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85.いにしえ人に思いを馳せる

先史学者・山田康弘さん著『縄文人の死生観』という本を読んだ。
ひょんなきっかけで手に取った一冊。これまで、歴史や人類学にかなり疎い私が果たして完読できるものかと疑いながら読み始めるも、夢中になって三日程で読み終えてしまうくらい面白い本に出会えた。

考古学を語る上で外せない人骨の名称や成り立ちなど、学術的な面について理解できた訳ではない。約1万年間も続いた縄文時代は、今から15000年前~16000年前と言われていて(諸説あり)、学生時代、歴史の授業で習った時なんかは当然のことながら、全く自分との繋がりを感じることはできなかったのに、本書を読み終えた後、つい先日まで縄文人が存在していて、実際にそこに自分の祖先が必ずいたから今ここに自分がいる、という考えに変わってしまった。

第一章「縄文時代の墓とその分析」からの導入になる。
墓とは何か、縄文時代の墓とは、発掘調査から研究を進められた結果を元に専門用語やその傾向などが説かれている。難しい言葉が出てくるので、なんとなくニュアンスだけ汲み取って読み進めていく(きっと考古学や先史学に詳しい方はもっともっと面白く読めるはず)。この章では発掘調査の繊細さや研究における困難、分析に仮説を重ね、時間をかけて導き出される結果、宿題として残る新たな研究、これら一連は私には想像できない苦労と深みを含んでいると、重みをひしひしと感じた。

いまは白骨となっているこの人々は、数千年前にはたしかにここに生きていた。その目は一体何を見ていたのだろう。
プロローグ p.17

1992年、茨城県取手市にある中妻貝塚の調査に参加していた著者が、100体にも及ぶ白骨を前に作業をしていた時に感じていたこと。このように、縄文人と一体化し、時間を共有しているような錯覚に陥ることは研究者にとってよくあることだと記されていた。

第一章を踏まえて読み進めるは、第二章「土中から現れた人生――ある女性の一生」に入る。ここでは、1978年に出土した一人の女性(共に埋葬された赤ちゃんと犬)についてクローズアップした内容が書かれている。推定15歳~17歳、本書にある抜歯的特徴から成人へのイニシエーション(通過儀礼)を伴っている人物だという。詳しい内容は割愛するとして、彼女の出土から縄文時代の女性の生き方を垣間見ることができる。もちろん、生き方といってもこれだけの時を越えれば共感し得る点を見つけることの方が難しいと思うのだけど、遥かなる過去に人間としての生活を営んでいた、ということに気が付くだけで、その存在をぐっと近く感じれるということを知った。何を思っていたのだろう、また、その家族はどんな気持ちを抱いていたのか。

生きている今は人として生きているが、死んだら自然の一部となり、そしていつか「この世」へと再生してくる。さきにも述べたように、これこそが縄文時代の基層的な死生観であったと、私は考えている。
第五章 縄文の思想 p.151

終盤は縄文人の思想・死生観についてまとめられている。
「今」を生きる私でも、その仮説に想像を膨らませることができるし、少なからず現代に残るものがあるのではないかと思ってしまう。ホモ・サピエンスから今日の私までの延長線をぼんやりと頭に浮かべ、遠い遠い祖先に思いを馳せる時間をいただけた。

おわり

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**OSUSUME**

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