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置いてかないでよ

生まれてもない恋を探すことに疲れ切っている。好きでもなんでもない人間のプロフィールに目を通し、いいねを送ったり、メッセージを返したりすることは、人生の中でまったく不要な時間に思える。好きな人間と会った後には特に。私が今しているのは、"結婚相手としての理想像にできるだけ近い人間を探し出そうとする行為"だ。見事「素敵な人」が見つかったとして、"条件を多く満たす相手だから" 私はその人を選び、そばに置こうとするのだろうか。そんなロジカルな話なんだろうか。だとしたら、アプリで出会おうとする以上、先々で私が好いているのはその人自身ではなくて、"条件"なんじゃないのか。とか考えていたけど、"条件"はあくまできっかけにすぎなくて、好きになるときは好きになるし、好きにならないときは全然ならないんじゃない、と言われた。それは確かにそうかもしれない。

これまで散々苦しんできたのは、"誰も私自身を見てくれない"という失望をいつも伴っていたからだ。大抵の男の人は、私の言葉ではなく、外見のイメージや仕草から私を決定づける。理想の恋人像を投影する。時間を共有することで、対話を重ねることで、拭いきれるものではない。そんななまやさしくはない。一度舐められたらもうそれで終わりだ。一度女と思われたら。私が何を話しても耳を貸さない。内容なんてどうだっていいのだ。私がニコニコと愛想よく無害な存在でそこにいさえすれば。それでも時間が経って、私は少しずつ素を出せるようになって、ようやく安堵するのだが、そうすると今度は、彼らが私を拒絶する。勝手にウサちゃん扱いしておいて、本来の私が顔を出せば途端に異常者のように扱う。だから言ったじゃん。言ったのに。聞かなかったじゃん。そんなに、そんなに、私の本質は、人間としてダメ?そんなに?一生適当にニコニコして相手に合わせて、自分を殺していないと、好いてもらえない?外面しか好いてもらえない?あなたが好いているのは私自身じゃなくて"カノジョ"という存在なのだとついに零した時、どんな気持ちだった。彼はぽかんとしていたけど。なんて思ったか結局聞けなかった。そのまま終わった。他人と他人で、合わないところや嫌なところや受け入れられないところがあって、"それでもあなたと一緒にいることを選ぶ"というのが愛で、生活なんだと思っている。愛でも生活でもなかったんだな。騙しているわけじゃないのに。

本当の意味で私自身を見てくれる人なんていないのだと自分を呪わざるを得なくてもう疲れてしまって、アプリなんてやったってしょうがないとか思って、だけど私になんの期待もしないでいてくれる数少ない男は、私含む他人への関心がめちゃくちゃ希薄で、それって私を見てくれる人なわけでは全然なくて、一緒に戦ってくれる人でも、私の努力を努力と認識してくれる人でも、叱ってくれる人でも、ないんだよな。立っている場所の深度が違う気がする。全然。あと温度も。深さと熱量。深さと熱量だな。

私は興奮している時も思考を止めないので、自分なりに整理整頓がついている状況を見つめて、それを"冷静な判断"として納得してしまう(納得させてしまう。その方がラクになるので)ところがあり、私をよく分かってくれている人たちは、ちゃんと引き戻してくれる。私の意見に反対するということではなくて、"明日には全然違う考えにたどり着いている"という理解がある上で、フィードバックしてくれる。それでも気分屋なつもりは少しもなくて、思考は常にどこかに向かって動いている状態だから、その時々で留まる駅が違うというだけのこと。一本道の上にいるつもり。全然脈絡あるつもり。一ヶ月後の自分もまったく想像つかないくらいだけど、ずっとそれで来たから、ずっとそうなんだろう。あ、これだ、と思った時、今だと思った時、その瞬間の決心の固さや、それをきちんと行動に昇華できる熱量だけは、誰にも負ける気がしない。しかし変な方向へ猛ダッシュしはじめると、ごく身近にいる人達はきちんと、それを教えてくれる。警告してくれる。標識とか、メーターとかに近いかも。操縦するのは私で、行き先を知っているのも私だけど。今このくらいだよ、今このあたりだよ、と教えてくれる人たち。私の選んだ人たち。はじめての家族。彼女らがいればそれでいいのにな。それでも一人が嫌だよ。たったひとりの誰かといたいよ。

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