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うまれかわったら
うまれかわったら、なにになろうか。
ほかのなにかになれるなら、なにになろう。
目を閉じてふうっ、と。考えてみる。イメージする。
「さくら色のリップが似合う少女になって、うるおいのある恋がしたい」
「のんびり屋の猫になって、何も考えず日の光を浴びて昼寝をしたい」
「ちいさな子の、おまもりのぬいぐるみになって、大切にハグされたい」
イメージした全てがしあわせそうだった。
恋をすること。何も考えず昼寝すること。大切に思われること。
(しあわせそう、だけど。)
わたしは目を開ける。
洗面台に行き水で顔を洗う。鏡をのぞく。当たり前にわたしの目に映るわたしの姿。
(全部、本当に、うまれかわらないとできないこと、なのかな?)
少女に戻れなくても恋はできる。日の光を浴びて寝ることは猫だけの権利じゃないし。ぬいぐるみじゃないけどわたしだって、だれかのおまもりのように愛されるかもしれない。
そうやって考えてみれば、望んだ全てを叶えることだって、不可能じゃないはずで。
そう、わたしは案外いろいろなことができる、本当は。
わたしは、わたしとしてわたしの生き方を、可能性を、固めて狭くしてしまっていた。それだけ。
わたしは、わたしだからわたしの生き方を、可能性を、ほどいてひろげていくことができる。
わたしの可能性がゼロじゃないってことを、ほかのなにかじゃないわたし自身が気付くことが出来たら、あとはわりと簡単で。
気付かなかったふりをしてあきらめちゃうか。
気付いたからすこしでもなにかやってみるか。
その二択だけ。
うまれかわらなくたって、わたしはわたしのまま、かわることができちゃう、なら。それなら。
とりあえずのおまじないとして、わたしはわたしのくちびるに、すきな色を塗った。
ちょっとにこっとしたら、鏡の中のわたしも笑った。
わたしのしあわせは、わたしにまかされている。どうやら。
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