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徹夜し、髪をぎりぎりまで明るくし、課題をし、マリオカートをする。日々が泡のように消えるのは、なんかもったいないなぁ。

さて、髪をブリーチして、金髪に染めたくなった。ところが以前ストレートパーマをあてているので、どうやらブリーチはできないそうだ。髪がゴム状になってちぎれてしまうらしい。怖すぎ。

仕方が無いので、ブリーチなしで最大限明るい色に染めた。

派手髪を見るのが好きである。金色になって日光を反射し、その根元に微かな黒色がのぞく頭を見る度、夏休みのような儚さを感じる。
自転車、風呂上がりのアイス、追い風、金髪。
眩しすぎて、逆に相反する死を連想させて、逆らえなさに若さを見る。

昨日は、夜中に友達がマリオカート(私が強制的に勧めている)の操作方法をきいてきたので、通話で教えていると、いつの間にか朝が来ていた。連日ろくに寝ておらず、身体を動かさないので食欲も湧かない。私は家の中に居続けるとどんどん破滅の方向へ向かうようである。

物語の中の終末、終焉、世界の終わり、なんて言葉はすごく綺麗にきこえるけど、実際に立ち会うのは絶対に嫌だ、ということを最近になって痛いほど感じた。会ったこともない研究者の名前。見た事もない機関。在る、と私たちが信じてやまない、地球から見えない星。私達は実態の分からないものを何となく知識として理解して、実感のないまま、何かが終わっていく。

高校生の頃、セクハラ紛いな言動で生徒にめちゃくちゃ嫌われていた地学の先生がいた。学年の最後の授業、いつものようにクラスの殆どの人が寝ていた。誰も聞いていないまま、先生はこんな事を言っていた。

「私達はいずれ、宇宙を漂う藻屑になります。大切な遺跡も、骨も、植物や動物も。地球が消滅した後に、ただ、宇宙を漂う小さな藻屑になります。そしてその藻屑は、また長い年月をかけて新しい天体を作ります。私達は、星になります。」

何となく、そんなふうだったと思う。その後あの先生は、だから大切なものを大切にしようね、みたいなことを言って授業を締めた気がする。黒板の上で宇宙が始まり、終わる。黒板の上で第一次大戦が始まり、終わる。黒板の上で細胞が分裂する。

生まれ、死ぬ。生まれ、死ぬ。生まれ、死ぬ。

私が今ここにいるということは、私が今ここにいるという確率があった。地球ができる確率。人間が生まれる確率。その確率がある限り、膨大な時間を経て、また私は、同じ姿で生まれる。

さよなら、と私たちは言う。さよなら、と言うと、私達の思考からその人は消える。だけど、その人の自我が地球から存在を消す訳では無い。でも、死ぬとその人の自我は地球から消える。

だから、死はさよならではない。私達は誰も死を知らない。

幼い子には、未来が理解できない。だから、「明日また会おうね、」という言葉でなだめることができない。だけど、大きくなるにつれて私達は明日を知る。

小さい頃は明日が珍しかった。毎年友達と泊まりに行くキャンプで、12時を超えた瞬間にジュースで乾杯をした。除夜の鐘は最後まで聴けなかった。いつの間にか、夜を跨げるようになった。というか、単純に生活リズムがぐちゃぐちゃである。

メメントモるのかメメントモらないのか、難しいなぁ、といったところである。寝るのは、死ぬみたいでちょっとだけ怖い。明日があるということを、どこかで信じられないのだ。

人は極限まで寝ていないとこういった文章を書き始めるのでヤバい。普通に寝た方がいい。でも寝不足の時に聴くシンセウェイヴはめちゃくちゃ綺麗。

…早くみんなで会えるといいね…。

眠れない夜に捧ぐ