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私が私を嫌いな理由は、私が私を好きだから。まだ見ぬこれから出会う人達、私を見ていて。怖がらずに1人で歩くよ。

アメーバブログの芸能人の育児ブログは、きらきらと絵文字が眩しくて、友達から送られてくるLINEみたいだった。あの子のことをもっと知りたいな。嵐のLove so sweetをカラフルなネクタイをつけた男の人達が結婚式で踊っている動画、あんま見てなかったけど見てたよ。君の結婚式に出たい。どっちが先かな、なんて。

青春パンクが流行っていた頃、私はまだ生まれてないか、生まれたてだろうか。175R、マニラバ、ゴイステ。私達と同い年くらいの人達が、金髪になって薄い背中で飛びながら、何もかも希望にみえると叫んでいて、皆が手を挙げている。来ないかな、また同じような時代がさ。

くだらない感傷マゾ(存在しなかった青春への祈り)に悩まされるくらいなら、それを補うように、埋めるように、私達は誰よりも輝いていようね。幸せになろうね。私達はなんでもできるよ、なにせこんなに若いから。若いってだけで、仲間のような気がしているよ。達観するにはまだ早い、私達は18歳。

若くて未熟な恋愛をしようね。友達と一緒にどこかへ泊まりに行きたい。消した連絡先の分だけ、新しい出会いをこれからしよう。分かったふりをしないでね。私はすぐしてしまうから。諦めた方が、消えた方が、美しいままでいられることの方が多いけど、世界中。後ろ盾のない私達は、自由だ。

夜中に母親の前で自分の気持ちをぶちまげながら、なぜかぼろぼろ泣いてしまった。付き合っていかなきゃいけない人で、何故か味方をしてくれる人で、昔分かり合うのを諦めた人。誰かに自分の思っていることを少しでも肯定されれば、私は無敵になれる。

「あんたはね、本当は自己肯定感が高いのに、自己肯定感が低いふりをしてるよね」と彼女は言った。本当は、私はずっと前から、自分のアウトプットが好きなんだと思う。聴いて欲しい、見てほしい。自分の考えていること、自分のこと、本当はずっと好きなのだ。一方でそう思うことを自分が許さない。内部の繋がりの強い、村社会のような中高一貫校で、私はずっと悔しかった。利益優先のスクールカーストの中で、誰かを笑うことで自分の地位を保つ人達をずっと見てきた。中身のない、ただ行儀が良くて綺麗なだけのあの子を、持ち上げることに疲れていた。

痛いやつ、ダサいやつだと笑われるのではないかと本当に怖くて、そんな悩みが悔しかった。毒のない、都合の良い人になることで、そうやって上手くやることで、私は私の悔しさを補ってきた。それすらも悔しかった。本当のことを言えないならクソ喰らえだと思った。本当は見てほしいし、認めてほしい。誰かを楽しませたいし、私の見ている景色を見せたい。自分の言葉を後ろ手で隠して、中身のないあの子の言葉に、感動しているふりをしていた。物分りのよい、性格の良かった私。

私はこれからやりたいことが沢山あるから、これから出会っていく人達は、私のことを見ていてくれないか。付いておいで。そして、付いていかせてくれ。私は輝きたい。

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ここからは全く本題と関係のない話をするので、(何となく前から思っていたことを言いたくなっただけなので)興味のある人だけ読んでね

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すでに言い古されたことかもしれないが、実態のある商品の、付加価値が下がってきていると感じていた。インターネットが浸透すると、作品の価値は著作権で守られるようになった。だけど違法の向け道はいくらでもあって、実際に漫画村、MusicFM、無断転載などが問題になった、と記憶している。

唯一無二であった、作品という商品は、いくらでもコピーが可能なものになった。また、データとして使用されることも多くなった。作品を購入せずに鑑賞することができるようになり、売買関係のバランスが崩れた。転売の問題も出てくる。

その代わり、サービスにお金が払われるようになった。サービスというか、なんというのだろう、例えば代行サービス、イベント、アイドルの握手会などがそれに当たる(握手会は昔からあったのだろうが廃れていないという点において)。実態がなく、機会にお金を払う。そういう流れになるんかなあ、とぼんやりと思っていた。

音楽も、商品を売るのではなく、機会を売るシステムになるのでは、と思っていた。CDやグッズの付加価値が下がり、違法でデータが出回る。

だから、投資型に切り替える。

アーティストが公約というか、例えば武道館に行きたいのだったら「武道館行きたいです!」という目標を掲げて、ファンがそのアーティストの作品を鑑賞して、付加価値や将来性を見出し、その武道館ライブという機会に直接投資をする。みたいな。

勿論、特にファンであれば作品自体にそもそもお金を払う、という人もいるのだろうけど、それ自体が主の商品ではなくなるというか。作品を介さずに、そのアーティスト自体への付加価値への投資を主にした方が、個人でやりやすいと思うんです。クラウドファンディングにしてもそうだけど。特に今は、フリーランス化の流れがある気がするし。

今、ウイルスが流行って、コピーされない付加価値の付いていたイベント系の商品価値も下がってしまったわけで、今後どうなるのかな、という感じはあります。私にもよく分からない。

ただ、今まで
「作品を、鑑賞するために手に入れる←→作品を作るためのお金を得る」
という売買関係が成り立っていたのが、
「アーティストの付加価値と将来性を見て投資をする←→今後の活動への資金を得る」
という関係になっていくと、今よりは健全な関係になるのでは、という気がします。どうだろうか。

ほんまにもうベラベラと分かったようなことを言って気持ち悪いのですが、ずっと誰かに言ってみたかったので、書いておきますね。

眠れない夜に捧ぐ