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本当の自分と、みんなから見えている自分が違うだなんて中学生までの悩みだと思っていた。「自分探し」などという言葉を、心のどこかで馬鹿にしながら

さて、私がいかに、コンプレックスの塊のような人間で、その事にうんざりしているかは、今までのブログでも散々書いてきた。

いつも思うのが、自分の信じてきたことが揺らぐのは、決まって誰かと関わった時だ、ということである。理想の上ではめちゃくちゃ良い人で、人格者そのものだった私も、他者の前ではいとも簡単に揺らいでしまう。

私は、何か嘘をついたり見栄をはれば、遅かれ早かれ、必ず最後には気付かれるということを知っている。だから、気付かれても良い嘘しかついてはいけない、とも思っている。大体私は決してスマートな人間ではないので、後ろめたいことは全てボロが出る。

私は人狼ゲームがめちゃくちゃ苦手なのだが、それも心理戦が苦手だからだ。腹の底を探り合うのは本当に苦手だ。私は好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と心の底から言いたいと思っているし、基本的に人を信用していたい。誰かのために優しくなりたい。それも結局、理想論なのかもしれないけど。

これまで私は、なんの偽りもなく自然体でぶつかっていれば、必ず私の言いたいこと、やりたいことが相手に伝わる時がくるのだ、と思い続けてきた。いくら私の肩書きが劣っていようと、趣向やセンスが変わっていようと、本当のことだけを言い続けていたら必ず私の人間性は伝わるだろう、と。そして、その状態に憧れを抱いてきた。

その真っ直ぐさを悪用されるかもしれない、裏切られるかもしれない、ということを思っていたら、一歩も動けないことを知っている。だから私は裏切られるのが嫌だし、貴方を信用したい、ということを伝え続けるようにしてきた。

そもそも、ブログを始めた当初、なぜわたしがブログを書こうと思い当たったかというと、私がここでしか本音を言えないからである。勿論このブログは、私の知り合いには絶対に見せることができない、と思う。

例えば、卒業式のことを書いたブログがあるが、あの日だって、実際は多くの高校の同級生とツーショットを撮ったり、別れを惜しんだりしていた瞬間も、ちゃんとあった。冗談を言って同級生を笑わせたりも、していた。その一方でまた、その間中私の胸には孤独がこびり付いていたし、高校生活を過ごした同級生との別れ以上に、冷たい体育館や、ついぞ声をかけることの無かった人達ばかりが記憶に残っている。

だけど私の周りの人達にとっては、あの卒業式での私は、紛れもなくあの空元気を出していた私なのだ。そして、あの私は紛れもなく私自身なのだ。

むしろこのブログに映された自分より、私の周りの人達が知っている私の方が、本物の私であると言えると思う。

私の本音と、現実世界の私は遠く隔離されている。だから、本音に共感が欲しかったのだ。匿名のブログを選んだのはそういった理由だった。目の前の人に話すために作られた話ではなく、ありのままの日常や感じた事を言葉にしてみたかった。

ただ、少し話は難しくなるが、言っておきたいのは、私達はなりきりグッズの仮面を付けても、憧れの〇〇レンジャーに完全になりきることは出来ない。そこにいるのは、仮面を付けることによってレンジャーになりたいと思っている私。そしてその私は、仮面を付けていないときの私と、まったく同じ私。


そして実際には、こんな人になりたい!と思って私たちが付ける仮面は、なりきりグッズの仮面とは違う。実態のない曖昧なものだから、私達の付けている仮面なんて本当はないも同然。私は、私以外には絶対になれないのだ。小難しい言葉で言えば、「確立的なペルソナは存在しない」。

…………

私が目指している、「自然体でいる」ということは、このブログが映す自分と、現実世界の自分が合致することだ。しかしそれはまだまだ遠い話だな、とも思う。現に私は、また身の回りにいない人に向かって、嘘を重ねてしまったし。現実世界の私と、本音がまたぐちゃぐちゃになってしまった。その上、虚構まで加わった。もう散々だ。

なぜ嘘をついたのかと言われれば、答えは簡単だった。その時この人は信用できない、と思ったから。だからその人には本当のことを言わなかった。だけどその一方で、嘘を本当だと信じ込む相手を見るのは、すごく辛い。私のついた嘘が、本当なら良かったのに。決して嫌いなわけではないけど、一方で人と深く関わりたくない、とも思ってしまうのは、関わっていくうちに必ずボロが出てしまう、と思うから。

その人と関わり続けようと思ったら、私はその人についた嘘を永遠につき続けなければならない。私は人と関わるのは好きだが、素性を明かすのが苦手だ。あまり、覗かないでほしい。あまり、尋ねないでほしい。へらへら笑いながら、ガードを固めてしまう。そこには空洞が広がるだけで、私は私の孤独をひた隠しにしている。

眠れない夜に捧ぐ