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ゴキブリをじっと見る

(『ユリイカ 2017年4月号 特集=大森靖子』寄稿)


外に出ると疲れる。

脳の中がクリアーじゃなくなってザワザワしちゃって空間がよくわかんない感じになってグニャグニャして平衡感覚もなくなってまっすぐ立てなくなって、人の気配が入ってきて家に帰るだけで精一杯になったりして、なんだか外に出るのが苦手で、何にもないとわりと家にいる。

私の家はコンクリート製なので外界の音がほとんど聞こえてこない。シェルターみたいだ。豪雨の時に僅かに髪の毛に湿度を感じてそれと気づくことがあるくらいで、きっと外界でたくさんの人が死んで世界がほとんどなくなっても私は気がつかずにインターネットをしたりツナ缶を食べたりしているのだと思う。
ずっとそれでいいのかなと思っていた。ニュースがモニターの向こう側で流れていてツイッターで遊んでいたら知らない人が私のことを知っているようになっていて、コンビニに同じ形の肉が売っている。そういうのでいいと思っていた。そういうのが自分にとって正しく触れられる世界の輪郭のようなものなのかと思っていた。人間っていうものは、顔に情報が集中しているので不思議な感じがする。形はシワの入った饅頭のようなのに動きや光が複雑に反射する様を見つめているとほとんどすべてのことが分かってしまう。だから私はあんまり人間の顔をじっと見ないようにする。そういうのでいいと思っていた。わかるとうまくしゃべれなくなってしまうから。私という人間が他者にとって人間の形ではなくなってしまうから。顔をなるべく見ないようにして触れ合う人間は、とてもサイレントなもので、オーロラのようで綺麗だなあと思ったりもして、とても物哀しい感じがした。音もなく環境によってスローモーションで色を変える人間の波長を見ていると、誰も誰のことも知らないように思えてきて。そういう気持ちを抱いた時、布団をかぶって大音量で音楽を聴く。振動を浴びると、隙間のない鏡面が歪んで体の細胞の一つ一つがジワジワと、生きて死んでいくのを感じ取ることができて、そういう時ああ、幸せだなあ、自分は生きているんだなあ、死ぬんだなあ、と思って本当は他の人が生きていることも知りたいなあと思って触れている世界の輪郭線が震えて涙が出る。人間が好きだなあ。

(もしもし)

人差し指の長さと薬指の長さを比べてこっちの方が長いとかそれくらいのどうでもよさで尊くあってほしい。自分の実態が半分くらいなくなってモニター越しに反応を観測する。

(おげんきですか でんわください)

不幸は無数に定義できる。例えば、目の前の不条理と不条理を受け入れざるをえない心境が同じくらいのサイズで葛藤していること。それは不幸というより生きることそのものなのかもしれないが、スーパーの半額シールのお惣菜からちょうど半分の魂がはみ出していて、その分だけ純粋なカロリー、熱量に近づいているから同じ量を食べても半額の惣菜の方が太るような気がする。物質の精神的側面にも腐っているだとか新鮮だとかがあって、実はそれらをとても鋭敏に感じ取る感覚を人間は持っているのだけど、本当は気づいていることを気付かなくするだけのたゆまぬ努力と修練の繰り返しだ。

(大丈夫です)

そっちの方には地獄があるってことがなんとなく分かってて、100万回くらいリツイートして人間を水で薄めるとしばらくしてそれは概念みたいになっていって、人間の方はいなくなる。

(サミシイと思いました)

なんだかよくわからない時間に池袋の地下道を歩くとハジの方にゴキブリが10匹くらい集まっている。激しめに蠢いている。生きている感じがする。クリアーな視界の端から端までをゴキブリでいっぱいにする。細かい部分が集まっていてよくできている。じっと見つめる。

ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。じっと見つめる。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。じっと見つめる。夏泳いでいるようなぬるいゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。じっと見つめる。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。やっと捕まえたトンボ。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。キャンプファイヤの火の粉の影。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。じっと見つめる。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。瞬きをする。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。わからなくなってまたじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。人間がいる。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見るゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。ゴキブリをじっと見る。じっと見つめる人間のうつくしいものかなしいものなんだかおかしくて気持ち悪くてグニャグニャでアイマイでアヤフヤでカワイくてすぐになくなってしまうものこうして今目の前にあるのにすぐに消えて無くなってしまう全てがどうせ消えてしまうのなら全部粒子になって私の中を通り過ぎていって交ざりたい。

救急車がぴーぽー。

よろこびます