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難解で単純なこころの癖

わたしは無意識に、わたし以外の他人へ模範解答を求める癖があるよな、と思った。

例えば人に飼い猫の写真を見せた時には第一声に「かわいい〜!」とか「いい表情で写ってる」とか、そういう褒め言葉やポジティブな捉え方を、期待していて。

この前、そのシチュエーションで、「え、なんか猫ちゃん、結構、丸々としてるんだね?」と返されてしまった。
これは、仲良い友達に言われるのならきっと気にとめないけれど、これから仲良くなっていく段階の、関係性をいま築いてる途中にある間柄の異性に言われたので、心の中でむすり、としてしまった。あくまで、心の中で。

こういう小さい違和感は、その時その時になら、まあいっかってできるけれど。なにかひとつ、その相手との間に喧嘩というか、不信感を募らせる出来事が起きた時に、わりとポコポコッと思い出せてしまうものだったりする。
まあいっかと心の奥に追いやって捨てたつもりでも、記憶のゴミ箱には一定期間そのまま、小さい違和感は残ってしまうもので。ザッザと探し出せばすぐに取り出せちゃうから。

「今回のことでむかついてたら、前に怒らないでおいていた言動も思い出してきて、なんかそれらを思うとやっぱり、仲良くやっていくの厳しいんじゃないかな、うまくやってけないな、きっとそうだ」
──そんな感じに人を遠ざけることが、多い。

この癖については、その時その時の相手から「一方的だよ」とか、「急に冷たくされて怖かった」とか、「不愉快です」とか、それぞれに言われてきたし、相手がそう思うのも仕方ないとは理解できるけれど、未だに、うまく直せるものなのか、直すべきことなのか、分からないでいる。

「あの時のあれが嫌だったとか言われるの、嫌いだから。あなたにとって嫌なことをもし俺がこれからしたなら直すから。その時その時で教えてほしいな」というようなことを、交際後の約束事のように掲げて伝えてきた異性もいたけれど。その相手との関係も上手くいかなかった。

そもそも、わたしはきっとあまり優しくないんだと思う。嫌なことを、嫌だよやめてねと、怒ってあげるほどの、改善させてあげるほどの愛情を持って誰かを愛するのが下手なタチなのだ。きっと。
優しくないし、残酷でもある。コミュニケーションにおいて、最初からそれができないならじゃあもうなんか、いいや!くらいの、極端な冷たさを持ち合わせてしまっている。

直してもらって、お互い円滑な会話を繋いで、共に歩み寄ってすり合わせをする、という作業を頑張るには、それなりにその相手へ惹かれてないと、惚れてないと、難しい。

わたしの飼い猫を「丸々としてる」と話したその彼のことも、まだ中途半端な好意のままわたしは関わっていて。今はきっとその気になっちゃえば、この中途半端は好意は自分のなかで「やっぱり、なし」って、潰すこともできちゃうんだと思う。いつもそうしてきたように。

寂しがりなわりに、妙に気高くて、気難しくて。そのうえ面倒くさがりで、根拠なく自分がすきだから、こんなふうに、他人と上手く付き合えない。

無難な解答を選んで会話してほしい。それなりに、わたしに嫌われるのを怖がってほしい。本当は単純なことのように思えるのに、不思議といつもそこで上手くいかなくなる。

でも、それさえ上手くいけば、わたしももうすこしちゃんと、その相手を信頼できるのかもしれない。

例の彼とも、少し意識して、根気強く仲良くあり続ける努力をしてみようか、とは思っている。ちょっとずつ。多少口うるさい自分になってしまっても。
いつかだめになったとしても、まあ練習になったかなあ、なんて、思えるくらいには。

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