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「世界を変える」ということ。

 こんな言葉があった。

 実際に戦争が起こってしまっていて、それを元にした言葉だから、ある種の不謹慎さも問われる可能性はあるけれど、でも、とても重要なことを示しているように思った。

世界史に影響を与える

 これまで、会田誠の言う通り、さまざまな大きな出来事のたびに、表現者と言われる人たちが、何もできない、といったことや、普段の生活の中でも影響力の少なさを、ある種の嘆きと共に語られてきたような記憶がある。

 確かにその時は、聞き手としても、そうかもしれないし、そのことは、とても真摯な姿勢として響いた印象まである。

 ただ、会田の言葉を目にした時に、それらは少し違った意味合いも持ってしまった。

 本当に自分の言動や行動が、世界史に影響を与えるとしたら、それは、当然、想像できないくらい大勢の人の幸不幸だけでなく、生死を左右することになるのだろうから、そのことに耐えられる人は、何人いるのだろうか。

 現在、ウクライナのゼレンスキーは、その立場にいるけれど、それが、どれだけの責任の重さや、緊張感や、底知れない怖さと、同時に強い使命感と共にあるはずで、毎日生きていくだけで、高すぎる密度の時間の中で、どんな思いでいるのかは、本当に想像しにくいことに気づく。

 確かに会田誠の言う通り、これまで自分の影響力がほしいと思っていたとしても、世界史を左右するような場所にいたいと思える人は、本当に少ないのだと思う。

男子一生の仕事

 唐突に思い出すのが、石原兄弟のことだった。

 今は、どちらも故人になってしまった石原慎太郎・石原裕次郎兄弟は、どちらも有名人でもあったのだけど、石原裕次郎のこんな言葉は、とても有名になった。

 映画俳優は男子一生の仕事にあらず。オレの一生の仕事は映画を作ることだ

 石原慎太郎が政治家になったことを考えると、こうした発想は、石原家だけではなく、この時代の男性に共通することかもしれないとは思う。

 エンターテイメントや芸術よりも、実際に世の中を動かす方が、「男子」の仕事としては「上」。そんな「思想」とも言えるものは、実はかなり根強くあったし、今もあるのではないかと思う。

 ただ、石原兄弟では、裕次郎は俳優から映画制作へ進んだので、そう考えると、慎太郎は作家から出版社に向かった方が筋が通るような気もするのだけど、そんな単純なことではないのかもしれない。

リーダー

 石原慎太郎は、政治家として日本国内ではトップでもある首相にはなれなかった。だけど、本当に首相になれる場所にいたとして、本当に首相になったのだろうか。

 どれだけ近くでも、トップ以外には分からないことが、数限りなくあるような気がする。リーダーの孤独とか、重責とか、そういう想像もしにくい場所だとしたら、そこにいくことができたのだろうか。

 石原慎太郎だけではなく、影響力を持ちたいという野望を持っている人は多いとは思うのだけれど、本当に大きな影響力を持つ場所に立つことができる人は、繰り返しになるのだけど、実はとても少ないのではないだろうか。

 実際に、リーダーという「地位」についたとしても、特に日本の場合は、アメリカの大統領などと比べると、さまざまな制約があって本当の「トップ」ではないかもしれない。

 だから、その場所で思い切ったことをするのは、想像以上に大変で、もし、それができたとしたら、その時こそ、世界を変える、という入り口に立つのかもしれないが、それは、もしかしたら、恐怖に近いことなのだろう。

御意見番

「男らしさ」といった価値観にこだわる人たちにとっては、本当に孤独なリーダーよりも、実は、もっとなりたいのは、いわゆる「天下の御意見番」ではないか、と思う。

 時のリーダーが「ご意見」を聞きにくる。
 そして、自分の発言を「そこには気がつきませんでした」といった感嘆とともに聞いた上で、実際のリーダーの行動に反映され、それが世の中を変えていく。

 そういう「世界を変える実感はあるけれど、責任を伴わない立場」が、大きい声で話されないけど、ある種の人にとっては理想なのではないかと思うことがある。そうなれば、「支配欲とコントロール欲求」が充足されるのだと思う。

 例えば、企業の役員などを退いた後に一部の人がなるポジションに「相談役」という名称があるけれど、あれは、実質的はどの程度、その企業に影響があるのかは、それこそ千差万別とは思うのだけど、あれは一種の「御意見番」ではないだろうか。

コメンテーター

 テレビのワイドショーの「コメンテーター」は、様々な批判を浴びながらも、まだ、いなくなることはなさそうだ。

 テレビの視聴者が高齢化しているとも言われていて、それは事実だとも思うけれど、あのコメンテーターという役割は、実は、とても縮小された「御意見番」のように見えているから、いなくならないのかもしれない、と思った。

 社会での事件などに対して、何か思い切った「風」なことを言う。もちろん責任を取りようもないけれど、その思い切った「風」の発言は、そんなに斬新だったりする必要はないのは、視聴者にとっても、同じようなことを思えるくらいの方が好ましい、という理由だろう。
 
 視聴者も思っていたようなことを「コメンテーター」がテレビで言っていれば、見ている側も自分が言っているような気持ちにもなれる。というよりも、視聴者の多くが思うことよりも、微妙にレベルが低いと思えるようなことを言えれば、そのコメンテーターに対して、視聴者が画面に向かって何かを言えるから、より「御意見番」のような気持ちになれるかもしれない。

 そんな「御意見番」のシミュレーションが味わえるから、もしかしたら、ワイドショーは無くならない可能性もある。


 そんなことを改めて思わせてくれたので、会田誠のツイート自体が、大げさにいえば、ある種のコンセプチャルアートなのだと思った。




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