスという印象もある。


 村上隆という現代美術作家は、フランスのヴェルサイユ宮殿で個展を開くほどの世界的なアーティストだけど、何かで読んだだけだが、フランスで個展を開くときに、とても大変だったということを語っていた記憶がある。その一端は、こうしたインタビューでも少し伝わってくるように思う。

 
 東洋の隅っこからフランスという国を見ると、おしゃれで気難しい場所に感じて、だけど、アルベールビルで見せたように、機会があるときは、圧倒的なセンスを見せつける。

 だから、今回のパリオリンピックでも、あの「パリ」で開催するのだから、という期待は、オリンピックというイベントへの信頼とは別に、勝手かもしれないけれど、少し高まっていた。

 パリオリンピックの開会式は、これまで見たこともないような光景を見せてくれた。

 それだけですごいと思うけれど、それがフランスという国なのかもしれず、そして、こうした浅い理解に対しては、表立ってではなくても、上品な軽蔑をされそうな気もする。


 スケートボード競技を夜中に見た。
 競技場のデザインがかわいくておしゃれだった。


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