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迷子の春

自分で自分を殺す気はないけれど、
他人からの暴力や病や事故や老い、ありとあらゆる死因のすべてが嫌だと思う。
生きていたいって漠然と思っているみたいで、
だけど素敵な未来を描いているわけでもなくって、きっとすこし投げやりになっている。

進路をどうするつもりって聞かれて、いつも困っていた高二の春のことを、10年経った今ふと思い出している。
なりたい自分は曖昧で、行きたい場所は思いつかなくて。分からないなりに動く、ということすらできなかった。17歳の終わりのわたし。

「あのときにもう、ひととおりの答えが出ていたんだ」「きみは何にもなれない、ってさ」

ふいに意地悪くあざけわらってくる言葉が、自分の中から浮かんでゆく。
そうなのかもな、と飲み込みかけて、そう思いたくないから首をふる。

そしてふと思う。
わたしはわたしであることにひとつ満足をしているのかもしれなかった。
なにかにならなくても、どこかに行かなくても、なんとなく本気で焦ることのできないままここまで生きている。
きっとこうやって、思考して言葉を出力する自分のことを、わたしはわたしなりのさじ加減で認めている。

きっとわたしが生きていたいのは、わたしから出てくるいろんな言葉を止めたくないからだ。

わたしはわたしのために、
わたしの言葉をわたしに聞かせてやって、
そうしながら生き延びていきたい、って。
それだけなのかもしれないとふと考えた、迷子のままの春。

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