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ライターの未来を、考えてみた。

先日、noteにてこのようなイベントが開催されていました。

表題は「ライターの未来 - だれもが書き手になる時代、あなたは何を書くのか」


もう、キャッチの時点でビビビッときました。

これは、わたし達に今必要なことだ、と。


誰でもライターになれる時代

副業や複業、リモートワークの推奨で、「かんたんでだれでもできる」職業としてライターが挙がる時代になりました。


実際に、以前のクライアントさんの元で採用活動をしていた時も、非常に多くの応募者さまがいらっしゃいました。



ですが、ほとんどの方が、キツい言い方をすると、書くことへの意識が甘く、途中でリタイア、つまり挫折してしまいました。



その中でもライターになると決め、執筆をはじめた人がゴロゴロいる時代になりました。

わたしも、動機や志は違えど、そのうちのひとりです。



そんな中、どのようなライターになるのか。

たくさんのライターの中で、どうやって生き残っていくか。

必要とされる、代わりの効かないライターになるには、どうしたらいいのか。


誰もがぶちあたる命題だと感じています。



答えはもう出てる

わたしは、ライターらしくないライターでいることにしています。

ライターっていうのも違うな。ものかきとして活動しています。



だって、ストレスになるから。


完璧主義で、真面目な気質がわたしの身体を破壊した事実は、今もしっかりとわたしを呪い続けています。



だから、ゆるりとやる。

書きたいことを書く。




noteでは、水彩画のように、ぼんやりと滲んだような世界観を。

なににもとらわれずに、自由にわたしを表現する場所として、あえてライティングのことにはほとんど触れていません。



果たして、これが売れるライターなのか。

必要とされるライターなのか。




それが、必要とされていなくても、わたしはやりたいことをやってから死にたい。

そんな想いで、noteで創作やエッセイを書き続けています。



実際のLIVE配信では

登壇者のおふたりからは、非常に参考になる話を聞くことができました。

一部抜粋ですが、こちらの言葉が特に印象的でした。

・得意ジャンルは他人が見つけるもの
・必ずしも得意・専門ジャンルを定める必要はない
・苦手がいっぱい=得意がいっぱい
・個性は自分が決めるのではなく、結果的にそうなっているもの
・肩書きをつける→多様性が失われる


配信は2時間にも渡り進行しましたが、おふたりのお話に聞き入ってしまい、あっという間に感じました。


フレンドリーな語り口調やわたしの考えと似かよっているところ、共感できる部分が多かったからこそ、のめり込んで聞くことができたのだと思います。


ライターとは、なにものなのか。

ぼんやりとした命題ではありましたが、わたしはわたしのままでいい、というように理解しました。


これからも、自分らしく言葉を奏でていこうと思います。




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