わたしはわたしの言葉がすき。 だから、わたしはわたしのために、ここにいる。

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ホットケーキと、弟と。

お昼ごはんをしっかりとったというのにおなかがすいてしまって、久しぶりにホットケーキを作って食べました。 すこし小さめに2枚焼けたので、1枚はわたしの、もう1枚は一緒に暮らしてるママのぶんにしよう……と思っていたのに気がつけばぺろりと2枚食べてしまった。 なんか……わたしってそういうところあるよな……うん……とそこまで反省するでもなくしみじみと頷いています。美味しかったなあー! ホットケーキってなんだか平和な味わいがある。食べるとほのぼのとした気分になるというか。小さい頃にマ

    • [歌物語]やさしくなれない

      リビングのカレンダーを3月に変えた。全体的にパステルピンクがモチーフになっているデザイン。どうやら今日はひなまつりらしい。3日間、月が変わったことをほぼ意識せず生活していたと気がつく。まあでもわたしにしては早く気がついたほうか、とも思う。 印刷された3月のカレンダーに、予定の書き込みをした。……通院の予定くらいしかないのが悔しい。あ、あとで美容室の予約をしよう。 ささやかな抵抗としての予定としては、全然、弱いけど。 なにもない日々を生きてるわたしなど無視して3月淡いももい

      • もし、いたのなら、

        2月24日。土曜日。くもり。 ちょっとだけ感傷的な気持ち。 仕事を終えかけた時にいらしたお客さまが、偶然、知り合いの方だった。 「あの、○○先輩のお母さまですか?」 「えっ!?そうです、ええと、」 「わたし、小学校のとき、ソフト部で先輩のひとつ下の後輩だった恵です」 「えーっ、ちょっと!マスクしてるから気が付かなかった!!」 元々にこやかだったそのお顔が、さらににこーっ!と、笑顔の質感が変わったのが嬉しかった。 その方の旦那さま(つまりわたしの先輩のお父さま)は、この町で素

        • 可愛いって、思いたい

          2024年。完全にとはいかないけれど、コロナ禍も落ち着いてきた。冬のはじめにはコロナもインフルエンザも流行ったけれど、それもだいぶ収まったような気がしている。それでもわたしは、外出するときマスクは毎回つけている。 常にマスクをしていても、なんの違和感も持たれない時代になった。職場では今、マスクを着用するかどうかは個人の判断にゆだねられているのだけれど、他のスタッフさんもわたしも、みんなマスクをつけている。それぞれに理由があるのかもしれないし、誰かひとりがマスクを外したら自然

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        ホットケーキと、弟と。

          さよなら、ろくでもないひと。

          削られ磨かれた宝石だったり。洗練され活けられた花だったり。無駄をなくしてきらめくものがあって。あくまでわたしの人生にとって、きみがその無駄なものだった、ということになってしまった。残念なんだけど、でも、さっき告げた「さよなら」が正しかったって。間違ってなかったって。心の底から思っている。疑うことも、迷うことも、ためらうこともできないほど。正しいさよならをわたしは選んだんだって、確信している。 さよならをきちんと正しく選んで、わたしはわたしの人生をここまで守れてこれた。それは

          さよなら、ろくでもないひと。

          わたしとわたしの幸福論

          『自分で自分に安心したいのに、それに気が付けたのに、なんかいつも足りてないんだよね』 『大丈夫、ってごまかすようにじゃなくて、ほんとに心から胸張って言えたら、さ、きっととても、素敵だよね』 『なんていうかこう、自信を持つための根拠を自分で作れたらいいね』 ぽつんぽつん、つぶやいて。ふっとnoteに書き残して足したくなったので、いまこうして言葉を繋げている。 なんだか今日なら色々素直に書けるような気がしている。深呼吸して、考えすぎないくらいで。まっすぐに、こころを、言葉

          わたしとわたしの幸福論

          もう昔、のはなし

          うかつなことに、わたしは、きみを信頼してしまった。 ふたりで一緒に眠る夜は心地よかった。 きみの名前を呼ぶ。その日にあった話をする。 繰り返して。そのまま気がついたら眠っていて。安心がそこにはあった。 誓えるものなんてまだなくて良かった。 次会うときの計画をする。それがふたりの限界で。その先の未来のことはあまり考えようともしてなくて。でも焦りはなかった。 昨日のつづきの今日のつづきの明日のつづきの毎日を。 これまできみと過ごしてきたし、これからもそれが続く予感は結構、あ

          もう昔、のはなし

          詩・生活

          まだ子供だから、大人になりたい。もう大人だから、子供に戻りたい。ずっと生きているから、死にたい日もある。いつか死ぬことを知って、生きていたくなる。ひとりがつらくてふたりになったのに、ふたりがくるしくてひとりになりたがる。夏には冬の澄んだ空気が恋しくなるし、冬には夏のきらめきと生命力を求める。 どうしようもなく強欲なわたしたちは、常に「こうだったらな」を並べている。あなたもわたしも、完璧に満足することなんて、できないんだよ。本当は。あのスターもお金持ちも、全てを揃えることなん

          詩・生活

          詩・バレンタインの待ち合わせ

          心の底から他人を愛する自信はなくて、 それを自覚してるからわたしはまともです。 ひとりという望んで選んだ自由を、寂しさでコーティングして振りかざして遊んでいること。もし友達に否定されたって、それでもわたしはわたしが正常だって信じてる。疑えないし、変われない。わかってる。 退屈なひとこの指とまれって言ってみたら、 人差し指にわたしじゃないひえた体温。 あなたはだあれ?って問うようにして、 指先からたどって彼をさぐる。 互いを観察するように、言葉を慎重に選んでする、ジェンガみた

          詩・バレンタインの待ち合わせ

          うまれかわったら

          うまれかわったら、なにになろうか。 ほかのなにかになれるなら、なにになろう。 目を閉じてふうっ、と。考えてみる。イメージする。 「さくら色のリップが似合う少女になって、うるおいのある恋がしたい」 「のんびり屋の猫になって、何も考えず日の光を浴びて昼寝をしたい」 「ちいさな子の、おまもりのぬいぐるみになって、大切にハグされたい」 イメージした全てがしあわせそうだった。 恋をすること。何も考えず昼寝すること。大切に思われること。 (しあわせそう、だけど。) わたしは

          うまれかわったら

          言葉の引き出しについて考えてみた

          なにか言葉にしたいなあって時がある。 詩とか短歌とか、日記とか。Twitterのつぶやきとかもそう。 言葉を自分の中から出していく感覚も、そこで出てきた言葉をあとから見返した時の安心も、わたしにとって、とても心地いいものだから。 ただ、考えるときに自分を軸にしてしまうと、選ぶ言葉がいつも通りになりすぎてしまう癖があって(そしてそれを今まさにまた繰り返しそうだったので)、あえてそのこと自体を今日は書いてみようかな、と思った。 わかりやすいものだと、自作の短歌。よくこの単語を

          言葉の引き出しについて考えてみた

          壁打ち文章〜恋とわたしと無気力の巻〜

          どうやら「恋したい」って気持ちがすり減ってちいさくなったっぽいな! ちょっとそれについて考えたい。 これは思考回路の足跡のような文章です。 臆病になったとか、もう無理と思うようになったとか、そういう、恋することを拒む感覚とは少しちがう気がしている。 それでいて「ま、そのうちまた恋したくなるんじゃないかな?」なんてふうに言われてもあまり今は心から頷けない。どういう言葉がいまのわたしにしっくりくるかな……。 合っているかはわからないけれど「無欲」って言葉がなんだかいまの感覚と

          壁打ち文章〜恋とわたしと無気力の巻〜

          ツギ・ハギ・ハグ

          優しいとか正しいとか、まじめとか立派とか。 そういう風に思われていたいって、結構幼いころから意識してた。そして実際そう思ってもらえてきていたような気でいる。 小学校の頃とかはそれがかなりわかりやすくて、班長とか委員長とかそういう響きが好きすぎて立候補してた節がある。たくさん褒めてもらえるから通知表を渡されるのもごほうび感覚だった。「ねえちょっと見してよ」と友達から言われて見せた、わたしのその通知表の内容をみて「すっご、さすがガリ勉だ〜!」とか、からかわれた記憶もある。 今

          ツギ・ハギ・ハグ

          迷子の春

          自分で自分を殺す気はないけれど、 他人からの暴力や病や事故や老い、ありとあらゆる死因のすべてが嫌だと思う。 生きていたいって漠然と思っているみたいで、 だけど素敵な未来を描いているわけでもなくって、きっとすこし投げやりになっている。 進路をどうするつもりって聞かれて、いつも困っていた高二の春のことを、10年経った今ふと思い出している。 なりたい自分は曖昧で、行きたい場所は思いつかなくて。分からないなりに動く、ということすらできなかった。17歳の終わりのわたし。 「あのとき

          迷子の春

          わたしはきみじゃないから

          わたしはきみじゃないから、きみの全部はわからない。 わたしはきみじゃないから、きみをきみより大事にできない。 わたしはきみじゃないから。きみはわたしじゃないから。 別々にからだとこころを動かしふるわせ生きてきた、ひとりとひとり。他人と他人。 わたしときみは同じじゃないから、だからこそ抱きしめ合うことができた。 手をつなぐこともできたし、手をはなすことも自由で。 恐ろしいことに、その気になってしまえばきみの手でわたしの喉を掴むことも不可能じゃないのに、(それはわたしの手にも言

          わたしはきみじゃないから

          いなくなりたい夜に一緒にいてほしいひとのこと。

          眠れる予感がまるでないまま、いま午前5時。 いっそ楽しく過ごそうと音楽を聴いたりシャワーを浴びたりして、ひと息ついた時にふいに気がついた。 気付かないふりをしていただけで、ほんとうにほんとうにわずかにだけど、わたし今「いなくなりたい」って気になってる。 これはわたしにとってすごくめずらしい心の動きだった。初めてかもしれない。誰もいないところに行きたいとかじゃなくて、自分じゃない誰かになりたいとかでもなくて、シンプルに、「いなくなりたい」と思いかけてる。危機感より先に、驚きが

          いなくなりたい夜に一緒にいてほしいひとのこと。