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人間がやることは全てわからないわかっていたらやらなくてすむ

先日

「水野さんは結婚ってわかりますか?」

と聞かれたので、その場で真面目に考えてみたが、結論から言うと「わからない」。結婚がわからないというより、全てがわからない。なにもかもが。

人間がやることは、基本的に全てわからない。私だけがわかっていないのか、他の人もわかっていないのか、それすらもわからないが、おそらくほんとうのところは誰もわかっていないんじゃないか。

なぜなら、大体のことはわかっていたらやらなくて済むから。

世の中には「本当はまったくわかっていないことをわからなくさせる」ためのさまざまな工夫がある。たとえば、「健康ランド」という名称の入浴施設があるけど、どのあたりがどう健康につながってくるのか、具体的にわかっている利用者はいないだろう。むしろ、根拠が明確にわかってしまったら「健康ランド」と言い張る必要はなくなって、ただの「ランド」で済む。「ランド」と言われたとたんに「じっとお湯につかったり、高温の狭い部屋に閉じこもり冷水につかったりなどの脈絡がない行為をを繰り返して最終的には広場でぐったりしている狂人の集合したヤバい施設」である実態がバレてしまう。気持ちいいのかつかれるのか。つまらないのかおもしろいのか。ほんとうのところ、我々は一体なにをやっているのか。わからない。わからないのがいい。もっともっとわからないことがしたい。わからなくなりたい。私自身が、あなたがたが、アメーバ状に一体化して、わからなさそのものと一体化したい。わからなさの渦中を突きすすんでそれそのものになりたい。そういう欲望すら水面下に蠢いている(ような気がする)。

そういった狂乱の実態が「健康」というギリギリうそにはならない、かといってほんとうでもない、信じたいように信じるほかない範囲の説明で薄皮一枚のオブラートに包まれて「わからないまま表層的にはわかっている感じ」になっている。人間がやっていることは大体コレだと思う。
結婚なんかは特に、そういったわからなさが人生のある瞬間に凝縮して爆発した超常現象だと思うので「わかろう」とする方が間違っている。キャンドルサービスのどのあたりがサービスなのか、説明できる人がいたら出てきてほしい。ブライダルエステの「ブライダル」と「エステ」の直接的な無関係さについて考え出すと、ここで言う「ブライダル」とは健康ランドにおける「健康」と同種のものだと気がついてしまう。よくない。「わかろう」とすると消えてしまうものがこの世には無数にある。ひとまずわかってから、いったんわからなくなったところでやっと「本番」が始まるのに。健康ランドの健康については誰もわかろうとしないのだから、ブライダルについても同様に、ちゃんとわからないままでいるのがコツなんじゃないかと私は思う。

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