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#nike
広報担当の方、"ボイラープレート"、つくってますか?《ある一部上場企業広報の傲慢な思い上がり》
上司に依頼され作成したグローバルのレピュテーション・マネージメント
私はNIKE Japanと、(IBMのパソコン部門が売却された直後の)Lenovo Japanの初代PRマネージャーを務めました。
そこでの数々の経験はまた別途と思うのですが、Lenovoから邦人一部上場企業に転職した時は、ブランド戦略室への転職でした。ある外資のゴルフメーカーのカントリーPRマネージャーの社長面接まで進んでいた
自己紹介:初代NIKE広報マネージャーへ導いてくれた、小さな新聞広告
はじめまして。 #23 Shibata(トウェンティ・スリー・シバタ)と申します。
昨年、2022年6月に60歳となりました。
大学を卒業後、広告会社 ⇒ ナイキジャパン ⇒ レノボジャパン ⇒ オリンパス ⇒ 霞が関の国家公務員 ⇒ 2023年1月下旬より、医療・介護サービスやIT事業を提供する企業にて非常勤の広報パートタイマー。という職歴です。
”NBAオタク”から広報に。
ウィキペディ
マイケル・ジョーダンの背番号を、ニックネームにもらった幸運
ドットライン上のPRボスの登場🏀
彼の名はDusty Kidd。当時の彼のポジションは、アジア・パシフィック地域のPR Director。NIKEのアジア各国のオフィスに広報担当を置こうと、着任早々に当時のアジアの売上げの大部分を占めていた日本にやってきたのだった。自分の直接の上司はナイキジャパンのマネージャーだったり、マーケティング・ディレクターだったりしたのだが、その後、彼は私にとってドッ