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ものすごく具体的に考えるダサい大人にならないための基本方針

・ダサい大人は勘弁してもらえない時代

最近、ダウンタウンのメンバー松本人志休業の報道が話題になりました。
これについては言及可能な切り口が無数にあるので一概に言える話ではないのですが、ひとつ「ヒエーっ」となった点として、「ダサい大人は本格的に勘弁してもらえない時代が到来したんだな」ということを思いました。
というか、今まで勘弁してもらえていた方がリラックスのし過ぎだったのかもしれません。考えてみると、立場が上の人間だけがリラックスできるというのも変な話です。ダサい大人。考えてみると、これは全く他人事ではない。ダサくなってしまう可能性は誰にとっても開かれているのだから……。そこで、今回は自分のため熱心に考えたダサい大人にならないための基本方針三案を共有したいと思います。ちなみに「ダサい」「ダサくない」という言葉を私は以下のように定義しています。

ダサい=自分が見えていない
ダサくない=自分が周囲からどのように見られているのかある程度理解している

ダサいとはどういうことか

大人、というのも内実がアヤフヤなワードですが、この場合は「その場における相対的な年配者」と考えます。昨今は年金をもらい始めた人もシニア界では若輩者です。高齢化社会の実現によって年齢層のレンジが縦に伸びた現代では「何歳だったら〇〇するのが常識」という一元的発想はあまり通用しないので「自分の立場が相対的にどうなのか」ということを意識する必要があるからです。その意味で、多くの人が他人事ではない話なんじゃないかとも思います。


・すぐ帰る

最も重要な点がこれなんじゃないでしょうか。何かの「集い」(パーティー、お見舞い、ごあいさつなど)に顔を出す機会があった場合、所用が済んだらすぐに帰りましょう。

そもそも、大人(相対的年配者)が一つの場所に目的もなく長居をするのは全面的にやめた方がいいのです。なぜなら、「大人なのに意味なく長居するほどヒマ」という事実がもうヤバくて怖いから。筆者は暇人ですが、実際にヒマでもヒマの感じを丸出しにしてしまうとやはりちょっとアレなのかなと思います。
ヤバくて怖い上、さらに可哀想でもあるので若者は気を遣うしかありません。しかも気を遣わせた挙句「自分は若者に好かれている」といった訳のわからない勘違いをしてしまう可能性があります。頭ではそうではないとわかっていても、勘違いをしてしまうのが人間の心ですから、気をつけるに越したことはありません。

ちなみに、ここで言う「ヒマ」とはどちらかというと精神のヒマのことを指しています。だから、ぎっしりスケジュールが詰まっていればそれでいいんだという話でもないとうか。忙しいんだけど心がガラーンとしていてずっとどこかしら薄らむなしい感じの大人はただ存在しているだけで残念ながら迷惑となってしまうのです。本当に残念な話ですが、迷惑系年配者となり若者に苦労をかけ続けるか、自分が残念である事実を受け入れるかのどちらが相対的にマシかを考えると後者かなと思いますので仕方がありません。

これを防ぐには

⑴できる範囲で心を充実させておく
⑵そういうものなんだ(心の空きスペースを無理に埋める必要はない)とある程度見切りをつけておく

といった工夫を併存するのが効果的です。

⑴は難しい印象があるかもしれませんが、職場や身の回りの人に対してお礼をちゃんと伝えたり、ものの手入れや植物の世話をマメにやったりしているとマシになります。これは人間が身の回りの人やモノの扱いの程度によって自分自身の大切さ(どの程度丁寧に扱われるべきかの度合い)を定義してしまう性質があるからなんじゃないかと思います。(米兵を模った人形を竹槍で突き刺す訓練をしている戦時中の人はこれの逆(自己評価の虐待)をやっている状態)

⑵については、「余白が多い雑誌の方がオシャレ!」くらいのノリでポジティブに考えましょう。人生の序盤は初見の出来事が多く、勝手に心が動きまくるので情緒の中に余白が少なく『popteen』の紙面のような状態になっていると思うのですが、大人になってくると『dancyu』や『GINZA』くらい余白が生じてくるのかもしれません。こういった余白の出現をネガティブに考える(むなしい、なんだかものたりない)風潮が世間にあるので、ついマイナス思考に走ってしまう場合もあるかもしれませんが、満員電車からグリーン車に乗り換えたようなものだと発想を転換させれば「快適」の一言。
実際、ある程度余白があった方がよく味わえる情感が増えて得な場面もあります。修学旅行で楽しめなかった奈良京都の自社仏閣が後々おどろくほど楽しめるのはこの理屈によるものと思われます。いいじゃないですか。得をしているんだから。

主張が強くない手土産を持っていくと行動に目的が生じるためヒマの感じを多少誤魔化せる可能性があります。しかし、これも程度の問題で、

「せっかく手土産を渡したんだからなにかもっとこうみなさんの方から私の心のヒマを埋める歓待のようなものを提供してくださいよ」

といった雰囲気が少しでも出てしまうと完全なる逆効果になり、せっかく渡した手土産にも念がこもります。そうなると、薄気味が悪いので誰も手を付けられなくなり、SDGs的にも最悪の結末を迎える羽目になります。念のこもった差し入れのせいで、それを捨てる相手の心が苦しめられてしまうと考えるとお互い辛いものです。他者性のない「よかれ」は万難を招くと心得ましょう。少しでも念がこもりそうな場合はやめておくのが無難です。その辺りの判断も大人であれば自分に対して非常になる必要があります。手土産がなくても相手に対して敬意を持つことを怠らずに丁寧に挨拶をしてスッと帰れば事故は起きませんのでそうしましょう。

ちなみに、差し入れを百円ローソンで買うと地獄に堕ちますのでこれだけは命懸けで絶対にやめたほうがいいんじゃないかと思います。百円ローソン自体は素晴らしい庶民の味方ですが、何事にもTPOはあるのです。

・自慢を(なるべく)しない

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