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痛覚の構造

私はよく泣く方だ。自分の価値観にぐっとくる映画を観れば涙は垂れ流し放題で、作品としては気に入らなくても泣きどころではしっかり泣いてしまう(わざとらしい「お涙頂戴」が嫌いなタイプであるにも関わらず)。就活の面接でも、自分の話を語りながら熱い気持ちが込み上げて涙声になってしまうことはよくあったし、喜びが強いと涙がじわっと目の奥から染み出すのがわかる。彼氏とうまくやれなくなる度に胸が刺されたような気持ちになってそこから一気に涙が出るし、一人でそれを思い出して泣きながら眠ることもある。

だけど、ちょっと自分がおかしいのではないかと思うことが時々ある。職場であっても(むしろ職場でこそ)、ほんの少し注意されただけで、心臓がどくどくして、胸がキューと締めあげられて、涙が出るのを止められなくなってしまうのだ。いい年なので、目に溜まるまでで抑えこみ、周囲に気づかれないよう細心の注意を払っている。どうして泣くんだろう。我は強くて、自分なりの信念も頑なにあって、外に出せないだけで気は強いはずなのに、どうしてこんなに脆いんだろう。今日も久しぶりにそれが起こった。今の会社へ転職してからは初めてだと思う。

今日のことを基に考えてみる。
私は仕事においてかなり心配性でびびりで慎重なので、指摘されたことは些細なこともノートにメモを残している。マニュアルでもあり、自分の記憶のとっかかりでもある。そこに書かれた通り、以前指摘された通りに処理したところ、指示元の相手から「こうするとよりよい」という内容のアドバイスを受けた。私はなるほど、と思い、今初めてされた指示に対して、今後そうします、と答えた。彼はそういうポジションなので面倒見がよいというか、私を育てようとしてくれているので、懸命に、なぜ私の処理がいけなかったのか説明を続けた。ひとまわり以上年上の男性で、声は結構大きい。話し方はキツめだ。正義感が強く自分にも他人にも厳しいタイプと言えばいいのだろうか。話は終わらなかった。「こうするとよりよい」の話だったはずなのだが、私の何が「間違って」いたか、私の何が「いけなかった」かの話となり、吐き出すような口調で説明され、はい、はい、そうですよね、はい、わかりました、はい、すみません…と相槌を打っているうちに、私は、これはまずいぞ、と思った。いつも自分で分かる。このボリュームで、この強さで、これ以上続けられると、そろそろ瞳を潤すには多すぎる涙が浮かびはじめる。そういう時、声を出した拍子にポロっとこぼしてしまったりするので、ハキハキと返事するのを抑えなくてはならない。そして涙声になってしまう。それはなんとしても避けたい。話が終わるまでなんとかやり過ごしたが、すでに喉の奥は熱くなっており、自分の席に戻ると涙が目に浮かんだ。危なかった。

私という人間についてどうこう言っているわけではなく、私の行動に問題があったから指摘されているに過ぎない。当然頭では理解している。わかってる。ちゃんと。だけど、思考するより先にどうしても涙が出てしまう。なぜか。
私は、人よりも羞恥心を感じやすいと思う。自分を恥じる気持ちや自責の念みたいなものが強いと思う。1対1で指摘されたら、そこまでめった刺しにされたみたいな状態にはならないと思う。大きい声でみんなのいる前で注意されると、私は、話に注意を向けながらも、それを聞いているまわりが気になってしまって、さらにいっぱいいっぱいになってしまっているような気がする。怒られている私をやりながら、それだけでいっぱいいっぱいなのに、同時に体を抜け出して俯瞰で私を見てしまって、自分を追い詰めているような。自信がないから、集団の中にいることが怖いのだ。適職診断はどこのサイトでやっても「芸術家タイプ」とか出て、MBTI診断も数回に一度はINFPになるけど(主に気落ちしている時になる)、わかる。納得できる。社会不適合だと自分でも思う。組織の中でやっていけるタイプでない。表面上は上手いことやっているけど、結構ムリだ。
また、私は「わかってもらえなかった」と感じることで激しく気落ちしてしまいやすい。自分なりにたくさん確認して、何度も何度も確認して、それでも不安だけど、前にこう言われてるから大丈夫なはずだ、よし!と行動しても、「それは間違えだ」と指摘されることはよくある。ただただ事務処理能力が低いのかも。仕事できないだけ。だけど、「前こうやって言われたからその通りにしたけど注意されてしまった」とか、「他の人がするのに倣って行動したのに私だけ指摘されてしまった」とか、そういうことがたくさんあって、私は日々混乱している。私はびびりなので、自分を助けるヒントにしたくて常にアンテナを張っていて、周囲の様子はかなり慎重に観察している。そしてそのとき見た光景や聞こえた音、会話の内容などをかなり鮮明に覚えている。だからこそ、ショックを受けてしまう。あの人が同じことをしていても言わないのに、なぜ私にだけ注意するの?とかって具合に。たくさん用意しても気をつけてもそれが通じない。ただただ抜けている人と思われているんだろうか。それが辛い。情けない。またわかってもらえなかったな、と思ってしまう。また正しい解答を私は出せなかったんだな、と思って、恥じる気持ちで死にそうになってしまう。
要因になりうることが、さらにもうひとつある。私は大人の男の人が必要以上に大きい声を出したり、怒りを露わにしている場に居合わせることが極端に苦手だ。自分のせいで怒っているのではと不安になる、とかではなくて、とにかく怖い。単純に恐ろしい。そういう人がそばにいるとどうもしんどくて、一日ぐったりと疲弊してしまって、その人と離れて仕事が終わってもなかなか脱却できなくて、エネルギー吸われるだけ吸われて、やるせない気持ちになってしまう。そういう相手の影響を受けやすいのだ。小学生の頃、いつもよく分からないことで父親が怒っていて、短気でいつイライラしはじめるかわからないのが怖かった(今では年とともに丸くなったが)。職場から電話がかかってくると不機嫌になり苛立ちを露わにして出る様子とか。算数の問題が分からず母親に聞くと、私の気持ちを知っているはずなのに「そういうのはお父さんに聞きなさい」と見離され、渋々父に聞きに行くとスパルタで号泣したりとか(だから最初からお母さんに聞きに行ってるのに、と、「わかってもらえない」がまた1増える)。ボールペンのキャップを、ペンの頭にはめずに利き手と逆の手に握りながら文字を書いていると、それだけで泣くまでしつこく注意されたりもした。テレビに嫌いな芸能人が出れば舌打ちするし、私の食べ方が気に入らないとやはりしつこく注意しはじめる。姉は私ほど言われないのに。何かと突っ掛かられる。何がそれを引き起こすのか分からず、幼い私は、父と一緒にとる夕食が苦手だった。父と車内で二人になるのが苦手だった。私は当たられやすい。そういう人に選ばれやすい。社会人一年目、直属の上司を見て、すぐに思った。あの頃の父とよく似ている。声で、目で、苛立ちを露わにする。ちょうど親と変わらないくらいの年齢で、独身だった。独身にしか見えない感じも、父親に似ていると思った(父は職場で独身と思われることがあると母から聞いたことがある)。あの頃の職場での父もきっとこんな感じだったろう、という印象を私に与える人。その人にとってもやはり私は当たりやすく、選ばれやすかった。呪いの言葉をぶつけられ続けて、終いには、ものがほとんど食べられず、眠れず、感情があまり動かなくなり、感情が動かないのでそのまま表情も暗いまま動かなくなり、ぼうっとしているだけなのに職場でも電車でも道でも家でもいつでも涙が止まらず、一時ゾンビのよう(当時の元彼談)になった。だけど、どうしてもその上司を嫌いになれなかった。死ぬほど神経質で、自分でもうまいことコントロールできない、不器用な人なのだ。その後、配属先もばらけ、私の退職などを経て、今ではごくたまに飲みに行くようになった。上司も丸くなった。なにも怖くないし、一緒に飲めて嬉しい。私はこの人が好きだ。それでも、一度されたことや言われたことは消せない。私は今も当時に引きずられている。クセになってしまって、まだ抜けきっていない。

脱線したが、まとめると、職場で些細な内容で注意をされただけでも涙が出てしまうのは、羞恥心が強いこと(まわりから自分がどう見えているか必要以上に気にしてしまい苦しくなる)、わかってもらえないことにひと一倍敏感であること(自分なりにそこにたどり着いた経緯がきちんとあっても自信がなく黙ってしまいがちなことと、不快感や痛みを感じやすすぎること)、怒りを露わにする年上の男性に対する恐怖心(支配されやすい私の性質)が主に関わっている。違うかもしれないけど、一応はそういうことにする。真偽はどっちでもよくて、自分で自分を分かっているという状態が大切なのだと思っている。分かったところでどうしようもないんだけど、わかっていると少なくとも強いショックを受けてしまうことがないから、やさしい。また泣きそうになっても、ああ、まただな、こういう道理でいまこれが起こっているのだな、と思える。ひとまずはそれだけでいい。むりは良くない、心にも体にも。週末は、久しぶりに友達と会う予定がある。美容院にも行く。それでいい。私は、これでいい。

私がよく泣くことについては前にも一度書いています。


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