水野しず
記事一覧
人間がやることは全てわからないわかっていたらやらなくてすむ
先日
「水野さんは結婚ってわかりますか?」
と聞かれたので、その場で真面目に考えてみたが、結論から言うと「わからない」。結婚がわからないというより、全てがわからない。なにもかもが。
人間がやることは、基本的に全てわからない。私だけがわかっていないのか、他の人もわかっていないのか、それすらもわからないが、おそらくほんとうのところは誰もわかっていないんじゃないか。
なぜなら、大体のことはわかっ
アンパンマン=片岡鶴太郎説
宝石業界にはビーフブラッドよりもピジョンブラッドのほうが上という価値観がある。らしい。牛血と鳩血。どちらもルビーの色彩を表すための語彙である。
これに私は「意義あり」と思う。
この場合のビーフブラッドとは、食肉用に生物にとって優れているとは言えない環境で成長ホルモンを投与され大量生産され機械的に処理(殺害)された牛肉が、冷凍処理をされて流通を経たのちに、慌しく人が往来するキッチンに常温放置されて
『perfect days』役所広司のパーフェクト加減
とうとうクレアおばさんが煮込み終わったのか、といった方面の感慨があった。
『perfect days』を劇場で観たら、役所広司が普段以上に向こう側に行っているように感じた。向こう側とは、人々がうっすら信じてはいるが、特に信用はしていないまま運用されている「善意・善人」の向こう側のことだ。ベルマークを集めているときの漠然とした失望、お台場で開催されているイベントにあらかじめ漂っている「素直に騙されて
アグリーされたって構わない
毎月通っている心療内科の医師は、毎度、江戸前寿司の大将みたいなノリで「へイラッシャイ!」と薬を出すだけの診察をやる。私はこれを「握り」と呼ぶ。「診療」と思っていると、こちらの精神状態に不具合が出るかもしれないからだ。「医者と患者が国民皆保険制度という名のブラックボックスに共依存し悪貨が良貨を駆逐している」など、いますぐ考えなくてもいいことを熱心に考え、通っている原因をおのずから悪化させてしまうか
もっとみるタイムパフォーマンスという信仰はなんのためにあるのか
・おじさんが居座ってるけど大丈夫
朝目が覚める直前に、絶対に起きたくないという気持ちが猛烈に高まったので
「あえて覚醒に気がついていないフリをしよう」
と思って覚醒をシカトしていたら、よこしまながんばりへの天罰かもしれない。おじさんの顔が私の瞼と眼球の間の空間に現れた。現れたというか、記憶の断片がフラッシュバックしているだけなんだけど、むやみに実在感がある。おじさんの顔(頭~肘下くらいまで
ものすごく具体的に考えるダサい大人にならないための基本方針
・ダサい大人は勘弁してもらえない時代
最近、ダウンタウンのメンバー松本人志休業の報道が話題になりました。
これについては言及可能な切り口が無数にあるので一概に言える話ではないのですが、ひとつ「ヒエーっ」となった点として、「ダサい大人は本格的に勘弁してもらえない時代が到来したんだな」ということを思いました。
というか、今まで勘弁してもらえていた方がリラックスのし過ぎだったのかもしれません。考えてみ
「ネガティブ・ケイパビリティ」のよりグッとくる言い回しを熱心に考える会
・「ちょっとまってください」 と言いたくなる
最近「ネガティブ・ケイパビリティ」という語をしばしば目に(あるいは耳に)する機会があります。これは
を指しているそうです。
確かに、生産性や効率、結論、要約した意義のようなものばかりが過剰に求められ、誰しもが自らの価値の総額について深刻にならざるを得ない現代人にとって「バズりそうなひとことを言わずにグッと留めておく」みたいな感覚はすごく大切なん
ゴキブリをじっと見る
外に出ると疲れる。
脳の中がクリアーじゃなくなってザワザワしちゃって空間がよくわかんない感じになってグニャグニャして平衡感覚もなくなってまっすぐ立てなくなって、人の気配が入ってきて家に帰るだけで精一杯になったりして、なんだか外に出るのが苦手で、何にもないとわりと家にいる。
私の家はコンクリート製なので外界の音がほとんど聞こえてこない。シェルターみたいだ。豪雨の時に僅かに髪の毛に湿度を感じてそれ
ウケるしかないウケていることにするしかないウマは走るしかない
・死因:ゴルフ
所用があって実家に帰省したら、
「近所の人がゴルフをやりすぎて皮膚がんになり死んだ」
と、聞いた。ガマンならず、その場で腰が抜けるほど大爆笑をしてしまった。こういうところがよくない。本当にそれはよくわかっている。でもどうしようもなかった。すみません。怒らずに気の毒とどうか思ってください。
なにが面白かったのか。
亡くなった方はスネ夫一家のような、いわゆる成金的なライフスタ
オシャレとは、ある部分では現実のガン無視
・急に「ドラゴン」を出してくることのヤバさ
今年は辰年です。ドラゴンの年。すごい。ドラゴンイヤーとかいう、急にファンタジージュブナイル小説世界みたいなことを言われている。我々は昔から当然のようにこれをやっているので「ドラゴンイヤーの茹でガエル状態」になっていると思うのですが、それまで牛とかネズミとか言ってたのに急にドラゴンってやばいでしょう。ずっとファンタジーをやっている世界よりも全然やばい
イチローはマジで「すべて」が上手い説
イチローとたけし(北野武)はある部分が共通していると思う。
それは、いったん思い浮かべるとイチローもたけしも思い浮かべの中でなにかしらの「100」として機能してしまうという点で、さらにその「100」(ある評価基準におけるマックス)と、世の中のある要素を比較をすることで、ある要素が「15」とか「3」とか「マイナス80」であるといったことが判明してくる趣がある。たとえばイチローを「100」とした場合
「せいろ購入前」というかけがえのない特別な時間
・「せいろ購入前に必ずみてください」
ネットショッピングをしていて、画面の下の方に
と書かれたPOP-UPウインドウが出てきた瞬間をやたら鮮明に覚えている。
せいろ?
せいろ……?
せいろって、あのせいろか。
(いわゆる「せいろ」)
そのときの自分がなにを買おうとしていたかは覚えていないが、せいろではなかったことは確かだ。なぜなら私はせいろの購入を人生で一度も検討したことがないから。
「評価」を気にし過ぎてしまうとき、一体なにが起こっているのか(後編)~「側」のやつ論~
今回の記事は前編後編にわけて
という悩みにどう対処していくか、というテーマについて考えていきます。
・「側」のやつ
前編では主に
評価の内容よりも、「どこからどのような評価軸で評価をされるのかわからない状況に晒されている不安」から評価されることへの辛さが生じてきているという話をしました。また、このような辛さを回避するために、推し活や筋トレ等の
を維持しやすい活動が流行っている、といった話
「評価」を気にし過ぎてしまうとき、一体なにが起こっているのか(前編)
最近、
ということで悩んでいる人の話を聞いて、すこしわかったことがありますので、今回はそれついてお話ししていきたいと思います。
・「評価」を気にし過ぎてしまうとき、一体なにが起こっているのか
どこかの誰かに突然「評価をされてしまうかもしれない可能性」について漠然と悩んでいる人(現代ではほとんどの人がこれに該当すると思うので、筆者も他人事ではありません)は「自分が晒されるかもしれない評価軸」と