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ホットケーキと、弟と。

お昼ごはんをしっかりとったというのにおなかがすいてしまって、久しぶりにホットケーキを作って食べました。
すこし小さめに2枚焼けたので、1枚はわたしの、もう1枚は一緒に暮らしてるママのぶんにしよう……と思っていたのに気がつけばぺろりと2枚食べてしまった。
なんか……わたしってそういうところあるよな……うん……とそこまで反省するでもなくしみじみと頷いています。美味しかったなあー!

ホットケーキってなんだか平和な味わいがある。食べるとほのぼのとした気分になるというか。小さい頃にママやおばあちゃんに作ってもらって、学校帰りの午後3時とか日曜日の朝とかに弟とふたりで食べた思い出があるからかも。

思えば、弟はわたしより先にホットケーキとか料理とかを習得していったな……。中学生くらいのころにたまには姉さんも作ってみたら?みたいな流れができて、日曜朝に家でホットケーキ作ろうとした時の記憶がある。サラダ油をとぽっとフライパンにたらした途端に弟が「多い多い!なんでそんなに入れんの!!」と半分笑いつつ、若干ひきつつ注意してきて。ママが「そんなに強く言わないの」とたしなめて。パパは我関せずとごろごろしていて。当の本人のわたしはちょっとすねてた。だから弟が作ればよかったんだよ……みたいな。なかなかにこどもらしいふてくされ方をしていた。

弟、といえば。

昨日ちょうど寝る前に、高校時代に作った、いまもたまにつぶやきをしているTwitterアカウントをぼーっとみてた。弟の、1番最初に作ったと思うアカウントとそのわたしのアカウントは繋がっていたので、なんとなく、とてもなんとなくなんだけど弟の過去のツイートを眺めてた。

高校時代の弟のツイートは明るく陽気で。当時の彼女とのツーショットや友達とのプリクラや……もうなんかとても楽しそうなキラキラ加減だった。たぶん姉弟じゃなかったらあまり関われなかったタイプの男の子だよなあ、とつくづく思う。わたしは弟のことを愛おしく思うほうの姉をしているので、弟が弟でよかった!みたいな、変な感動のしかたをしてしまう。

卒業のツイートから下のほうへと。過去のほうへとスワイプをしていく。
冬休み、彼女、夏休み、友達、部活の引退、3年生への進級……と辿って、高校2年生の11月の弟のツイートが目に留まる。

「この時間になるとケーキ屋って閉まるんだね」という書き出しで、コージーコーナーの箱の写真。「なんとかケーキ買えた!今日は母さん父さん結婚して20周年!喜んでくれるかな」という結び。

……思わず、ううっ、と。泣いてしまった。
(とか、書いてる今もまた涙目になってしまっている)
そのツイートからおよそひと月後にわたしたち姉弟の父親は、この世を自ら去っていってしまう。そのツイートの時はそんなの誰も知らないことだけど、今のわたしは知っているから、胸が詰まってしまった。

高校2年生の弟のけなげさ、優しさ、あたたかさが、愛おしいくらい無邪気で。それがなんだか、うれしくてうつくしくて、かなしくてくるしかった。いろんな気持ちが混じって複雑になって、ひたすらぼろぼろ泣いてしまって、ちょっとだけ昨日の夜は寝づらかった。

今もたまに見えてくる弟の思いやりの、その深さにびっくりしてしまうことはあるけど、こんなに前からそうだったんだなあ。えらいなあ。いいこだなあ。すごいよ。

弟と比べると、わたしはまだ人間としての器がちいちゃいなって、卑屈になるわけでなく素直にそう思ってしまう。実際、いまさっきママのぶんのホットケーキを残すことなくホットケーキを食べちゃったわけだし……。

そんなわたしのことを、いま弟に言ったらなんて言うんだろな。弟だけじゃなくて、ママやパパなら、なんて思うんだろう。

……ちょっと考えてみたけど、きっとみんな「知ってるよ」「わかってる」と笑いながら、「それでも」と、わたしをなにかやさしくフォローして甘やかしてくるんだろうなあ。
そう自然に思えちゃうし、それじゃあいいか、と思ってしまうなあ。わたしはまだまだこどもみたいだ。


だけど、そんなわたしも、ホットケーキは昔よりちゃんとうまく作れる。

次のパパの月命日には、ホットケーキを仏壇にあげてみようかな。と、泣き笑いの顔でふわりとそう思った。

夕方6時の、わたしの住む町のチャイムが鳴った。

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