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珍しく叶った「望み」の「現在」。

 すでに20世紀の出来事だから、かなり昔のことになるのだけど、仕事で九州の博多駅近辺に泊まったことがある。

 その時、食事をするために地下街に行って、目に入った飲食店に入った。その頃は、全国各地へ出張する習慣があったから、そうやって入ったことのない店で食事することに、今よりも抵抗感が少なかった。


ラーメン

 その店に入って、食べたラーメンは、新鮮だった。

 それは、九州だから豚骨なのだけど、そのある種の強さのようなものをあまり感じられず、どこかマイルドで、さらに、いろいろな味がして、おいしかった。

 麺は細めで、やっぱりこの土地特有だと思ったし、それに、いい意味でクセがなかったので、そのとき、珍しく、このラーメンを、ラーメンが好きな妻にも食べてもらえたら、と思った。

 それが「一蘭」という店だった。

 東京都内に住んでいる私にとっては、その頃、全く知らないラーメン屋だった。だけど、珍しく気になって、そのあとに、当時、本店と言われる博多の中心街まで出かけた。

 そこには、このラーメンに対してのさまざまな工夫や信念などが書かれた文章もあった。

 それは、ある意味ではうっとおしさもあったのだけど、でも、それが重すぎないくらいに、おいしく思った。

 そして、一人だけなら仕事で来られる可能性はあるけれど、自分の経済能力では、妻と一緒に少し遠い旅行さえも出かけられないから、できたら、このお店が首都圏進出をしてくれないだろうか。

 飲食店に対して、そんな望みを持ったのは、おそらく初めてだったと思う。

アート

 それから数年後には、家族の介護を始め、自分自身が心臓の発作に襲われたこともあって、仕事もやめ、ただ介護を続ける生活になっていた。

 それは社会からも隔絶されたような毎日で、土の中で息をひそめるような感覚だったから、何もできない日々だった。

 そんな毎日でも、気持ちが沈んで、さらに沈んで、もう底かと思ったら、また下に行くことに自分で怖くもなって、そんなときに、それ以上、沈むのを防ぐには、自分にとっては30歳をすぎてから急に興味を持つようになったアートだった。

 それは、意外でもあったのだけど、特にウソの少ない現代アートの作品は、暗いところにいる自分のそばに佇んでいる気がしていた。

 だから、介護だけをしている日々に、美術館やギャラリーには行くようにしていた。自分が生き続けていくために必要な要素になっていた。

一蘭

 今になってみたら、すでに記憶が遠くなっているものの、その日も美術館のある上野か六本木に行って、作品を見てからだから、遅い昼ごはんでも食べる時間帯になっていて、歩いていたら、急に「一蘭」を見つけた。

 最初は、ぼんやりした印象だったけれど、確か、九州で見て、首都圏にも来て、妻とも食べたいと思っていたはずのラーメン屋だったと思い、店内に入り、一人一人区切られているシステムもそうだったのだけど、そのラーメンに関する文章を見て、完全に思い出した。

 このラーメン屋だった。

 麺の硬さや、味付けや、トッピングなども、紙に書いて注文できるし、落ち着いて食べられる、ということや、何より、その味も、食べていると思い出し、なんだかうれしくなった。

 妻の反応は、おいしいとは言ってくれたけれど、ものすごく、というような感じではなかったらしく、それは勝手に残念ではあったけれど、もともと、豚骨は苦手な方だったので、それを望むのは行き過ぎかもしれなかった。

 なにしろ、自分が、こうなるといいな、と望んで、それが具体的な形となるのは、ほとんど記憶になかったから、うれしかったというよりも、少し不思議な気持ちだった。

 それから、それほど頻繁ではないけれど、上野でも六本木でも「一蘭」に寄ることがあった。そのたびに、自分が望んだことが叶ったうれしさは、微妙に感じ続けていた。

閉店

 2018年の年末に、19年にわたる介護が突然終わったと思ったら、今度はコロナ禍がやってきて、また外出ができない日々が続いた。ニュースなどで飲食店は厳しい状況が続いているとは知っていたが、自分が感染に気をつけていると、それに精一杯で、飲食店に対して、どうしようもできなかった。

 介護をしている時よりも、外食は減ったし、アートを見る機会も極端に減少していたが、細々と仕事は続けていたので、社会から隔絶されている感覚はあまりなくなっていた。

 そのうちに、コロナは「5類移行」になり、社会では「コロナ明け」の空気になっていたが、私はいろいろと事情があって、まだ感染に気を付ける日々には変わりがなかったものの、なるべく人出が少ない場所には出かけるようになっていた。

 六本木のミッドタウンで、知り合いが作品を出す写真展に出かけたあと、急に「一蘭」のことを思い出した。

 だから、すぐそばの地下鉄の出口の階段を降りずに、もう少し道路を歩いてから駅に向かおうと、歩き慣れない久しぶりの雑踏のような歩道を歩いて、上を見ながら進む。

「一蘭」がなかった

 確かにこのへんだったのに、と思いながら、少しウロウロした。確か、1階に「松屋」があったから、このビルだと思った、その「一蘭」があった場所は、今は何もないように見えた。もしかしたら、何かオフィスが入っているのかもしれないけれど、道路からはわからなかった。

 家に帰って、少し調べたら、六本木店は閉店しているのを知った。

 この店舗は、どうやら、「一蘭」の東京進出の最初だったらしいから、その店が閉まることは、もしかしたら、これから撤退してしまうのだろうか、といった勝手な思いを抱いたのだけど、他の店舗は健在だったので、ただの勘違いのようだ。

 それでも、望みが叶った象徴でもあったので、その閉店は、なんだか、個人的にはちょっと暗くもなった。

 ただ、考えたら、コロナ禍での飲食店が、どれだけ厳しい状況だったのかを考えれば、無傷のわけにはいかないだろう。

 自分が、どれだけ、いろいろなことに無知で無縁だったのかを、改めて知った。



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