見出し画像

無関心の世界

以前、

「人の話をちゃんと聞くよりも、相手の欲しい反応をするほうが得ですか?」

という質問をいただいたことがあります。
ただこれだけのシンプルな問いかけがずっと心から離れませんでした。

質問の内容よりもこういった質問が生じてしまう背景にはどのような考えがあるのか気になってしまったからです。

どうして気になるのでしょうか。
質問者は相手のために何かをする気持ちがあるし、その行為によって自分もまたいい感じになりたいという(一見)前向きな動機があるにも関わらず、結果的には無駄な骨折りにしかならないことを試みているようで不可解だったからです。

・「得をしたい人」のやっかいさ

問いの内容に立ち返って考えてみると、

⑴ちゃんと聞く
⑵(話の内容に深く立ち入らず相手にとって)欲しい(と思われる)反応をする

これはどちらでもいいんじゃないかと思います。
というより、どっちをやったにせよ相手にとって「うっすら面倒な人」になってしまうだけの可能性が高いので別にどっちもやらなくていいんじゃないかという気がします。
なんでうっすら面倒なのかというと、どちらにせよ「自分が得をしたい」という視点しかなく相手に興味を持っていないからです。自分の損得にしか興味を持てない人が場にいると大体の人がしらけます。なぜならば、損得しか考えられない人と協力的に場をいい感じにしていくためには相手の「得」とこちらの「得」がトレードになるような仕組みを 誰か が用意しなければならず、仕組みを用意する手間についてはその 誰か が丸ごと持ち出しにするしかないからです。そもそも、コミュニケーションの中で「得」が生じるとしたら、基本的には得をゲットしている側が自力で勝手に「得をやりに行っている」だけの話で、相手の側が「いい感じで振舞ってくれた対価としてご褒美に得を進呈してくれる」ということはそんなに起こりません。中には上司や先輩などが「いい感じで話を聞いてくれたから食事代を支払いますよ」となる場合もあるかもしれませんが、このように振る舞う人はもらった得の対価として釣り合うように(目に見えるわかりやすい)得を提供しているのではなく、自分から「得をやりにいく」ことによって全体の「得」が増加するように振舞っているだけです。お金を払うというと損をしているように見えるかもしれませんが、相手に謝意を示すことで自分自身の気分がよくなり、同時に全体の雰囲気もよくなるからそうしているのです。「得と得を正確にトレードしたい」と思っている人はこのような発想に至りませんから支払うということはあんまりしないんじゃないかと思います。トレードの発想だと支払いというのは最もシンプルにただただ損でしかないからです。ただただ損でしかないと思っている人に支払ってもらっても全体の雰囲気が悪くなるだけですから、仮に支払っても「やめてくれよー」という声が音にならない領域で反響するだけになるのではないでしょうか(しかしそれでも事実としての支払いは贈与されるのが貨幣のすごいところです。「お金を払わないと誰からも相手にしてもらえない人」とは、本人に魅力がない人のことではなく貨幣によるブーストをかけることでしか「いい感じの関わりの応酬」に参入できな人のことを指します)。このように、金銭の支払いの場合は目に見えてわかりやすいのですが、コミュニケーションにおける働きかけ、
たとえば

・興味を持って質問をする
・より掘り下げるために視点を持ち出す
・話者とは違う角度で話の内容を解釈して楽しむ

などの能動的な働きかけ(得のやりにいき)は金銭の支払いと同じです。つまりどれも「能動的な持ち出し」なのです。当初から「得」を目的にして会話をやろうとすると上記のような持ち出しはシンプルに「損」でしかありませんから、やるやらないというより、そもそも選択肢に浮かび上がらないというか、思いもつかない感じになるんじゃないかと思います。

冒頭の質問でも、なにか相手に提供するようでいて、やろうとしていることの内実は

・〈話題を提供してくれたら〉それを聞く
・〈話題を提供してくれたら〉ふさわしい反応をする

といった消極的なもの(得をやりにいっていない待ちの姿勢)でしかありません。なにか、根本的に勘違いをしているのです。たのしい会話とは、当然ですが、正当な損と得のトレードではなく、気前のよい得と得の応酬により無料で湧き上がってきた温泉のようなものだからです。
つまり、肝心な点は「いかに得を引き出すか」ではなく「いかに得をやりに行くか」であって引き出そうとする態度の中でどうしたらいいのか考えても根本的に意味がないのです。このように考えると、「いかに得を引き出すか」という発想にまみれている人が個人の問題としてボンクラのように思えてくるのかもしれませんが、私はそうは感じません。

なぜならば、現代においては初手から「得をやりに行く」スタイルが場違いになってしまう局面も多く、むしろ「お互い合理的に得を引き出し合う」というとこをした方がTPOにふさわしくなる場面もけっこうあるからです。こういった「得を引き出し合う」関わりが最も顕著に表れているのがマッチングアプリなどのお互いに「得を引き出し合う」ために設計されているシステム上で生じる人間の関わりです。このような得の引き出し合いを念頭に置いて行われる関わりの根本にあるものがなんなのかというと、それは自分以外の人間に対する徹底的な無関心なのではないかと私は思います。

・徹底した無関心の世界

ここから先は

1,422字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

よろこびます