見出し画像

女の話はつまらないのか

・女の話はつまらない

SNS上で「女の話はつまらない」という意見が話題になっていた結論から言うと「人による」としか言いようがないので、こんなことを本気で言っている人物はバカである。

バカとはどういうことなのか。

人間は自分が置かれている狭い環境の中で対自した少ない経験則からなにか普遍的な法則を見出したような気分になることが多い。これをアブダクション(仮定推論)と言うらしい。

たとえばパチンコをやってビギナーズラックを引き当てた人物は「パチンコ=儲かる」という推論をしてしまい、得をしたいと思いながらトータルで見た場合には高確率でお金を損し続けるということが起こる(実際には得をしたいのではなく損をすることが分かりつつ楽しいからやっているだけだから認識に大きな齟齬はない)。
マッチングアプリをやっている男性は「女は金銭目的」という推論を行うし、女性の場合は「男は性行為目的」という推論を行う。パチンコの場合はドーパミン依存による判断力の喪失という事情が加わるので話は別だが、実際、その人物が置かれている限定された環境下においてはそれらの推論はある程度正しいというか、有用性がある。
近年、特にインターネット上では客観的な整合性が取れるデータを引用した意見以外はすべて「偏見」とみなされる傾向にある。もちろんそれは好ましい。人間は個別の事象に普遍性を見出すのだから。間違いない。それはそうなんだけど、データ or 偏見という二極もそれはそれでどうなんだよ。
データはハズレ値が慣らされて平均化されるものだから、狭い範囲の偏った環境特性についてはどうしても見い出しづらくなる。また個人の主観的体験からくる個別の真実味(マジ度)については当然スポイルされる。女(男)がすべてヤベー奴ではないが、ヤベー場に集合している女(男)は結局のところだいたいヤベー奴なんである。悪い予感は大体当たる。いい予感は当たったらラッキーである。個人の生存環境においては仮定推論を行っていかないと、つまり、偏見を(それが偏見であると理解しつつ)ある程度は参照し、判断の幅を狭めておかないと意味もなく最悪の目にあって心身ともに被害を受けるということが起こりやすい。
ひとのいいおばあちゃんが「保険の営業にもいい人はいるから」と言って勧められた商品を契約しまくっていたら、全体として見た場合はそうかもしれないが、個別の事情として考えた場合はそうではないのでやめた方がいいよ、と言ってあげたい。

問題は、その推論がどのような環境条件によって引き起こされているのか、という判断を省略し世の中全体に敷衍して当てはめてしまう性質にある。

つまり、「女の話はつまらない」と言っている人物は人生の中で経験した乏しい人数の女性との会話がたまたま(自分にとって)つまらないと感じられた乏しい経験から「女の話はつまらない」という仮定推論を行っているということで、こうなっている人物をネット越しに見るとバカ丸出しと思える。

・人類=バカ

ところが、アブダクションは人類が生存領域を拡大させていく過程で偏った環境に適応するために身につけた限定された環境下においては有用性が高い生存能力であるから、基本的に人類は全員バカ、ということになる。私もバカである。打ち合わせは14時からにすることが多いから今日も14時からだろう、というバカな推論を行い、zoom会議の時間を間違える。バカである。日々バカ丸出しだなあ、どうにかならないのかなあ、と思いながら、ぜんぜんどうにもならない。せめてバカの自覚をもっておかないと自信満々にバカな意見を発表するどうしようもないやつになってしまう。

偏見とは、ある限定された狭い環境における偏りがより広い社会一般にも当てはまるものとして通俗化、一般化され、この粗雑な一般化になんの落ち度もない人が属性の一部を切り取られ一方的に当てはめられる不条理な現象のことを言うのではないか。個別の人間が生き抜くために身につけたそれなりに妥当性のある現場感覚を一概に「偏見」と断定しひとえに排斥するのもそれはそれで態度として極端ではないだろうか。そう考えるので私は「個人の内心で妥当性があると判断された狭い環境の偏りに対する推論」のことを「オリジナル統計」と呼ぶことにしている。この呼び方のよさは、

偏見の発表とは、それを発表している人物が置かれている環境特性の発表でもある

というカウンター(自責的に捉える余地)があらかじめ折り込まれている点で、程度の低いオリジナル統計を発表している人物(私である)はつまり、程度の低い環境に置かれている程度の低い人間なんだよ、ということにもなってくる。
しかし大丈夫。人間の置かれている環境なんて大抵の場合程度が低いものだから。また自分は程度の高い環境にいると思っている人物はその発想自体に程度の低さがある。

・女はつまらないというオリジナル統計が発生するのはなぜか

このように考えると、どうして「女の話はつまらない」というオリジナル統計が派生するのかという疑問が湧いてくる。
つまり、実際に女の話がつまらないかどうかはどうでもいいというか、個人の経験が極度に一般化されすぎていて、かえってなんの主張にもなっていないので議論のテーブルにあげる必要がない(個別の事象を切り出せば無尽蔵に反証の素材がある)が、そのような推論が生じた要因はどういった点にあるのかについては考えてみる余地がある。

・「おもしろい」とはどういうことか

ここから先は

1,769字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

よろこびます