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アグリーされたって構わない

 毎月通っている心療内科の医師は、毎度、江戸前寿司の大将みたいなノリで「へイラッシャイ!」と薬を出すだけの診察をやる。私はこれを「握り」と呼ぶ。「診療」と思っていると、こちらの精神状態に不具合が出るかもしれないからだ。「医者と患者が国民皆保険制度という名のブラックボックスに共依存し悪貨が良貨を駆逐している」など、いますぐ考えなくてもいいことを熱心に考え、通っている原因をおのずから悪化させてしまうかもしれない。そうなったら元も子もない。あらかじめ「握り」と呼称しておくことで、スパッと薬だけ出されても鮮やかな握りですなあ、と思える。リラックスできる。工夫により、この世はリラックスし放題になる。
 江戸前寿司には江戸前寿司の良さがある(この場合の江戸前寿司は比喩)。基本、予約がいらないし、どのタイミングでふらっと入っても大将(院長)が直々に握ってくれる。心療内科の入り口にはイルカのタペストリーがかけてあるから、私はそれを右手の甲でサッと持ち上げ、「やってる?」という顔をする。心療内科に「支度中」はない(心に支度はないから)。ここでは「やっていたらやっている」という100円ショップの品揃え理論のみが通用する。受付の看護師が、私の小芝居に「一定の笑み感」で応じる。お互いの、心にもない小芝居が激突して、かえって真実味が生じる。これだよ。銀座にあるカウンター寿司屋のことはなにもわからないが、ここは馴染み。「わかり」のある顔で五種類ほどある必要書類をスッと出す。処方されている薬には保健所の許可が必要なので出すものが多いが、ここで「スッ」と出るよう入店前に軽度の発狂をしながら整えておく。待合スペースには大将の握りを待つ同好の士が横並びになり、瞑想、編み物、塗り絵、棒の凝視、バックパッカーくらいの大きさの荷物を整理、などをしながら「握られ」への機運を高めている。私はこの時間が、好きでも嫌いでもない。なんとも言えない。もう少し落ち着けとも思うが、私だってイマジネーションを高めているのだ。スポーツ選手らは、口を揃えて「事前のイメージトレーニングが大切」と言う。イメージは結果に先行する。ここでは、結果に先行するものだけが繰り広げられている。光でしょうか。結果の世界に生きるなんて、“遅い”。そう思えてくる。春先は待合スペースの通路をハイスピードで往復する人がいたりして、やおら旬を感じる。名前を呼ばれてつけ場(診察室)に入ると、大将は私の顔をサッと見るなりもうカルテに記入をしている。握られているのは心である。今回も大将の技巧に唸った、というのは事実ではなくて実際には「はい」となった。私の心はいまやタコ。

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